第52話:通信事業法と魔物権利保護法による完全論破
鎮圧されたサーバーファームには、奇妙な静寂が戻っていた。
床には、結束バンドで手足を拘束された犯罪グループの男たちが転がり、その周囲を薬効が切れて眠り込んだゴブリンたちが囲んでいる。
唯一、意識のはっきりしているリーダー格の男だけが、憎悪に満ちた目で久我を睨みつけていた。
「……ふん。勝ったつもりか、事務屋風情が」
男は拘束されながらも、まだ悪あがきを諦めていないようだった。
「俺たちはただの『下請け』だ。ここを潰しても、本部のデータはクラウドにある。お前らが警察に通報したところで、俺たちは『知らなかった』でシラを切るだけだ。証拠不十分で釈放されるのがオチだぞ」
その言葉に、後ろで様子を見ていた信二が不安そうに身じろぎした。
「おい兄貴、あいつああ言ってるけど……大丈夫なのか? 警察って、ダンジョンの深層までは捜査しに来ないって聞いたことあるぞ」
「心配ない。久我さんが『事務処理』を始めたら、逃げ道なんて存在しない」
佐藤はPCを閉じることもなく、淡々と答えた。その表情には、これから始まる処刑ショーを楽しむような色が浮かんでいる。
久我はアタッシュケースから、分厚いファイルを一冊取り出した。
その表紙には、『是正勧告書兼損害賠償請求書(案)』という長ったらしいタイトルが記されている。
「ご忠告ありがとうございます。ですが、あなたの認識には二つの重大な誤りがあります」
久我は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、極めて事務的な口調で切り出した。
「第一に、あなたがたが犯した罪は、単なるダンジョン法違反ではありません。通信事業法、および不正アクセス禁止法への抵触です」
「はぁ? 何の話だ」
「佐藤CTOの解析により、あなた方のサーバーが国の基幹通信網を経由してデータを転送していた痕跡が見つかりました。これはダンジョン内でのローカルな犯罪ではなく、国家インフラに対する『テロ行為』と同義です」
久我はファイルの1ページ目をめくり、男の目の前に突きつけた。
そこには、複雑なネットワーク図と、無数の通信ログが印刷されている。
「通信事業法第百七十九条。通信の秘密を侵した者は、二年以下の懲役または百万円以下の罰金。……これは軽いですね。ですが、不正アクセス禁止法第十一条、および組織犯罪処罰法を併用すれば、あなた方の組織全体が『特定危険団体』として指定される要件を満たします」
男の顔から、少しだけ余裕が消えた。
「そ、それがどうした。俺たちは魔物の素材を売買してただけだ! 通信なんて専門外だ!」
「専門外で済むなら、警察はいりませんよ。それに、第二の誤り。これが致命的です」
久我は冷ややかな目で、床に倒れているゴブリンたちを見下ろした。
「あなた方は、このゴブリンたちを『契約社員』と呼びましたね?」
「ああ、そうだ。魔物をどう使おうが勝手だろうが。ここはダンジョンだぞ」
「いいえ。ダンジョンであっても、労働基準法の理念、および近年制定された『魔物権利保護に関するガイドライン』は適用されます」
久我の声のトーンが、一段低くなった。
彼はファイルから別の書類を取り出した。そこには、ゴブリンたちの身体データと、過酷な労働環境を示す数値が羅列されている。
「彼らには適切な休息時間も、報酬としての食料も与えられていませんでした。さらに、あなた方は彼らに違法な強化薬物を投与し、意思を奪って強制労働させていた。これは明確な『搾取』であり、魔物愛護の観点からも許されざる虐待行為です」
「は……はぁ!? 魔物愛護だと!? 馬鹿かお前! 魔物は殺して素材にするもんだろうが!」
男が嘲笑う。
だが、その笑いはすぐに凍りついた。
久我の背後から、凄まじい殺気が放たれたからだ。
「……ワンッ!」
陽菜に抱かれていたクラが、牙を剥き出しにして吠えた。その声は幼体のものではなく、地獄の番犬としての威厳に満ちていた。
そして、ケットシーのコトが静かに進み出た。
「……今の言葉、聞き捨てなりまへんなぁ。ウチら魔物にも、誇りっちゅうもんがありますのや。それを道具扱いして使い潰す……そんな外道には、キツいお仕置きが必要と違いますか?」
コトの瞳が、爬虫類のように細く収縮する。その手にはいつの間にか、鋭利な爪が煌めいていた。
「ひっ……!」
男が悲鳴を上げて後ずさろうとするが、結束バンドが食い込んで動けない。
久我はコトを手で制し、淡々と続けた。
「暴力はいけません、コト。我々はあくまで法的に処理します」
そう言って、久我は電卓を取り出した。
「さて、計算しましょう。通信事業法違反による罰金、不正アクセスによる損害賠償、ゴブリンたちへの未払い賃金(労働対価)、および慰謝料。さらに、私のクライアントである佐藤信二様への精神的苦痛に対する賠償金。……締めまして」
久我の指が、ピアニストのように軽やかに電卓を叩く。
最後に「=」キーを叩いた音が、地下空間に冷たく響いた。
「総額、三億四千五百万円。これが、あなた個人に請求される『初期費用』です」
「さ……さんおく……!?」
男の目が飛び出しそうになった。
「払えるわけねぇだろ! 俺はただの現場監督だぞ!」
「そうですか。では、連帯保証人である組織の『親玉』にも同額を請求します。佐藤さん、例の口座凍結は?」
「完了しています。彼らの組織の隠し資産、約二十億円。全額を『供託金』としてギルドの管理口座へ強制送金しました」
佐藤が画面を見せながら告げた。
その瞬間、リーダーの男の顔色が土気色を超え、死人のような白さに変わった。
「に、二十億……? ボスの金庫が……空になったのか……?」
「ええ。あなたが捕まったことで、組織は資金源を失いました。さて、あなたはこれから警察に引き渡されますが、釈放されたとしても組織の報復が待っているでしょうね。……どちらがマシか、よく考えて供述することをお勧めします」
久我は慈悲のない事実を突きつけ、ファイルをパタンと閉じた。
男はガタガタと震えだし、やがて糸が切れたように崩れ落ちた。
「た……助けてくれ……! 全部話す! ボスの居場所も、裏帳簿のパスワードも全部吐くから! 刑務所の方がマシだ! 頼む、警察を呼んでくれ!」
それは完全な降伏だった。
暴力による屈服ではなく、社会的・経済的な死を突きつけられたことによる、魂の崩壊。
信二は、その光景を呆然と眺めていた。
「……すげぇ。剣一本も振らずに、言葉だけで相手を再起不能にしちまった」
彼は今まで、「強さ」とは筋肉の量や武器の攻撃力のことだと思っていた。だが、目の前にいる細身のスーツの男は、それとは全く異なる次元の「暴力」を振るっていた。
法律という名の棍棒で殴り、規約という名の鎖で縛り上げる。
それは、ダンジョンの魔物よりも遥かに恐ろしく、そして現代社会においては最強の武器だった。
「勉強になりましたか、信二さん」
久我が振り返り、穏やかな営業スマイルを向けた。
「これが、久我ソリューションズの『攻略法』です。ダンジョンも社会も、ルールを知る者が勝つのです」
「……ああ。参ったよ。兄貴がここにいる理由、なんか分かった気がする」
信二は苦笑いし、隣に立つ兄の肩を軽く叩いた。
「兄貴、すげぇ職場見つけたな。これなら、親父たちも文句言えねぇわ」
「ふん。当然だ」
佐藤はそっぽを向いたが、その口元が少しだけ緩んでいるのを、久我は見逃さなかった。
やがて、遠くからサイレンの音……ではなく、ギルドの武装職員たちの足音が聞こえてきた。佐藤が事前に送っておいた通報により、ようやく「掃除屋」たちが到着したようだ。
「さて、撤収しましょうか。陽菜くん、クラ。コトさんも」
「はーい! 帰ったらおやつだね!」
「……やれやれ、肩が凝りましたわ」
久我たちは、事後処理をギルド職員に任せ、悠々とダンジョンを後にした。
その背中は、どんな高レベル冒険者パーティよりも頼もしく、そして少しだけ恐ろしい「新宿の魔王」の如き風格を漂わせていた。
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次回お楽しみに。




