潮時
半年しか住んでいない街の風景が、もう薄紙みたいに剥がれ落ちていく。キャリア形成として見切りをつけることは正しい。でも鏡に映る自分は、どう見たって“ただの駄々っ子”だ。
我慢ができない虫。
飛び続けて、壁にぶつかって落ちて、また飛ぶ。。。その繰り返し。
性欲なんてものはアレ以来、壊れた蛇口みたいに完全に止まった。誰を見ても心が動かない。人の温度も恋の気配も、僕にはもう届かない。あるのは仕事だけ。
それ以外の場所では、ほとんど死んでいる。
スーパーで半額シールのおにぎりを手に取る。
44円。
コンビニの値上げを思い出す。昔は100円セールなんてやってた。今は同じ具材でも150円超え。
スーパーでは44円。
廃棄にするよりマシ、という合理性で成り立ってる数字だ。
最近はコンビニでも割引シールを貼り始めているけど、それでもスーパーの“初期値”に遠く及ばない。
格差だろうか?いや、ただの構造の問題だ。
でもおかしいのはそこじゃない。
金がない生産性の低い人たちほど、コンビニで買い物をする。値引きもない強気価格の商品を、なぜか躊躇なく買える。
後先考えず高級な車に乗り
子どもは多め
外食も多め
家庭内の金の流れは不明。
でも、なぜかそれで生活が成立する。
この国の経済を支えているのは、どう見てもこのゾーンだ。叫んだ者勝ちの仕組みと、なんとなく補助金で支えられる生活圏。その一方で、虫みたいに黙って税金を払い続ける僕は、子どもの社会的負担全額拠出している。元妻は負担ゼロ。
まるで聖人でもないのに聖人として扱われるべきで、いや。。存在自体否定されて無視されていて、ただただ搾り取られる。
。。。何でこんなやつと結婚したんだ?ふと頭に浮かぶが、今さらどうでもいい。
結局、僕はこの社会の“調整役”にされただけだった。
本当の弱者は誰だ?
声を上げられない虫なのか?
叫んだ者なのか?
あるいは、仕組みの外側に立たされている僕自身か?
答えなんてどうでもいい。
今日も誰かが叫び、誰かが得をし、誰かが損をする。
いつも通りの世界。クソ喰らえだ。
でも僕は、僕の脚で歩く。スーパーの44円のおにぎりを抱えて。スバル(ハネ)を動かしながら。




