第56話:神域の住人との接触(ファースト・コンタクト)
神去村の夜は早い。
陽が落ちると同時に、周囲は漆黒の闇に包まれる。街灯など数えるほどしかなく、聞こえるのはカエルの合唱と、風に揺れる木々の音だけだ。
だが、結城家の居間だけは煌々と明かりが灯り、非日常的な宴が繰り広げられていた。
「……それで、あんたは酒は飲めんのか」
陽菜の父、源蔵が不満げに一升瓶を揺らした。
目の前に座る久我良平は、出されたお茶を静かに啜っている。
「申し訳ありません、お父様。私は業務時間外であっても、緊急時の対応に備えてアルコールは控えております。代わりに、こちらのお煮しめを頂戴します。……素晴らしい味付けですね。素材の魔力含有率が計算されています」
「……ふん。ただの筑前煮だ。魔力なんて知らん」
源蔵は鼻を鳴らしたが、自慢の料理を褒められて悪い気はしないようだ。
テーブルには、山の幸をふんだんに使った田舎料理が所狭しと並んでいる。その端で、ケットシーのコトが、猫用の皿ではなく、人間と同じ小皿を使って器用に天ぷらを食べていた。
「ニャ~オ、ウマウマ(ほう、この山菜の天ぷら、揚げ具合が絶妙やわ。お母はん、料理の腕はプロ級やな)」
コトが満足げに鳴く。
それを聞いた陽菜の母、松子は目を細めてコトを撫でた。
「あらあら、この猫ちゃん、本当に美味しそうに食べるわねぇ。言葉が分かってるみたい」
「ええ。彼は『お母様の揚げた天ぷらは、京都の料亭にも引けを取らない』と申しております」
久我が通訳すると、松子は「まあ、お上手ねぇ」と頬を染めて、さらにエビの天ぷらをコトの皿に追加した。
コトは「ニャッ(久我はん、ナイス通訳や)」とウインクし、舌鼓を打つ。魔物としての愛嬌と、久我の翻訳スキルが見事にハマり、母親の攻略は完了したようだ。
一方、居間の隅では、CTOの佐藤が死にそうな顔でスマートフォンを掲げていた。
「……ダメだ。アンテナが一本しか立たない。パケットロスが酷すぎて、サーバーのログが紙芝居みたいになってる」
佐藤は禁断症状が出た中毒者のように震えていた。
「佐藤君、嘆いている暇があったら改善策を提示しなさい。君はエンジニアでしょう」
久我が冷たく言い放つ。
「無茶言わないでくださいよ。物理的な基地局が遠すぎるんです。……あ、でも」
佐藤が視線を部屋の隅にある古びたルーターに向けた。
「あのルーター、十年前のモデルだ。ファームウェアも更新されてないし、チャンネル干渉も起きてる。……お父さん、ちょっとあれ、いじっていいですか?」
「あ? あの箱か? ネットが遅いのは山のせいだろ」
「いえ、設定の問題です。五分で爆速にします」
佐藤がPCを取り出し、ルーターに接続ケーブルを突き刺した。彼の指が目にも留まらぬ速さでキーボードを叩く。
「帯域制御(QoS)最適化、不要なパケットフィルタリング解除、チャンネル変更、そしてアンテナ出力を法的に許されるギリギリまで増幅……よし、再起動!」
エンターキーが叩かれると同時に、ルーターのランプが一斉に緑色に点灯した。
「……あれ? お父さん、止まってた動画が動いたわ!」
松子がスマホを見て驚きの声を上げた。
「まあ! 韓流ドラマがサクサク見れるわ! 今までグルグル回ってたのに!」
「本当か? ……おお、天気予報アプリが一瞬で開きやがった」
源蔵もスマホを見て目を見開く。
佐藤はドヤ顔で鼻を擦った。
「当然です。回線のポテンシャルを最大限に引き出しました。ついでにセキュリティホールも塞いでおきましたから、ウイルス対策も万全ですよ」
「す、すげぇな兄ちゃん。パソコンの大先生か?」
「いえ、ただのハッカーです」
佐藤の株が、一瞬でストップ高まで跳ね上がった。田舎において「ネットやスマホを直せる若者」は、医者の次に尊敬される存在なのだ。
場が和んだところで、久我がおもむろに切り出した。
「さて、お父様。食事の席で恐縮ですが、先ほどの『隣人トラブル』について、少し詳しいお話を聞かせていただけますか」
源蔵の表情が、再び曇る。
「……ああ、権田の爺さんのことか。あそこは代々、山の入り口を守る家系でな。昔から『山には神様がいる』ってうるさいんだが、最近は特に酷い」
「具体的には?」
「裏山に続く道に、勝手にロープを張って『立入禁止』の札を立てたり、夜中に太鼓を叩いてお経を読んだり……。おかげで、村のみんなも気味悪がって寄り付かねぇ」
源蔵はため息をつき、コップの酒を煽った。
「おまけに、獣害対策の電気柵を設置しようとしたら、『神域に穢れを持ち込むな』って鎌を持って怒鳴り込んできやがった。……あれじゃあ、タヌキ共ものさばるはずだ」
久我は手帳にメモを取りつつ、冷静に分析する。
「なるほど。占有権の侵害、および威力業務妨害の可能性がありますね。……ちなみに、その権田氏の土地の登記簿は確認されていますか?」
「登記簿? そんなもん、あるわけねぇだろ。俺たちの土地の境界なんて、あの大きな石から向こうは権田、こっちは結城、くらいの口約束だ」
「……出ましたね。地方特有の『慣習法』」
久我が眼鏡の奥で目を光らせた。
都市部のダンジョンなら、ミリ単位で区画整理され、所有権が明確化されている。だが、ここでは「言った言わない」の世界が法律よりも優先される。
最も厄介で、そして久我にとっては最も「やりがいのある」案件だ。
「分かりました。では、明日の朝一番で、法務局のオンラインシステムにアクセスし、公図を取り寄せます。まずは『法的な境界線』を確定させましょう」
「そんなことして、何になるんだ?」
「『線』を引くのです。感情論ではなく、客観的な事実としての線を。……それが、解決の第一歩です」
久我の言葉に、源蔵は少しだけ呆れたような、しかし頼もしげな視線を向けた。
「……ふん。都会の事務屋ってのは、面倒なことを考えるもんだな。だがまあ、パソコン兄ちゃんの腕は確かだ。あんたの腕前も、少しは見せてもらおうか」
その時だった。
「キャン、キャン、バウッ!(ボス! 敵だ! 外に変なやつがいる!)」
陽菜の足元で大人しくしていたクラが、突如として玄関の方を向いて吠え立てた。
その鳴き声は、ただの警戒音ではない。明確な敵意を含んだ、捕食者の唸り声だ。
「どうしたの、クラちゃん?」
陽菜が宥めようとするが、クラは彼女の手をすり抜けて玄関へダッシュした。
「……佐藤君、モニターを」
久我の声に、佐藤が即座に反応する。先ほど強化したWi-Fi回線を使い、家の周囲に設置しておいた簡易監視カメラの映像を呼び出した。
「映りました。……庭の先、納屋のあたりに熱源反応が多数」
佐藤がPCの画面を回転させて全員に見せる。
暗視カメラの映像には、納屋の周りをうろつく、猫くらいの大きさの影が五、六体映っていた。
その尻尾の先には、ゆらゆらと揺れる本物の「炎」が灯っている。
「で、出た! あれだ、火吹きダヌキだ!」
源蔵が立ち上がる。
「畜生、また納屋を荒らす気か! 鍬を持ってくる!」
「お待ちください、お父様」
久我が冷静に制止した。
「丸腰で飛び出すのは危険です。相手はFランクとはいえ、火属性の魔物。それに、映像をよく見てください」
久我が画面の一点を指差した。タヌキたちの背後、闇の奥に、もう一つの人影があった。
ボサボサの白髪に、古びた着物。手には錫杖のような長い棒を持っている。その人物は、タヌキたちを追い払うどころか、何かを撒いているように見えた。
「……餌付け、ですね」
久我の指摘に、源蔵が絶句する。
「あ、あれは……権田の爺さんか!? まさか、魔物に餌をやってるのか!?」
「そのようですね。『神の使い』として崇めるあまり、生態系を歪めている。……これは鳥獣保護法以前に、近隣への迷惑防止条例違反の現行犯です」
久我は立ち上がり、スーツのボタンを留めた。
「結城さん、クラのリードを。コト、威嚇の準備を。佐藤君は証拠映像の保存を」
「了解です。クラウドにリアルタイム保存中」
「ニャッ!(一仕事しまひょか)」
「行きましょう。まずはご挨拶と、深夜の騒音に関する『苦情』の申し立てです」
久我が玄関の戸を開ける。ひんやりとした夜風と共に、焦げ臭い匂いが漂ってきた。
平和な里帰りは、初日からクライマックスの予感を孕んで幕を開けた。
田舎の夜の静寂を破るのは、魔物の火花か、それとも久我の事務的な通告か。
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次回お楽しみに。




