第44話:久我の提案、スライム・アウトソーシング
新宿区役所、臨時特別会議室。
かつては区政の重要事項が話し合われたであろうその場所には今、重苦しい沈黙と、時代遅れな選民意識が漂っていた。
「……馬鹿げている。魔物を街の清掃に従事させるだと? 久我君、君はギルドを壊して正気を失ったのかね」
机を叩き、吐き捨てるように言ったのは、新宿区の環境維持局長であり、ギルド再建委員会の理事も兼任する男、乾だった。彼の後ろには、武装したギルドの残党が数名、威圧的に控えている。
対する久我良平は、完璧にプレスされたスーツの乱れ一つなく、静かに眼鏡を指先で直した。
彼の傍らには、タブレットを抱えた佐藤、そして緊張で拳を握りしめている陽菜が控えている。足元では、ケルベロスのクラが退屈そうにあくびを噛み殺していた。
「乾局長。主観的な『正気』の議論は、業務時間の無駄です。私は単に、現在の新宿地下二層、および下水路の維持管理コストにおける『最適化案』を提示しているに過ぎません」
「最適化だと? 魔物は駆除し、ダンジョンを封鎖するのが我々の絶対原則だ!」
『……ほう、威勢がええなぁ。久我はん、こいつ「極道仁義・散り際の美学」に出てきた、最初に消されるタイプの小物やわ。情緒もへったくれもあらへん。きっちり「お勤め」の報告、したってや』
ソファ(という名の久我の膝の上)で丸まっていたコトが、久我にだけ聞こえる京都弁で囁いた。
久我は表情を変えず、通訳することなく言葉を継ぐ。
「局長。佐藤君、現在の清掃予算の執行状況をモニターに」
「了解っす」
佐藤が気だるげにキーボードを叩くと、壁一面の巨大モニターに、新宿区が民間業者へ委託している「特殊清掃」の支出グラフが展開された。
「……現在、下水路に沈着した魔力廃液の除去には、専門の防護服を着用した作業員と、高価な中和剤が必要です。年間予算、十二億三千万円。これに対し、作業員の負傷による労災申請率は三十八パーセント。……極めて非効率的です」
久我が淡々と事実を積み上げていく。
「そこで、私が提唱するのが『スライム・アウトソーシング』です。結城陽菜調査員が昨日採取した実地データによれば、クイーンスライムの分身たちは、既存の中和剤よりも百二十倍の効率で魔力廃液を分解・吸収します」
「……百二十倍……!?」
会議室がざわついた。陽菜が、補足するように身を乗り出す。
「そうなんです! スライムさんたちにとっては、汚れた廃液も『栄養』なんです! 悪いことをする不法占拠者に汚された地下を、彼らは喜んで掃除してくれます。人間がやるよりずっと安全で、ずっと綺麗になるんです!」
「黙れ、小娘! 魔物に意志などあるものか!」
「あります! 私は、彼らが『外の世界に行きたい』って言ってるのを聞きました!」
乾局長は鼻で笑った。
「感情論は結構。だがな、久我。魔物に給与を払うとでも言うのか? そもそも、契約主体になれるはずがない」
「そのために、これを作成しました」
久我が重厚なバインダーを机に滑らせた。
表紙には『魔物労働基準法・暫定施行細則案』と記されている。
「雇用契約は、群れの長であるクイーンスライム殿と締結します。報酬は通貨ではなく、『安全な居住区の提供』、および『清掃対象から得られる栄養素の独占権』。さらに、個体の摩耗を防ぐための休息期間の確保。……これを適用すれば、年間予算は二億五千万円まで圧縮可能です」
「……なんだと? 八割以上の削減だと……?」
「差額の十億円弱を、他のインフラ復興へ回せる。……局長。貴殿は、区民の血税十億円と、魔物への偏見。どちらを優先されるおつもりですか?」
久我の目が、獲物を追い詰める捕食者のように鋭く光った。
乾は土気色の顔で絶句した。彼は政治家でもある。この数字を無視して否決すれば、後の予算会議で糾弾されるのは自分だ。
『……決まりやね。久我はん、あいつの顔、賞味期限切れの刺身みたいになっとるわ。トドメの一撃、お願いしますえ』
「乾局長。佐藤君が、貴殿が過去三年間に特定の清掃業者から受け取っていた『不透明な協力金』のリストも、念のため用意していますが……。この件、事務的に処理しますか? それとも、今ここで公表しますか?」
佐藤がニヤリと笑い、タブレットの送信ボタンに指をかけた。
乾の額から、滝のような汗が流れる。
「……わ、わかった。試行期間として、一ヶ月。新宿地下二層の管理権を、君の事務所に委託する。……ただし、一回でも魔物による被害が出れば、即刻中止だ!」
「承知いたしました。……規約に基づき、完璧な成果をお見せしましょう」
久我は優雅に一礼し、会議室を後にした。
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事務所への帰り道。新宿の瓦礫の間を歩きながら、陽菜がぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「社長、すごいです! 本当に許可が出ちゃいましたね! これでスライムさんたち、堂々と街を綺麗にできます!」
「……まぁ、あの局長の汚職データを見せた時の顔が一番の傑作でしたけどね」
佐藤がタブレットをしまいながら、珍しく満足げに言った。
久我は表情を崩さず、事務的な足取りを止めることはなかった。
「……佐藤君、陽菜さん。勝負はここからです。契約書は交わしましたが、現場が機能しなければ『不備』として処理される。……スラ美、。聞こえていますか」
「プルッ!」
陽菜のバッグから、エメラルドグリーンのスライムが顔を出した。
久我はそれを見つめ、静かに告げた。
「貴女たちは今日から、単なる魔物ではなく『公共サービス』を支えるプロフェッショナルです。……誇りを持って、汚れ(ノイズ)を排除しなさい」
事務所に戻ると、クラが真っ先に自分の居場所を確保し、コトが爪研ぎで祝砲の代わりのような音を立てた。
『いやぁ、お疲れさん。久我はん、アンタやっぱり「極道の妻」より怖い人やわぁ。……さぁて、新しい「シマ」の掃除、気張っていきましょか』
久我は心の中で「私はただの事務屋だ」と毒づき、次のタスクを整理し始めた。
新宿。
人間と魔物の境界線に、初めて「契約」という名の橋が架かった瞬間だった。
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次回お楽しみに。




