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現代ダンジョンの苦情係 〜元クレーム処理担当の俺、魔物の言葉がわかるので菓子折り一つで世界を救う〜  作者: ぱすた屋さん


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【対応記録:第04回】



現代ダンジョン管理ギルド、日本本部。

新宿の喧騒を見下ろすようにそびえ立つそのビルは、最新の魔導技術と建築学が融合した、文字通りこの国で最も「力」が集まる場所の一つだった。


エントランスを通り抜けるのは、高価な魔導素材の鎧を纏った探索者や、忙しなくタブレットを操作する魔導技師たち。その中で、クリーニングから戻ったばかりの地味なビジネススーツに身を包んだ久我は、明らかに異質な存在だった。

だが、彼自身はそんな視線を気にする余裕すらなかった。


「……空調が悪い。魔力循環のフィルター、半年は交換してないな、これ」


ロビーに足を踏み入れた瞬間、耳の奥に届く「建物の不満」を無意識に分析してしまう。

壁の中に張り巡らされた魔導回路が、負荷に耐えかねて微かな悲鳴を上げている。久我にとって、このビルは壮麗な本部などではなく、メンテナンスを怠った老朽化したコールセンターと同じ類のものに見えていた。


「久我様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


案内されたのは、ビルの上層階にある、重厚な扉に閉ざされた特別応接室だった。

中には、三人の男女が座っていた。中央に座るのは、五十代半ばと思われる、眼光の鋭い男。名は早乙女。ギルドの現場運用部を束ねる実力者であり、かつてはSランク探索者として名を馳せた男だ。


「昨日の三丁目での一件、報告は受けている。……だが、私は報告書というやつをあまり信用していなくてな」


早乙女は久我の履歴書を指先で弾いた。

「カスタマーセンターのマネージャー。クレーム処理のプロ、か。魔物の専門家でもなければ、魔法の素養も皆無。そんな男が、言葉の通じない魔獣を『説得』したなどと、現場の若い連中が夢でも見たのではないかと疑っている」


「……左様でございますか。ご不審を抱かれるのは、組織の防衛本能として至極真っ当な判断かと存じます」


久我は椅子に深く腰掛けることもなく、背筋を伸ばし、完璧なビジネス用の表情を維持した。

「ですが、私は『説得』などという高尚なことはしておりません。ただ、現場の状況を確認し、適切な対応を執ったまでです」


「ふん。口だけならいくらでも言える。……そこでだ、久我君。君のその『適切な対応』というやつを、ここで見せてもらおう」


早乙女が合図を送ると、応接室の奥にある強化ガラスの向こう側に、一つの大きな檻が運ばれてきた。

中にいたのは、全身が逆立った毛で覆われた小型の魔獣、レイジ・グレムリンだった。


「キィィィィィィィィィィッ! ギギィッ、ギャァァァッ!」


グレムリンは狂ったように檻の鉄格子を叩き、口から泡を吹いて暴れている。

レイジ・グレムリンは、その名の通り常に「怒り」の状態にあることで知られる魔物だ。一度興奮状態に入れば、死ぬまで止まらないと言われている。


「この個体は、あるダンジョンから捕獲されて以来、三日間飲まず食わずで暴れ続けている。精神干渉魔法も、鎮静剤も効果はない。……こいつを十分以内に静めてみせろ。それが採用の条件だ」


早乙女の隣に座る試験官たちが、嘲笑を含んだ視線を久我に向ける。

彼らにとって、魔法も武器も持たない男がこの化け物を相手にするなど、見世物以外の何物でもなかった。


久我は、ガラス越しにグレムリンを見つめた。

周囲には、激しい金属音と絶叫しか聞こえていない。だが、久我の耳には、その絶叫が全く別の、しかし彼にとっては聞き慣れた「クレーム」として届いていた。


(……喉が! 喉が焼けるように痛いんだよ! なんだよ、この部屋は! 乾燥しすぎなんだよ! 誰か、この変な匂いを消せよ! 息が苦しくて死にそうなんだ!)


「……なるほど。一次対応としては、非常に初歩的な案件ですね」


久我は溜息をつくと、早乙女に向き直った。

「早乙女様、一つ伺いたいのですが。この部屋の湿度設定は、現在何パーセントでしょうか」


「……何? 湿度だと? 知らん、二十パーセント程度だろう。魔導機器の保護のために除湿を徹底しているからな」


「左様ですか。……それは、お客様への配慮を著しく欠いた設定と言わざるを得ません」


久我は、自身のブリーフケースを開けた。

中から取り出したのは、一本のペットボトルの水と、どこにでも売っている一袋ののど飴だった。


「十分も必要ありません。三十秒で十分です」


久我はためらうことなく、檻の側にある給餌用の小さなスロットに近寄った。

試験官たちが「危ない!」と叫ぶが、久我は動じない。

檻の隙間から、逆立った毛の間にあるグレムリンの鋭い爪が久我の指先を狙う。だが、久我はその爪を、まるで窓口に突き出された理不尽な要求書を受け流すかのように、最小限の動きで回避した。


「お客様、失礼いたします。まずは、この乾燥した不快な環境。並びに、三日間も適切なケアを怠りましたこと、管理側の怠慢として深くお詫び申し上げます」


久我は、のど飴を一粒、グレムリンの口元へと差し出した。

蜂蜜とカリンのエキスが配合された、保湿効果の高い最高級ののど飴だ。


「キィッ……?(なんだ、これ……甘い匂い……)」


「喉の炎症を抑える、消炎成分配合のキャンディでございます。お口に含んでいただけますと、その焼けるような不快感が和らぐかと存じます。……さあ、どうぞ」


久我の声には、魔力も威圧もなかった。

だが、そこには何万回という罵倒を撥ね退けてきた、プロの「安定感」があった。

グレムリンは、一瞬だけ動きを止め、久我の目を見た。

その瞳には、恐怖も、殺意も、あるいは憐れみもなかった。

ただ、「あなたの問題を解決しに来ました」という、揺るぎない事務的な誠実さだけがあった。


グレムリンは、恐る恐る飴を一粒、口に含んだ。

その瞬間、喉の奥に広がる潤い。三日間、悲鳴を上げ続けて腫れ上がっていた粘膜が、優しく包み込まれていく感覚。


(……あ、……ああぁ……。痛くない。喉が、痛くない……)


「キィ……ギィ……」


先ほどまでの狂暴な咆哮が、嘘のように止まった。

グレムリンは檻の隅に静かに座り込み、うっとりとした表情で飴を舐め始めた。


静寂。

応接室の中に、息を呑む音だけが響いた。


「……何をした?」


早乙女が、呆然と呟いた。

「魔法も、スキルも使わずに……。飴玉一つで、レイジ・グレムリンを黙らせたというのか?」


「『黙らせた』のではありません。『納得していただいた』のです」


久我は、ビジネスバッグを整えると、再び正面を向いた。

「彼は暴れたかったわけではない。ただ、不快な環境に対する異議申し立てを、彼なりの方法で行っていたに過ぎません。……さて、早乙女様。試験の結果は、いかがでしょうか」


早乙女は、しばらくの間、無言で久我を見つめていた。

その視線は、もはや不審なペテン師を見るものではなく、未知の脅威、あるいは希望を見守るものへと変わっていた。


「……採用だ。久我。君を、現代ダンジョン管理事務局、現場対応課……通称『苦情係』に任命する」


「ありがとうございます。……一点、確認させていただきたいのですが。就業規則にございます通り、定時は十七時、土日祝は完全休みということで、相違ございませんね?」


「……ああ、構わん。ただし、君にしかこなせない仕事が山積みになるだろうがな」


早乙女のその言葉が、単なる脅しではないことを、久我はまだ知らなかった。

彼が手にする新たな身分証。そこには「苦情係・係長代理」という、ギルド史上、最も地味で、最も過酷な肩書きが刻まれていた。


久我がギルドビルを後にした時、時刻はちょうど定時を少し過ぎたところだった。

空には茜色の夕焼けが広がり、ビルの谷間から吹き抜ける風が、彼の頬を撫でた。


「……さて。明日の初仕事に備えて、今日は早く寝よう」


久我は、まだ誰もいない地下のオフィスへと続く辞令を胸に、静かな足取りで駅へと向かった。

こうして、力による解決が常識だったダンジョン運営の世界に、一人の「事務屋」が革命をもたらすための第一歩が刻まれたのである。


第4話、お読みいただきありがとうございました!

ついにギルドへの入局が決定しました。魔物を「討伐対象」ではなく「顧客」として扱う久我の姿勢が、現場のプロたちに衝撃を与えるシーン、いかがでしたでしょうか。


【今回のこぼれ話】

久我がグレムリンに渡した飴は、実は彼がコールセンター時代に「自分の喉を守るため」に箱買いしていた、一袋八百円もする少し高級なものです。彼にとって、のど飴は単なるお菓子ではなく、戦場に赴くための弾薬のようなものでした。


【次回予告】

晴れてギルド職員となった久我。

だが、彼に与えられた「オフィス」は、地下三階の物置小屋のような場所だった。

さらに、そこにいたのは、やる気ゼロの窓口担当と、山のように積まれた理不尽な苦情の束。

記念すべき初仕事は、公園のベンチから一歩も動かない「巨大猪」の立ち退き要請。

エリート探索者ですら手が出せない頑固な猪に対し、久我が突きつけた「驚愕の事実」とは?


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