第55話:トラブルの種は既に芽吹いている
北関東の山間部を走る国道から、さらに一本入った旧道。
すれ違いすら困難な細い砂利道を、黒塗りのミニバンが慎重に進んでいた。
ハンドルを握る佐藤の顔色は、窓の外に広がる杉林と同じくらい青ざめていた。
「……久我さん。あとどれくらいですか。もう三十分以上、対向車とすれ違っていません。GPSの信号も途切れがちです」
助手席の久我良平は、揺れる車内でも完璧な姿勢を崩さず、タブレットの地図アプリと睨めっこをしていた。
「佐藤君、弱音を吐くのはまだ早いです。ナビによれば目的地まであと三キロ。ただし、この道幅は建築基準法上の『二項道路』に該当するか怪しいですね。消防車が入れないレベルです」
「そんな法的解釈はどうでもいいんです。僕の三半規管が限界を訴えています。……うっぷ」
佐藤が口元を押さえる。
後部座席では、対照的に結城陽菜が窓に張り付いて目を輝かせていた。
「あ! あの赤い屋根の納屋、懐かしい! もうすぐですよ、佐藤さん!」
陽菜の膝の上で、ケルベロスの幼体であるクラが鼻をひくつかせている。
「キャン、キャン!(ボス! ここ、虫の匂いがする! おいしそう!)」
クラの視線は、陽菜ではなく、助手席の久我に向けられている。彼にとって、指示を出し餌をくれる久我こそが唯一の「ボス」であり、陽菜はそのボスが派遣した「世話焼きの後輩」という認識だった。
以前までは「おじさん」と呼んでいたはずだが、後輩?ができて意識が変わったのかここ最近は「ボス」呼ばわりだ。
そして、最後部座席には、さらに奇妙な同乗者がいた。
身長五十センチほど。二本足で器用に座席に座り、頭には英国紳士のようなシルクハット、足元には長靴を履いた黒猫――ケットシーのコトである。
「……ニャァ、ゴロゴロ(ふむ。久我はん、ここの空気は澄んでますなぁ。けど、ちと『視線』を感じるわ)」
コトが優雅に前足を組み、喉を鳴らした。
その言葉は久我の耳にだけ、流暢な京都弁として届く。
「視線、ですか?」
久我が振り返って問うと、コトは髭をピクリと動かした。
「ニャッ、フゥ(ええ。森の奥から、じっとウチらを値踏みするような視線や。……ま、田舎特有の『よそ者を見る目』っちゅうやつかもしれまへんけど)」
コトが煙管を口元に運ぼうとして、禁煙車であることを思い出してやめた。
車はさらに山道を登り、やがて視界が開けた盆地に出た。
そこには、時代に取り残されたような数軒の民家と、広大な畑が広がっていた。結城陽菜の故郷、「奥・奥多摩(仮)」改め、神去村である。
集落の入り口には、「部外者立ち入り警戒中」という色あせた看板が立っていた。
「……ふむ。排他的な地域コミュニティの典型例ですね。防犯意識が高いと言えば聞こえはいいですが」
久我が眼鏡の奥で目を細める。
道端では、農作業をしていた老人たちが手を止め、怪訝な顔で黒いミニバンを見つめていた。その視線は、コトの言った通り、歓迎というよりは「監視」に近い。
「あ、あそこの角を右です! 大きな柿の木がある家!」
陽菜の指示に従い、佐藤がハンドルを切る。
砂利を踏む音と共に、車は立派な門構えの旧家の前で停止した。
「着いたー! お父さーん、お母さーん!」
車が停まるなり、陽菜がドアを開けて飛び出した。
クラもそれに続く。
「ワン!(ボス! ここが新しい縄張りか? マーキングしていいか?)」
「ダメですよ、クラ。そこは他人の私有地です」
久我が短く制すると、クラは「クゥン(ちぇっ、厳しいボスだ)」と不満げに鼻を鳴らし、陽菜の足元に擦り寄った。
久我もまた、スーツの襟を正して車を降りた。
山の空気は冷たく、そして濃密だった。新宿の排気ガス混じりの空気とは違う、土と草の匂い。
母屋の玄関から、二人の男女が出てきた。
陽菜の父親と思われる、日焼けした頑固そうな初老の男性。そして、割烹着姿の小柄な母親だ。
「陽菜! よく帰ってきたねぇ。……あら、ワンちゃんも一緒?」
母親が笑顔で駆け寄ろうとするが、父親がそれを手で制した。
父親の視線は、陽菜ではなく、その後ろに立つ「異質な男たち」と、「二本足で立つ猫」に向けられていた。
黒いスーツを着こなす久我。
青白い顔でPCバッグを抱えた佐藤。
そして、シルクハットを被り、杖をついて降りてきた黒猫。
どう見ても、田舎の風景には馴染まない、サーカス団か何かのようだ。
「……陽菜。お前、東京で変な連中に絡まれてるんじゃないだろうな。なんだその猫は」
父親の第一声は、再会の喜びではなく警戒の言葉だった。
久我は、すかさず前に進み出た。砂利の上を歩く革靴の音が、静寂な庭に響く。
「初めまして。お父様、お母様。突然の訪問にも関わらず、温かく出迎えていただき感謝いたします」
久我は完璧な角度(四十五度)で一礼し、懐から名刺入れを取り出した。
「結城さんが所属しております、『久我ソリューションズ』代表の久我良平と申します。平素より、結城さんには多大なる貢献をいただいております」
差し出された名刺を、父親は渋々といった様子で受け取った。
「……久我、ソリューションズ? なんだそれは。洗剤でも売ってるのか?」
「いいえ。主にダンジョン関連のトラブルシューティング、およびコンサルティング業務を行っております。……こちらは、我が社のCTOである佐藤君です」
「ど、どうも。佐藤です」
佐藤が頭を下げる。その顔色の悪さが、逆に「怪しい薬でもやっているのでは」という疑念を父親に抱かせたようだった。
「そして、こちらは広報兼渉外担当のコトさんです」
「ニャ~オ、ゴロニャン(お初にお目にかかります。コト言います。よろしゅうお頼み申します)」
コトがシルクハットを取り、優雅に (おじぎ)をした。
だが、父親たちには「猫が鳴いてお辞儀をした」としか見えない。
「……猫が、挨拶したのか?」
「ええ。彼はケットシーという高位の魔物です。非常に知能が高く、礼節をわきまえております。『以後、お見知りおきを』と申しております」
久我が通訳すると、父親は狐につままれたような顔をした。
「……まあ、立ち話もなんだ。上がってくれ。茶くらいは出す」
父親がぶっきらぼうに言い、背を向けた。
通された居間は、太い梁が天井を走る、築百年は下らない立派な日本家屋だった。
畳の匂いと、仏壇の線香の香りが混ざり合っている。
久我は正座し、持参した手土産の包みを差し出した。
「心ばかりの品ですが、皆様でどうぞ。新宿で評判の和菓子と、こちらは……以前お電話でご相談のあった『害獣対策』に関する資料です」
「資料?」
父親が眉をひそめた。
「ええ。結城さんから、裏山の動物……あるいは魔物による被害にお困りだと伺いました。我が社はそういった案件の解決を専門としております」
久我の目が、ビジネスモードの鋭さを帯びる。
父親は湯呑みを置き、深いため息をついた。
「……陽菜から聞いたのか。ったく、余計なことを。……だが、まあいい。確かに困ってるのは事実だ」
父親、結城源蔵が重い口を開いた。
「最近、裏山から妙な生き物が降りてくるんだ。タヌキみてぇな形をしてるが、尻尾が燃えてやがる。畑の作物を荒らすだけならまだしも、夜中に納屋に入り込んで、農機具を壊したり、火の粉を撒き散らしたりしやがる」
「ファイア・ラクーンですね。Fランクの低級魔物ですが、群れると厄介です」
久我が即答する。
「ああ。それで村の寄り合いでも対策を話し合ったんだが……隣の頑固爺さんが『あれは山の神様の使いだ』なんて言い出してな。駆除なんてもってのほか、餌をやって祀るべきだ、なんて騒いでるんだ」
「……信仰と実害の対立ですか。厄介なパターンですね」
「そうだ。しかもその爺さん、自分の土地と裏山の境界線に勝手に柵を作って、俺たちが山に入って追い払うのを邪魔してくる。おかげで被害は増える一方だ」
源蔵が悔しそうに拳を握りしめた。
その話を聞いていた陽菜が、不安そうに口を挟む。
「お父さん、それって隣の権田さん? 昔からちょっと気難しい人だったけど……」
「気難しいなんてもんじゃない。最近はボケが回ったのか、自分の家の庭まで『ダンジョンの聖域だ』なんて言い張ってる始末だ」
久我は手帳にメモを取りながら、静かに頷いた。
「なるほど。状況は把握しました。つまり、魔物の被害そのものよりも、近隣住民との『権利関係の調整』がボトルネックになっているわけですね」
「ボトル……なんだか知らんが、とにかく手出し無用だ。これは村の問題だ。東京の人間が首を突っ込むと、余計に話がこじれる」
源蔵は頑なに拒絶した。
田舎特有の「内輪の論理」。外部の人間を入れることで、村八分にされることを恐れているのだ。
だが、久我にとってそれは「攻略すべきダンジョン」のギミックに過ぎない。
「お父様。ご心配には及びません。我々は荒事屋ではありません。『事務屋』です」
久我は眼鏡を指で押し上げ、自信たっぷりに宣言した。
「魔物の駆除と、近隣トラブルの解決。これを法的に、かつ村の平和を乱さない形で処理するプランがあります。……まずは現地調査をさせていただけますか?」
「……勝手にしろ。ただし、権田さんの家の敷地には絶対に入るなよ。鎌を持って追いかけてくるぞ」
「承知いたしました。……佐藤君、準備を」
久我の指示に、佐藤がげんなりした顔でPCを開いた。
「ええ……。着いたばかりで休憩なしかよ。……まあいいや。この家、意外とWi-Fi飛んでるし」
「コトさんは、奥様とお茶を飲みながら、村の婦人会の情報を集めてください。噂話の解析も重要です」
「ニャン(はいな。美味しいお漬物、期待してまっせ)」
コトが短く鳴き、奥さんの方へすり寄っていく。奥さんは「まあ、可愛い猫ちゃんねぇ」と警戒心を解いて撫で始めた。魔物としての愛嬌スキルは完璧なようだ。
そして久我は立ち上がり、陽菜とクラに向き直った。
「結城さん、クラ。行きましょうか。裏山と、その『聖域』とやらの実態調査へ」
「はい! 行きましょう、クラちゃん!」
「キャン!(いくぞ後輩! ボスの邪魔をするなよ!)」
クラが、陽菜に対して少し偉そうに吠え、久我の足元に侍るように並んだ。
その姿を見た源蔵が、目を丸くした。
「おい、その犬……影が三つに見えたぞ?」
「お父様、気のせいです。山の空気で光が屈折したのでしょう」
久我はすっとぼけて、庭先へと出た。
午後の日差しが傾き始めた山村。
のどかな鳥の声に混じって、どこからか「キーッ!」という奇妙な鳴き声が聞こえた気がした。
スーツ姿の異邦人と、シルクハットの猫と、三つ首の片鱗を見せる子犬。
彼らが、田舎の閉鎖的な常識に、土足……もとい、ピカピカの革靴で踏み込もうとしていた。
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次回お楽しみに。




