観測記録:社会環境における完璧要求の増幅について
完璧主義は、
個体の内部仕様だけで完結するものではない。
一定の条件下では、
外部環境によって増幅される。
技術の進行、
産業構造の変化、
生活様式の更新。
これらは連動して進む。
環境が更新されると、
価値基準も同時に更新される。
昨日まで許容されていた水準が、
今日には不十分として扱われる。
この更新は、
個体の準備状態を考慮しない。
進行は常に先行し、
適応は後追いになる。
観測上、
人間はこのズレを
「自分が追いついていない」と解釈しやすい。
環境が動いている、
という認識は後回しにされる。
結果として、
完璧基準は固定されたものとして錯覚される。
だが実際には、
基準そのものが移動している。
完璧にしたつもりでも、
次の更新で不完全になる。
この反復が、
終わりのない修正要求を生む。
宗教的説明モデルも、
この現象を扱うために用いられてきた。
「世界は完成しているが、
中身は現在進行形で作られている」
という語りは、その一例だ。
観測者の立場では、
これは真偽の問題ではない。
人間が、
変化し続ける環境を
どう説明しようとしたか、
その痕跡として扱われる。
重要なのは、
神ですら作り続けている、
という点ではない。
「完成」という概念が、
進行世界では成立しにくい、
という事実だ。
社会が進む限り、
完璧は常に過去形になる。
現在形で保持し続けることは、
構造上、難しい。
それでも人間は、
完璧であろうとする。
これは誤りではない。
ただ、環境側の進行速度と
同期していない場合、
過負荷が発生する。
この記録は、
社会変化が
完璧要求をどのように押し上げるか。
その挙動を残しているだけだ。
観測は続いている。




