不明瞭な何か
4月視点
4月はインターンを除いて新入社員のための入社式のようなものはなく、決算も12月なので、新年度に浮かれる雰囲気はない。
だが複数の取引先が、新たに着任した人材を僕に紹介する場が多く設けられ、日本の学校や多くの会社にとっての「新年度の始まり」を感じさせる。
「白井彩香と申します。4月よりお世話になります。」
バンツスーツに身を包み、少し緊張気味に挨拶する彩香さんは、おそらく25歳には満たないだろうと思える若い女性で、上司とともに僕に挨拶に来た。
「よろしくお願いします。ウチの会社、、、というか結局は私になってしまうんですが、納期やレスポンスを求めることが多くなると思います。でも、ご無理せずに、ほどほどにご返答いただければ」
と、僕はなるべく本心を伝えるよう努めた。彩香さんの上司とは数年来の付き合いで、僕の要求の厳しさに四苦八苦しているのは知っている。きっと彩香さんもそのことは聞かされているだろう。
新しい人員が揃い、僕の拠点の体制が少し落ち着いた頃、取引先も含めた歓迎会が開かれることになり、僕も出席することを伝えていたが、業務に追われ、予定していた集会には結局不参加となった。その埋め合わせとして、彩香さんとその上司、そして僕の部下を交えたささやかな食事会を開いた。
控えめな彩香さんと少し話してみると、どこか“生きづらさ”を抱えているような印象を受けた。毛色は違えど、その感覚には僕自身にも通じるものがあり、異性としての意識はなく、ただその共鳴するような感覚に惹かれるところがあった。年齢も父親に近いほど離れている僕は、彩香さんにとってただの顧客、警戒すべき相手に過ぎないのだろう。
真里に連絡がつかない日々の中で、予定のない日にはスバルと湘南の海を眺めたり、箱根の道をひたすら走ったりと、ひとり気ままに過ごしていた。
そんな時、ふと「生きづらさ」という言葉が頭をよぎり、彩香さんのことを思い出した。
「暇なので、ドライブでも行きませんか」
気まぐれに誘ってみた。仕事上の関係を利用しているわけではなく、ただ純粋に気分転換をしたいだけだと伝えると、彩香さんは少し戸惑った様子で、
「私なんかでいいんですか?」
と控えめに答えた。
「もちろん。本当に気分を変えたくて、それだけです」
それから月に一度ほど、真里がいない週末には彩香さんとの“1時間ドライブ”が続くようになった。彩香さんは僕の過去の話や今現在の真里との話に静かに耳を傾けていた。
「エモいですね」
そう言いながらも、どこか乾いた印象がある彩香さん。
「どっちかが本気になると、だいたい本気の方が負け、じゃないですか。だから、適当に遊んでる方が気楽ですよ。期待なんかしてもしょうがない気がしますけど」
彩香さんの手はテーブルを指で軽く叩きながら、リズムを刻むように動いていた。
「俯瞰すればだよね。。。そういう答えにも至るかもね」
彼女は迷いなく、続けた。
「それでいいんですよ。大事なものなんて、最初からない方が楽だし」
その声には、冗談とは思えない硬さが混じっていた。
「ただ、聞いてる話だけで言えばですよ。この先がどうなるかまったくわかりませんね」
なぜかその一言を聞いた時、僕は少しだけ嬉しかった。彩香さんの視点は、“この先が読めない”というのだ。
真里との未来を考えることはほとんどなくなっていた。治る見込みのない真里の体調、すれ違いの多い日々――そのすべてが、終わりを予感させていたからだ。
それでも、“その結末が想像できない”という彩香さんの言葉は、わずかばかりの期待や安堵を心の片隅に芽生えさせた。
真里との連絡頻度が月に数回にまで減り、空白に近づくこの時期、彩香さんとのドライブは光を埋めるような時間であり、そして僕の日々に闇が覆い被る。
不明瞭な何か
真里は休職期間を使い果たし、ついに復職しなければいけない状況に追い込まれていた。
「いつから復帰するの?」
真里は少し間を置いてから答えた。
「6月には復帰しなければならないです。でも、仕方のないことですね。」
その声には、現実を受け入れることへの諦めが滲んでいた。僕はただ、彼女の気持ちを慮るように言葉を重ねるしかなかった。
「焦らずにね。力になれることがあれば良いのだけど……。」
「上司の理解は得られているのですが、会社のルールもあって。」
そう言う彼女の声には、どこか冷静さがあった。僕も閲覧することができる彼女のスケジュールを見ると、在宅勤務の日が多くを占めてはいるものの、時折、新たにローンチする拠点への外出も含まれていた。
一方で、僕の日常は相変わらずのままだった。心情的な優先度はもちろん真里が一番であったが、それを理由に仕事を疎かにするわけにはいかない。離婚協議も妻が働き先を退職したと聞き、離婚後の妻や娘の生活もあるため、協議自体が滞っていた。僕はまるで現実に押し潰されるかのように感じていた。
“考える時間が欲しい”
キャリアアドバイザーから送られる求人も長野の企業と同じく書類すら通過せず、転職の道は険しかった。この状況では、今の職場に留まりながら機会を待つしかない。
真里のスケジュールは、見ないように努めることにした。彼女の外出の日を狙って連絡しても、彼女の体調が万全でないことは分かりきっているし、僕自身も何かを期待しては叶わず、落胆することになるだけだろう。
期待しては自分が傷つくのを避けるためにも、彼女の情報をあえて遮断するように心がけた。それは同時に、真里に対しても良いことだと思いたかった。
「今日もお疲れ様でした。無理をしてはいけないよ、真里さん。」
数日に一度はそんなメッセージを送り、彼女を気遣うことで自分の気持ちを保つようにしていた。
その日、午後から我が社の中途採用向けwebセミナーなるものがあり、僕は20分ほどの発表を任されていた。朝から喉の調子が悪く、緊張も手伝って疲弊していたが、発表を終え、通信を切った後、ようやく安堵と共に体が重く沈むようだった。鎮痛剤を飲んでスバルで自宅へと戻り、倒れ込むようにベッドに潜り込んだ。
数時間後、激しい寒気で目が覚め、熱は40度を超えていた。意識が朦朧とし、思考も途切れ途切れで、真里に対する苦しささえも消えていた。
「このまま僕が終わってしまえば良いのに」
現実から逃れられることへの安らぎすら感じた。朝、なんとか意識を取り戻し、上司と部下に休む旨、引き継ぎをメッセージで送信したものの、熱は下がらず眠ることもできなかった。
真里に体温計の画像を添付してメッセージを送った。まるで子供だ。真里に心配してもらいたかった。
「あらら、大変ですね。病院に行きましょう。」
彼女からの返信はすぐにあったが、どこか淡々としたもので、
「お悩み相談室かよ」
心の中で毒ついた。
流行のウイルスだったため、5日間の出勤停止が言い渡され、家で仕事を続けるしかなかった。僕にはそれ以外にできることがなかった。
その頃、真里は会社の休職制度も限界が近づき、給与も減少する一方だろう。彼女を支えたいと思いつつ、直接的に頼ってくれとは言えずにいた。同じ意味合いで別の言葉を模索し、僕はメッセージを送った。
「真里さん、真里さんに負担をかけてしまったことを凄く後悔しています。真里さんは綺麗だし、俺は本当に真里が大切です。真里、何も心配をせず頼って欲しい。」
「ありがとう。」とだけ返信が返ってきた。
それだけで良かったのかもしれない。真里も今は横になっているだけで精一杯なのだろう。僕は「こちらこそ、ありがとう」と心の中で呟いた。
そして数日後、彼女から電話があった。
「やはり退職することになりました。治療に専念します」
「うん、それが良い。この前伝えた様に、俺の気持ちは変わらないよ。」
「ありがとう。ごめんね。」
「ごめんね。」は何を指すのか。
彼女が退職したのは、真里の誕生日の1週間後だった。
「一緒にケーキを食べて欲しい」――つい1年前の真里の言葉だ。
今は僕は一人だった。
会社から真里が退職する旨のアナウンスメールが送信された。そのメールに
「お疲れ様」
とだけメッセージを送った。その日の午後、別の拠点で働く同僚から突然メッセージが届いた。
「真里さん、退職でしょう。やっぱり体調悪かったのだね。でも彼女とアドレスの交換してもらったよー」
「えっ?彼女からすぐに返信があったの?」
と僕は思わず焦って聞いてしまった。
「オマエも変なこと聞くな?どうしたの?」
「あ、いやいや、彼女は体調悪いと噂を聞いていたから……」
「なに言ってんの?今日は本社に出勤しているよ。」
僕は心が震えた。僕の「お疲れ様」には返信がなかったが、同僚にはちゃんと対応している。許せなかった。感情が高ぶったまま、同僚とのやりとりのスクリーンショットを真里に送り
「俺にはこういう聞きたくないことが、聞いてもいないのに入ってくる。本当にやめて欲しい」と感情に任せて送信した。
真里は丁寧な人だ。きっと、最後の別れだから同僚のみんなが真里の退職を惜しみ、それぞれが彼女に感謝を伝え、彼女もそれに応えるべきだと思ったのだろう。アドレスを聞かれて、答えないわけにもいかなかったかもしれない。それなのに、僕は嫉妬に駆られてしまった。
2023年の8月に僕は逃げた
もう無理だ。やっぱり我慢できない自分本位な僕がいる。真里を不幸にしてしまう。まただ。また人を不幸にする。
翌日、真里にメッセージを送った。
「体調は如何かしら。昨日はごめんなさい。最近は謝ってばかりな気がします。負担ばかり掛けていてしまったけど、色々な楽しい思い出が蘇ります。ありがとう。真里のことは忘れない。」
そして、彼女が持っていた僕の家の鍵の返却先を伝えるため、住所をメッセージに添えた。
既読はついたが、彼女からの返信はなかった。
これこそが真里に対して僕が自分勝手に負担を掛ける証だ。盲目となり、術がなかった弱い僕にはこの方法で自分の尊厳を守る他、なかった様に思える。
2023年9月
日々の業務をこなしていた。しかし、真里が立ち上げに関わった拠点へ向かうたびに、心の奥にズシリと重い痛みが響いてくる。いや、痛みどころか、胸がえぐられるような辛さだ。
その拠点には、真里と共に立ち上げを支えた同僚たちがいる。ある日、そんな同僚の一人がふと口にした。
「真里さん、退職しちゃって残念ですね。」
言われた瞬間、何もかもが静止したような気がした。胸に湧き上がる言葉を飲み込みながら、僕は表面だけの当たり障りない言葉を返した。
「そうですね。体調不良と聞いていましたから…心配ですね。」
すると、彼は軽い調子で続けた。
「でも、バイト始めたみたいですよ。」
「えっ?体調不良じゃないの?」
僕の声が裏返るのを感じた。
その微妙な「えっ?」に彼も違和感を感じたかもしれない。
「なんか働き始めたみたいですよ…」
僕は何かを悟られないように努めて表情を整えながら、少しぎこちなく答えた。
「そうですか、仲が良いんですね。」
「まあ、たまにメッセージやり取りしてますし、なんなら今メッセージ送ってみましょうか?」
その瞬間、僕は心の底から焦りが込み上げ、取り乱してしまった。
「いや、いい、いいです…余計なことはしないでください。」
余計なこと。。自分の声の震えがわかる。彼がさらに違和感を覚えたこともわかる。僕の立場も何もかもが危うく揺らいでいる。
その帰り道、スバルを運転しながら頭の中でぐるぐると考えが巡った。「バイトを始めた」「メッセージをやり取りしている」「今からメッセージを送れるほど、気軽にやり取りできる間柄だ」──そんな断片的な情報が、また怒りとなって胸の中で膨れ上がっていく。
“どういうことなんだろう?嫌いなら嫌いだと、そうはっきり言ってくれればいいのに。これが彼女の本音なのか?“
心の中で繰り返すたびに、静かな怒りが沸騰していく。
9月が終わっても、真里からの音沙汰は何もなかった。
簡単でない事と簡単な事
10月キャリアアドバイザーから一通のメッセージが届いた。
「大阪に本社を構える企業さまから面接のお申し込みがございました。おめでとうございます。」
メッセージには、近日の平日昼間にWeb形式で一次面接を行いたい旨と候補日が記されていた。僕は一度詳細を確認しながらも、心ここにあらずだった。8月初旬に送った別れと鍵の返却リクエストメッセージ以来、真里からの連絡は一切なかったからだ。同僚からの「バイトを始めた」と聞きたくもない情報も悪さして、葛藤が続いていた。
“治療に専念しているから仕方がない”
と自分を納得させようとする一方で、
“でも他の男とはメッセージできるんだろう”
と、心の奥底に嫉妬が渦巻く。鍵を返すだけなら、封筒に入れてポストに入れるだけの3分で済むことだろう。簡単な事をしない真里に、
“結局その程度の思いだったのか”
と失望感が湧き上がった。
キャリアアドバイザーからのメッセージに改めて目を戻し、紹介された企業について調べ始めた。健全性や募集要項には申し分なく、年収の参考額も上限に近い提示があれば悪くない。ただ、その上限額ですら今の収入の2/3に届かないが、離婚後の娘の生活を支えるためなら十分だった。
面接当日、会社には休みを申請して在宅勤務をこなし、面接の時間だけ抜けることにした。Webルームに入り、
「はじめまして。ご応募いただきましてありがとうございます」
と挨拶され、画面には6人の人事担当者が映し出された。
“ずいぶん手が空いているんだな”と、なぜかそんな皮肉が頭に浮かぶ。
面接は予想通りの質問が続き、僕は淡々と、愛想よく答えていった。予定時間より10分早く終わり、すぐにキャリアアドバイザーから着信が入った。
「二次面接に進んでいただきます。最終面接になりますが、いくつかの課題をご提出ください。面接は対面形式になります。」
淡々としたその流れに拍子抜けしたが、課題も適度にこなし、求められた期限より1週間早く提出した。
対面面接の日には、祖父の葬儀以来の正装を身にまとった。革靴の硬さが足に食い込み少し痛かった。この数年間、真里にしか見せたことのない笑みを浮かべ、面接会場と称される会議室に入ると、対面には工場長と人事課長が、そして右手のモニターには大阪本社の色々な肩書きのある人々が映し出されていた。
面接官が質問をする隙を与えないように、次の質問を予測しながら、自分で話を進めていった。中には僕を“厄介な人間だ”と感じる人もいたかもしれないが、それで構わなかった。この年齢、この職位でオファーを出してきたなら、相応のユニークさを求められているはずだと考えていた。
スバルを運転しながら小田原へ帰る道中、キャリアアドバイザーから再び着信があった。
「面接ですが、先方は好感触だったようです。1週間以内に条件提示があるものかと。まだ気は抜けませんが…」
「そうですか。わかりました」
気が抜けたような返事をした。
1週間も経たずに届いたオファーレターには、上限額に数十万円が加算された金額が提示されていた。返答には1.5ヶ月の猶予をもらった。簡単でないことが理想通りに決まった。