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【2部完結】現代ダンジョンの苦情係 〜元クレーム処理担当の俺、魔物の言葉がわかるので菓子折り一つで世界を救う〜  作者: ぱすた屋さん


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第54話:有給休暇と、陽菜の里帰り


 季節は巡り、新宿のビル風にも微かに夏の匂いが混じり始めていた。


 久我ソリューションズの事務所内は、いつになく平和な時間が流れている。


 先日の大規模な詐欺グループ摘発、そして佐藤の弟・信二との和解を経て、事務所には一種の「燃え尽き症候群」ならぬ「達成感によるなぎ」が訪れていた。


 久我は、完璧に整理されたデスクでカレンダーを眺め、眉間に浅い皺を刻んでいる。


「……由々しき事態だ」


 その独り言に、サーバーメンテ中の佐藤が反応した。


「どうしたんですか、久我さん。またどこかのギルドが不祥事でも起こしましたか? それとも、税務署からの督促状ですか?」


「いいえ、もっと深刻な問題です。佐藤くん、君の有給休暇取得率がゼロパーセントのままです」


 久我は眼鏡のブリッジを押し上げ、深刻な顔でモニターを指差した。


「労働基準法第三十九条。使用者は、六ヶ月以上継続勤務し、全労働日の八割以上出勤した労働者に対して、有給休暇を与えなければならない。……君はこの半年、土日も含めて毎日ここにいますね」


「当たり前でしょう。サーバーは二十四時間三百六十五日稼働しています。管理者が休んだら、スラちゃんの冷却水交換は誰がやるんですか」


 佐藤は呆れたように返した。


 彼の横では、そのスラちゃんが「プルプル(僕なら大丈夫だよ)」と震えている。


「佐藤、これはコンプライアンスの問題です。過重労働は我が社の品位に関わります。よって、業務命令として休暇の取得を命じます」


「休暇って言われても……。実家に帰るのも、この前信二が来たばかりで気まずいですし、一人でアキバに行ってもパーツ屋を冷やかすくらいしかやることがない」


 佐藤は典型的なワーカーホリック(仕事中毒)の発言をして、再びキーボードに向き直ろうとした。


 その時、ソファで寝転がっていたコトが、長い尻尾をゆらりと動かした。


「……なんや、辛気臭い話してまんなぁ。久我、休むんも仕事のうちやで。それに、これからの季節、都会は暑うて敵わん。どこか涼しいとこで『保養』っちゅうのも、組織の福利厚生と違いますか?」


 コトの手元には、旅行雑誌が表示されたタブレットがある。最近は任侠映画だけでなく、温泉特集のページも熱心にチェックしているようだ。


「保養、ですか。確かに、コトの言う通り福利厚生費として計上すれば、経費の枠組みで処理可能です」


 久我の目が「経費」という言葉に反応して光った。


「なら、みんなで旅行に行きましょうよ!」


 結城陽菜が、元気よく挙手をした。


 彼女の膝の上では、クラが嬉しそうに尻尾を振っている。


「キャン、キャン!(お出かけ! いく!)」


 久我はその声を正確に聞き取り、頷いた。


「クラも賛成のようですね。ですが結城さん、行き先はどうしますか? 人混みの多い観光地では、ケルベロスの幼体を連れ歩くのはリスクが高い」


「あ、それなら私の実家、どうですか?」


 陽菜がスマホの地図アプリを開き、画面を久我に見せた。


「北関東の山奥なんですけど、すっごく田舎で、空気も水も綺麗なんです。家の裏山がそのままダンジョンの未開発エリアに繋がってるから、クラちゃんが走り回っても誰も文句言いませんよ!」


 画面に映っていたのは、見事なまでの緑一色の航空写真だった。民家が数軒、ポツンポツンと点在しているだけで、あとは山と森しかない。


「……結城さん。これは『田舎』というより『秘境』に近いのでは?」


 佐藤が画面を覗き込み、少し引きつった顔で言った。


「ネット回線は通ってるのか? 5Gなんて贅沢は言わないが、せめて光回線がないと僕は呼吸困難で死ぬぞ」


「失礼な! 光くらい来てますよ! ……たぶん、公民館まで行けば」


「公民館……」


 佐藤が絶望的な顔をする。


 だが、久我の反応は違った。彼は地図を拡大し、その地形と「未開発エリア」との境界線を指でなぞり始めた。


「……ふむ。裏山がダンジョンに直結している、ですか。ということは、鳥獣保護区とダンジョン管理区域の境界線が曖昧なグレーゾーンですね」


「ええ、そうなんです。実は最近、両親から電話があって……。『裏山から変な生き物が降りてきて、畑の野菜を荒らす』って困ってて」


 その言葉を聞いた瞬間、久我の背筋がピンと伸びた。


「変な生き物、ですか。それは野生動物でしょうか、それとも魔物でしょうか」


「父の話だと、タヌキみたいだけど火を吐くらしいんです。たぶん、低級のファイア・ラクーンかと」


「ほう」


 久我は手帳を取り出し、サラサラとメモを取り始めた。


「民家近くに出没する魔物。そして、対策が進んでいない過疎地域。……これは単なる休暇ではありませんね」


 久我は眼鏡の位置を直し、キリッとした表情で宣言した。


「これは『現地視察』および『市場調査マーケティング』です。地方における魔物被害の実態調査、および過疎地における久我ソリューションズの潜在需要の発掘。……完璧な出張名目です」


「……結局、仕事にするつもりですか」


 佐藤が呆れたように溜息をついたが、久我は聞こえないふりをした。


「佐藤くん、君には現地での通信インフラの脆弱性調査を命じます。僻地でも安定した業務が可能か、テストしてください」


「……はいはい。衛星回線のポータブルアンテナを持ってけってことですね」


「コト、あなたは現地の『顔役』への挨拶回り……ではなく、地域コミュニティとの円滑なコミュニケーション担当です」


「任しとき。田舎の爺さん婆さんの相手は得意や。お茶請けの煎餅でも用意しときますわ」


 コトがニヤリと笑い、煙管をくゆらせた。


「陽菜、あなたは案内役兼、クラの管理責任者です。ご両親へのアポイントは?」


「大丈夫です! さっきLINEしたら『久我さんたちなら大歓迎』ってスタンプ来ました!」


「キャン!(ぼくも! ぼくも役に立つ!)」


 クラが久我の足元にじゃれつき、そのズボンの裾を甘噛みした。


「ええ、分かっていますよクラ。君には『警備』という重要な任務があります。田舎の夜は暗いですからね」


 久我はしゃがみ込み、クラの頭(まだ一つしかないそれ)を撫でた。


 こうして、久我ソリューションズ初の「社員慰安旅行」という名の、地方巡業が決定した。




 翌日。


 早朝の新宿に、一台のレンタカー(黒塗りのミニバン)が停まっていた。


 運転席には佐藤。助手席には久我。


 後部座席には、はしゃぐ陽菜と、窓の外を興味深そうに見るクラ。そして一番後ろの席を陣取ったコトが、既にお菓子を広げている。


「佐藤くん、ETCカードの挿入確認は?」


「済みです。ナビの設定も完了。……片道三時間半、渋滞予測なしです」


「よろしい。安全運転で行きましょう。事故処理アクシデントは私の専門ですが、起こさないに越したことはありませんから」


「縁起でもないこと言わないでくださいよ」


 佐藤が苦笑しながらエンジンをかけた。


 車は静かに走り出し、灰色のビル群を抜けていく。


 目指すは北関東の山間部、陽菜の故郷である「奥多摩ならぬ、奥・奥多摩(仮)」。


 車窓を流れる景色が、コンクリートから緑へと変わっていくにつれて、陽菜の表情もどこか懐かしそうに緩んでいく。


 だが、久我だけは違った。


 彼は膝の上に広げたタブレットで、その地域の「自治会規約」や「土地登記情報」を熱心に読み込んでいた。


「……ふむ。この地域、地権者の境界線が明治時代のまま更新されていない場所が多いですね。……揉めごとの匂いがします」


「久我はん、あんた景色を楽しむ気ゼロやな」


 コトが呆れ声で言ったが、久我は涼しい顔で答えた。


「景色は逃げませんが、トラブルは放置すれば腐ります。……それに、陽菜のご両親にご挨拶する以上、手土産の一つも必要でしょう」


「手土産って、東京ばな奈とかじゃないんですか?」


 陽菜が振り返って尋ねる。


 久我は不敵に微笑んだ。


「ええ。ですが、私が用意するのはお菓子ではありません。『法的解決』という名の、極上の安心ですよ」


 ミニバンは高速道路を降り、緑の濃い山道へと入っていく。


 そこには、都会のドライな人間関係とは違う、湿度の高い「ご近所付き合い」と、それに便乗した「魔物トラブル」が待ち受けていることを、まだ誰も(久我以外は)知らなかった。


 陽菜の里帰り、ここに開幕


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。


次回お楽しみに。

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