第40話:共同作業と、帰り道のルール
新宿の朝は、重機の咆哮と、どこからか流れてくる魔力の残滓が混じり合った独特の匂いで始まる。
プレハブの事務所内では、既にコーヒーの香りと、それ以上に騒がしい「日常」が動き出していた。
「ああっ、クラ君待って! そのリボン、絶対似合うから! 冥界の番犬だって、たまにはオシャレした方がいいよ!」
「ガゥッ! グルルル……(断る。ボクは誇り高き番犬だ。ピンクのフリルなんて絶対イヤだ!)」
朝一番から、結城陽菜がブラッシングセットを片手にクラを追い回している。
逃げ惑うクラは、久我のデスクの下をシェルター代わりに使い、鋭い牙を見せて抵抗の意志を示していた。
「……朝からうるせえ。陽菜、お前は少し落ち着け。クラがマジでキレてんぞ。その牙、本気で噛まれたら指一本じゃ済まないからな」
佐藤が、数枚のモニターに囲まれた自分の城から顔を出し、呆れたように毒を吐いた。
彼はパーカーの袖を捲り上げ、手際よくドローンのセンサーチェックを行っている。昨日、陽菜のフィールドワークを支援した際に蓄積されたデータを、より効率的に処理するためのパッチを当てている最中だった。
「だって佐藤さん、クラ君、最近毛並みが良くなってきたから、何か飾りたくなるんですよ! ……あ、コトさん、おはようございます!」
「ナァ〜ォ、ゴロゴロ……」
ソファの上で、猫妖精のコトが優雅に伸びをした。
陽菜には機嫌の良い鳴き声にしか聞こえていないが、デスクに座る久我の耳には、全く別の「声」が届いている。
『おはようさん、陽菜はん。……おやおや、今朝の事務所は随分と威勢がよろしおすなぁ。まるで昨晩観た「極道大戦争・歌舞伎町血風録」の冒頭シーンみたいやわ。修羅場やねぇ』
久我は、一分の隙もないスーツ姿で眼鏡を指で直した。
コトは最近、事務所のアーカイブにある古い任侠映画に感化されすぎている。その口調は、久我にだけは「京都の極道映画のような艶っぽくも物騒な響き」として聞こえていた。
「コト、あまり物騒な例えはやめてくれ。……佐藤君、陽菜さん。業務開始だ。遊びはそこまでにしておけ。今、コトが『映画のような修羅場だ』と揶揄しているぞ」
「……へぇ、コトさん、相変わらず映画好きっすね。何言ってるか分かんないけど、今の鳴き方は確かに馬鹿にされた気がしたわ」
佐藤が肩をすくめる。久我以外の人間にとって、コトは「時折、何とも言えない表情で鳴く不思議な猫」でしかないのだ。久我がその通訳(翻訳)を口にすることで、ようやく事務所内の意思疎通が成立する。
「佐藤君、陽菜さん。例の『新宿北エリア・魔力変動ログ』に不自然なノイズが混じっている。……陽菜さん、装備のチェックを。今日は貴女に現場を仕切ってもらう」
「はいっ! 了解です、社長!」
陽菜は即座にリボンを置き、佐藤から渡された最新のポータブル・レーダーを腰に装着した。
佐藤がモニターの一枚を陽菜の方に向け、座標を示す。
「北側、廃ビルが密集してる建設予定地だ。そこに、ランクE以下の極めて微弱な魔力反応が出てる。……だが、波形がおかしい。まるで呼吸が浅くなってるみたいだ」
「……魔物が、弱ってる?」
陽菜の表情が、真剣なものに変わる。
彼女の「動物好き」としての直感は、数字以上の情報を読み取っていた。
「よし、陽菜。お前は現場へ向かえ。俺が上空からドローンでガイドする。……久我さんは、裏で『書類』の準備っすね?」
「ああ。佐藤君、汚染源の特定を急げ。人為的な『不備』の香りがする」
陽菜はプレハブを飛び出し、自転車で現場へと急行した。
イヤホンからは、事務所にいる佐藤の落ち着いた声が聞こえてくる。
『……陽菜、そのまま直進。三百メートル先の工事用フェンスの隙間だ。ドローンでサーマルを確認した。……そこにいるぞ』
陽菜が瓦礫の山を乗り越えて現場へ着くと、そこには一匹の小さな魔物がうずくまっていた。
銀色の毛並み。額には小さな角。現代ダンジョン産の「スパーク・キャット」の幼体だ。本来は雷属性を帯びて活発に動き回るはずだが、今はその毛並みが薄汚れ、目には生気がなかった。
「……ひどい。これ……」
陽菜がそっと近寄り、幼体の足元を確認する。そこには、異様な色をした粘着性の液体がこびりついていた。
「佐藤さん、見てください! この子の周り、変な液体が……。魔力のヘドロみたい」
『……解析中。チッ、やっぱりか。これ、高濃度の魔力廃棄物の廃液だ。陽菜、その液体に直接触るなよ』
佐藤の声が、苛立ちを孕んだものに変わる。同時に、イヤホンに久我の静かな声が割り込んできた。
『結城さん。その液体の容器の破片がないか探しなさい。佐藤君、周辺を通行した車両の記録をすべて洗え。……不法投棄だ』
陽菜は慎重に、周囲を探索した。
スパーク・キャットの幼体が、怯えたように小さな鳴き声を上げる。
「大丈夫だよ、怖くないからね。……あ、あった! 社長、ドラム缶の蓋があります! ロゴマークが……タイタン・リサイクルって書いてあります!」
『……タイタン・リサイクルか。タイタン・コア社の子会社だな。以前解体したはずだが、まだ小賢しく小銭を稼いでいる輩がいるようだ。……佐藤君。当該企業の現行の廃棄物処理契約書を強制閲覧しろ。陽菜さん、その個体を保護しなさい』
数十分後。
工事現場の出口で、一台の大型トラックが、突如として目の前に現れた「完璧なスーツ姿の男」によって進路を塞がれていた。
「なんだ、お前は! どけ!」
トラックから降りてきたのは、ガラの悪い作業員たちだった。
久我は、懐から一通の書類を取り出し、無機質な視線で彼らを射抜いた。
「失礼。私は久我ソリューションズの久我と申します。貴殿らが先ほど不法に処理された魔力廃液について、事務的なご説明を伺いに参りました」
「あぁ? 証拠でもあるのかよ!」
「証拠なら、既に私の部下が確保し、デジタルアーカイブへの登録を完了しております」
久我はタブレットを提示した。
そこには、陽菜が撮影したドラム缶の蓋、そして佐藤がハッキングで取得したトラックのGPS移動履歴が、一分一秒の狂いもなくリンクされていた。
「廃棄物処理法第十六条違反。……さて、ここで私が提示する和解案に応じますか? それとも、このデータを今すぐ都知事とギルド再建委員会へ送信しましょうか?」
トラックの作業員たちは、久我の圧倒的な「正論」と、その背後から現れた、元気を取り戻したスパーク・キャットを抱える陽菜、そして唸り声を上げるクラの威圧感に屈し、震える手で示談書に署名した。
夕暮れ時。
陽菜は、元気になったスパーク・キャットを保護区域へと逃がした。
幼体は一度だけ陽菜の方を振り返り、「ニャッ!」と鳴くと、銀色の閃光となって消えていった。
「社長、私……今日、少しだけ分かった気がします。悪いことをした人にちゃんとルールを守らせるのが、あの子たちの未来を守ることになるんですね」
「……佐藤君。新人の評価に理解力の上昇を追記しておいてくれ」
『はいはい、了解。……でも陽菜、お前。その猫を助ける時に汚れた制服のクリーニング代、さっきの慰謝料から引いとけよな』
無線越しに、佐藤の少しだけぶっきらぼうだが温かい声が響く。
事務所に戻ると、ソファの上でコトが欠伸をしていた。
『いやぁ、お疲れさん。久我はんの正論は、今日もキレキレやね。まるで「古都の用心棒」やわ』
久我は通訳することなく、ただ心の中で「それは時代劇だ」と毒づき、次の書類を開いた。
久我ソリューションズ。
完璧な事務手続きと、少しの「お節介」が同居するこの場所が、ようやく一つに噛み合った瞬間だった。
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次回お楽しみに。




