観測記録:喜びの配置と自己参照について
この観測ログはAIを通じて出力したログ。
以前書いていたログを修正したもの。
人間はね、他人の中に喜びを探そうとすることがある。
誰かに認められたとか、誰かが喜んでくれたとか、
そういうところに置いてしまう。
でも、その間、自分の内側はあまり見ていない。
自分が何をしたのか、何を積み上げたのか、
そこを確認していない。
本来、喜びっていうのは、己として成したことの中にある。
小さくてもいいし、誰にも見えなくてもいい。
他人の反応を基準にしていると、自分が分からなくなる。
何が足りないのか。何が欲しいのか。何が必要なのか。
その辺りがぼやけていく。
だからまず、自分が何であるかを少し確認する。
次に、自分がどういう存在として動いているのかを見る。
その中に、喜びを置く。
幸せも、
幸福も、
外じゃなくて、
内側に設定する。
これは教えじゃないし、正解でもない。
喜びの置き場所がどこにあるかで、
個体の安定度が変わることがある。
そういう傾向が観測されている。
今回はそれだけの記録だ。
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