【対応記録:第10回】
真夏の新宿。地上ではアスファルトが陽炎を上げ、人々が辟易しながら日陰を求めて歩いている。
そんな酷暑の中、都庁前駅から続く巨大な地下通路の一画が、突如としてマイナス二十度の極寒に包まれた。
「……ありえない。なんでこの猛暑に、地下通路が凍結してるんだよ!」
現場に急行したBランク探索者パーティが、氷に閉ざされた通路を前に立ち往生していた。
壁面は厚い氷に覆われ、天井からは巨大な氷柱が垂れ下がっている。その中心に佇んでいるのは、白装束を纏い、透き通るような白い肌を持つ魔物――雪女だった。
彼女が溜息を吐くたびに、周囲の空気はさらに凍りつき、避難し遅れた会社員たちがガタガタと震えながら救助を待っている。
「排除しろ! このままだと地下鉄の運行にも支障が出るぞ!」
探索者たちが火属性の魔法を放とうとした、その時だった。
「――お待ちください。その魔法、逆効果です」
氷の床を、特殊なスパイクを付けたビジネスシューズでカツカツと鳴らしながら、一人の男が歩み寄ってきた。
久我だ。その足元には、お揃いの滑り止め付きの靴(特注の備品)を履いた黒い毛玉、クラが「ワンっ!」と元気に続いていた。
「またあんたか、苦情係! どけ、これは災害だぞ!」
「いいえ。これは災害ではなく、設備の『管理不備』による正当な異議申し立てです」
久我は、震える手でタブレットを操作している佐藤を背後に従え、雪女の正面へと立った。
雪女は狂ったように冷気を放ち、耳を突き刺すような悲鳴を上げている。
(……暑い! 暑すぎるんだよ! なんだよこの壁の裏の熱は! 殺す気か! 溶けてなくなっちゃうじゃないか!)
久我の脳内には、彼女の絶望的な叫びが、まるで真夏の室外機の故障に怒る顧客の声のように届いていた。
「……なるほど。佐藤さん、この壁の裏にある設備を確認してください」
「え、ええと……あ、ありました。この壁のすぐ裏、大手IT企業のメインサーバー室です。さらにその下には、地下鉄用の高圧送電線が通っています」
「やはり。……お客様、長らくお待たせいたしました」
久我は、猛烈な吹雪の中に一歩踏み出した。
まつ毛が凍り、吐く息が白く固まる。だが、久我の表情は、冬のクレーム対応で雪国へ飛ばされた時と同じ、プロの平静を保っていた。
「現代ダンジョン管理ギルド、苦情係の久我と申します。……このエリアの異常な熱源放射により、多大なるご不快な思いをさせておりますこと、管理責任を負う立場として深くお詫び申し上げます」
久我は、凍てつく床の上で、完璧な辞儀を披露した。
その足元で、クラが三つの首の突起を震わせ、雪女の周囲にある「熱の淀み」を嗅ぎ取っていた。
(……おじさん、ここ、あっちっちだよ。氷のお姉さん、足の裏が火傷しそうなんだって)
「クラ君、サポート感謝します。……お客様、仰る通りでございます。この区画の断熱処理は、現代の建築基準法には適合しておりますが、冷気属性の魔物であるお客様の生存環境としては、著しく配慮を欠いておりました」
雪女の瞳が、驚きに揺れた。
(……わかるの? 私が、ただ苦しくて暴れてるだけだって、わかるの?)
「はい。誰だって、灼熱の鉄板の上に立たされれば声を上げます。……佐藤さん、至急、施設管理課へ連絡。サーバー室の廃熱ルートを一時的に地上へ逃がすよう手配。それから、冷却用の液体窒素カートリッジを三基、こちらへ」
「えっ、でもそれ、予算が……」
「『緊急の設備保守』として計上してください。私が後でハンコを押します」
久我が指示を出すと、数分後、壁の裏の唸り声のような機械音が変化した。
壁面から伝わっていた微かな振動と熱が、徐々に引いていく。
久我は、持参していた「携帯用・超低温魔法瓶」の蓋を開け、その中から最高級の氷菓子――老舗の氷屋から取り寄せた、不純物ゼロの純氷を差し出した。
「一次対応として、こちらをどうぞ。内側から冷やしていただくことで、魔力の暴走を抑えられるかと存じます」
雪女は、恐る恐るその氷を手に取った。
それを口に含んだ瞬間、彼女から放たれていた狂暴な冷気が、ふわりと穏やかな雪に変わった。
(……あ。つめたい。……おいしい。……生き返る)
周囲を覆っていた厚い氷が、春の雪解けのようにパラパラと崩れ落ちていく。
地下通路を支配していた極寒は去り、代わりに心地よい涼風が吹き抜けた。
「……信じられない。雪女を、説得したのか?」
探索者たちが呆然と立ち尽くす中、久我は雪女に、一枚の案内地図を差し出した。
「お客様。この地下通路は、今後も熱源の増加が予想されます。よろしければ、二階層下にある『氷結の小迷宮』への転居をご検討いただけないでしょうか。あちらであれば、二十四時間、理想的な低温環境が保証されております。……あ、引越し費用は当ギルドの管理不備への補填として、全額負担させていただきます」
(……行く。あっちなら、ゆっくり眠れる……?)
「はい。我々苦情係が、快適な居住環境を保証いたします」
雪女は、感謝するように一度だけ久我に微笑むと、霧のように消えて二階層下へと去っていった。
後に残されたのは、水浸しになった地下通路と、命を救われた会社員たちの拍手。
そして、濡れたネクタイを面倒そうに直す、一人の事務員だった。
「久我さん、やりましたね! 初コンビでの解決ですよ!」
佐藤が興奮気味に駆け寄ってくるが、久我はすでに腕時計を確認していた。
「……佐藤さん。喜び半分、仕事半分です。この後の清掃業者への手配と、IT企業への廃熱に関する改善勧告書の作成が待っています。……あ、定時まであと三十分。急いで戻りましょう」
(……おじさん、かっこよかった! でも、次はお肉の苦情がいいな!)
クラが元気よく跳ね、久我の後に続く。
地下通路に、日常の喧騒が戻っていく。
だが、その喧騒を支えているのは、暴力ではなく、プロの「調整」なのだということを知る者は、まだ少なかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第10回、雪女の「エアコン苦情」事件、いかがでしたでしょうか。
クラとの初コンビでの解決。久我の「魔物側の視点に立った環境改善」が、大きな惨事を未然に防ぎました。
【今回のこぼれ話】
久我が雪女に渡した「氷菓子」。実はこれ、新宿の老舗かき氷店から「管理不備のお詫び品」として、久我が自腹で予約購入していた特選品でした。魔物に渡すときの久我の心境は、「領収書、落ちるかなぁ……」という一点に集中していたそうです。
【次回予告】
雪女の事件で、ギルド内での知名度が上がり始めた苦情係。
Sランクパーティ「雷光の翼」との再会時にとある事が…
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