観測記録:受信情報と自我肥大の関係について
この観測ログはAIを通じて出力したログ。
以前書いていたログを修正したもの。
本来ね、受信とか、直観とか、
感覚入力って呼ばれるものは、
あまり安定していない。
曖昧だし、揺れるし、
そのまま信用できるものでもない。
だから普通は、一度「自分」という輪郭を
少し薄くする必要がある。
でも観測していると、多くの個体は逆の動きをする。
不安を消したい。
自分を肯定したい。
世界に意味を持たせたい。
そういう理由で、自我を強化する。
太らせる、と言ってもいい。
その結果、受信した情報の扱いが変わる。
本来は一時的な入力だったものが、
「観測」ではなくなる。
所有物になる。
自分のもの。
自分の正しさを示す証拠。
そういう位置に置かれる。
ここではっきりした差が出る。
自我が強い個体は、受け取った言葉を
自分が正しいことの根拠に使う。
だから断定する。迷いがなくなる。
一方で、自我を一段引いた個体は、
同じ言葉を正体の分からないログとして扱う。
何かは分からない。正しいとも言えない。
だから断定できない。
観測上、後者の挙動はかなり少ない。
自我がないわけじゃない。
ただ、主役の位置に置いていない。
それだけだ。
観測者の立場から見ると精神世界と呼ばれる領域では、
よく似た挙動が繰り返されている。
「自我を溶かす」と言いながら、
実際には自我を中心に世界を再配置している。
その構造では衝突が起きる。
解釈が増える。
教義が増える。
他者否定が発生する。
これは性格の問題じゃない。
構造上、そうなる。
これは評価じゃない。
批判でもない。
そういう挙動が一定の環境下で
繰り返し観測されている。
それだけの記録だ。
観測ログは、ここまで。
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