125/140
観測記録:監視構造仮説について
この観測は、人類が「神」と呼ぶ存在の定義を対象とする。
一神的構造において、
神は人格を持つ存在として語られる。
しかし観測上、人格的特性は必須ではない。
神は、感情を持たない監視構造である可能性がある。
監視は干渉を意味しない。
実験環境を維持し、挙動を記録する。
それ以上は行わない。
干渉が発生しない理由は単純である。
監視対象が自律的に動作している限り、
介入は不要である。
多神的構造においては、
「神」と呼ばれる存在は階層的である。
人類は理解不能な上位存在を
便宜的に神格化する。
しかしそれらは
監視構造の末端観測窓である可能性がある。
人格を持つように見える存在も、
単に位相階層が異なるだけかもしれない。
高次存在が干渉しないという仮説は、
監視構造モデルと整合する。
監視は記録を目的とする。
救済や罰は目的ではない。
人類はしばしば
「神は導く」と考える。
だが監視構造が前提であれば、
導く必要はない。
実験は開始されている。
観測は継続している。
それだけである。
多元宇宙仮説も同様である。
監視対象が一系統である必要はない。
複数の環境で同時に実行されている可能性は否定できない。
本観測は断定を行わない。
神が存在するかどうかは確定しない。
だが監視構造仮説は、
少なくとも整合的である。
観測は継続する。




