第53話:アフターケアと、不器用な橋渡し
事件から数日が経過した新宿プレハブ事務所には、いつもの穏やかな空気が戻っていた。
壁一枚隔てた外では、新宿ダンジョン六層での大規模な詐欺グループ摘発がニュースで報じられ、ギルド周辺が騒がしくなっている。だが、その発端となったこの事務所は、まるで嵐の後の凪のような静けさに包まれていた。
久我は、デスクで山積みになった事後処理書類に目を通しながら、静かにペンを走らせている。
「……よし。これで押収された資産の還付手続き、および被害者への補償スキームの構築は完了です。佐藤君、そちらの進捗はどうですか」
「問題ありません。信二の生体鍵を含め、流出した全データの物理消去を確認しました。念のため、ダークウェブ上に残滓がないか定期的にクロールさせていますが、今のところ再浮上の兆候はありません」
佐藤はいつものようにモニターに向かい、淡々と答えた。
しかし、そのキーボードを叩く音は、事件前よりもどこか軽快に響いている。
事務所のソファでは、結城陽菜がクラを膝に乗せ、何やら真剣な表情でスマートフォンの画面を操作していた。
「あ、これいいかも! クラちゃん、これどうかな? 佐藤さんのお兄さんに似合いそうじゃない?」
「キャン! (ちょっといいかも! 」
陽菜が指し示したのは、スポーツ選手向けの機能性インナーの広告だった。
「……結城さん、何をしているんですか」
久我が眼鏡のブリッジを押し上げながら問いかける。
「えへへ、実はさっき信二さんから連絡があったんです。今日、お礼に来るって。だから、佐藤さんと仲直りできるようなプレゼントを考えてたんですよ」
「お礼、ですか。彼は今回の件で、大学の部活から厳重注意を受けたはずですが」
「そうみたいです。でも、久我さんが提出した『不当な勧誘による被害証明書』のおかげで、除名処分は免れたって喜んでましたよ。……あ、噂をすれば!」
プレハブの扉が、今度は以前よりも少しだけ控えめな音を立てて開いた。
入ってきたのは、佐藤信二だった。
以前の横暴な雰囲気は影を潜め、どこかバツの悪そうな、それでいて少しだけ晴れやかな表情をしている。
「……ちわっす」
信二は深々と頭を下げ、手にした大きな紙袋を久我のデスクに置いた。
「久我さん、兄貴……。この間は、本当にありがとうございました。俺、自分がどれだけ無知だったか、よく分かりました」
「礼には及びません。我々は業務を遂行したまでです。……それで、それは?」
「あ、これ、親父とお袋からです。兄貴が立派なところで働いてるって伝えたら、ぜひ皆さんにって……。実家の方で採れた、魔力含有量の高い梨です」
信二が袋から取り出したのは、瑞々しく輝く大きな梨だった。
その瞬間、事務所の隅で任侠映画を観ていたコトが、音もなく立ち上がった。
「……ほう。これはまた、見事な季節もんですなぁ。久我はん、事務作業の手を止めて、少し休憩にしまひょか」
「コト、現金ですね。……まあいいでしょう。結城さん、準備を」
「はいっ!」
陽菜は慣れた手つきで梨を剥き、佐藤のデスクと信二の間に皿を置いた。
佐藤は作業を止めて椅子を回転させたが、弟と目が合うと、すぐにそっぽを向いてしまった。
「……梨なんて、送ってこなくていいって言っただろ。重いだけだ」
「いいじゃねぇかよ。親父、兄貴がCTOとかいう凄い役職だって聞いて、近所に自慢して回ってるんだぞ。……今までバカにしてて、悪かったな」
信二が、照れくさそうに頭を掻きながら言った。
佐藤は無言で梨の一片を口に運んだ。シャリリ、という瑞々しい音が静かな室内に響く。
「……甘いな」
「だろ? 自慢の梨なんだよ」
二人の間に、以前のような刺々しい空気はなかった。
陽菜はその様子をニコニコと眺めながら、信二の隣に座った。
「信二さん、これからもたまに遊びに来てくださいね。佐藤さん、実は信二さんが盾になってくれたこと、すごく感謝してたんですよ?」
「おい、陽菜っ! 余計なことを……!」
佐藤が慌てて遮るが、陽菜は止まらない。
「えー、本当のことじゃないですか。あの後、佐藤さん『あいつも少しは成長したんだな』って、ボソッと言ってましたよ」
「……兄貴、マジで?」
信二が驚いたように兄を見る。佐藤は顔を真っ赤にして、再びモニターの方を向いてしまった。
「……記憶にないな。ハッキングの負荷で脳がオーバーヒートしてたんだろう」
その不器用な返答に、信二は今日一番の笑みを浮かべた。
「ははっ! 兄貴らしいや。……俺も、これからは筋肉だけじゃなくて、少しは規約とか法律の勉強もしてみるよ。兄貴みたいに格好良くはなれないけどさ」
信二は立ち上がり、最後にもう一度久我に向き直った。
「久我さん。俺、部活の連中にも伝えておきます。『困ったことがあったら、新宿のプレハブに行け。そこには最強の事務屋がいる』って」
「……宣伝していただけるのはありがたいですが、私の業務が増えすぎるのも困りものです。相談は予約制であるとお伝えください」
久我は苦笑いしながらも、丁寧に名刺をもう一枚渡した。
信二が事務所を去った後、佐藤は梨を最後の一片まで食べ終え、深い溜息をついた。
「……騒々しい身内が失礼しました、久我さん」
「いいえ。身内のトラブルを解決するのも、福利厚生の一環ですから」
久我は再びペンを執った。
「佐藤君、今回の件で実家の皆様との誤解も解けたようですし、次回の連休には有給休暇を付与しましょうか。帰省でもされたらどうです?」
「……考えておきます」
佐藤の答えは短かったが、その指先が叩くキーボードの音は、梨の甘みを含んだようにどこか柔らかかった。
陽菜がクラを抱き上げ、窓の外を眺める。
「新宿も、たまにはいい天気になりますね」
ビル風に揺れるプレハブの事務所。
そこには、ただの事務屋と、その仲間たちが紡ぐ、少しだけ温かい日常が流れていた。
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次回お楽しみに。




