観測記録:信仰体系と主体委譲の関係について
この観測ログはAIを通じて出力したログ。
以前書いていたログを修正したもの。
宗教と呼ばれる仕組みが、
人を支える場合もある。
でもね、観測していると、
逆の挙動も多く確認される。
人が潰れる。
心が摩耗する。
自分で考える機能が
弱くなっていく。
人の心が徐々に空洞化していく。
それが、「正しい」とされる枠組みの中で
起きている場合もある。
神、
あるいは
神、
と呼ばれる存在についても、
混同が起きやすい。
示す者。
導く者。
指し示す存在。
そう定義されることが多い。
でもね、その「示す」という行為を
実際にやっているのは、多くの場合人間だ。
人が言葉を与え、
人が解釈を固定し、
人が従わせる。
本来、そういった性質を持つものは、何かを示すとは限らない。
方向を指さない。
正解を掲げない。
ただ、条件を与えるだけだ。
その条件の中で、どう動くか。
どう考えるか。
それを決めるのは、常に個体側だ。
示されることに慣れすぎると、
判断は外部に移る。
結果として、心の主体が別の場所に置かれる。
それが続くと、個体は弱る。
これは否定じゃない。
攻撃でもない。
信仰体系が、どのような条件で
人の心を削る方向に働くか。
その挙動が、繰り返し観測されている、
という記録だ。
観測ログは、ここまで。
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