2025年11月4日
夏が終わったと思ったら、急にくしゃみが止まらない。
その要因は、敷きっぱなしの布団にあるのだろう。そう見立てをして、汚れたベランダの手すりを水拭きし、冬用の掛け布団を干した。
マットレスには掃除機をかけ、シーツ類はすべて洗う。
水拭き雑巾を水道で洗ったとき、小学生の頃の記憶が蘇った。悴んだ手で雑巾を絞り、栄養不足だったのか、アカギレ気味の指先にツンと痛みが走る。
そんなことを感じながら、いよいよ冬支度だ。
僕という人間は、相変わらず生き急ぎ、他人からすれば早すぎるジャッジを繰り返している。
「人生の最良のタイミングは逃すまい」──そう思いながら。
これだけ失敗を重ねた僕の選択ロジックは、当然のようにAIに否定され、
彼だか彼女だか知らないデジタルの“感情風な機械”にこう言われる。
「一度、深呼吸して自分を見つめ直しては?」
まったくもって正しい。
それこそが“葛藤”という単語の本質であり、正しい人間生活の形なのだろう。
真里にメールを送った。
「マリさん、元気にしていますか?
私は相変わらず仕事に追われ、いつものように自己嫌悪に落ち入りながらも、
サッカーでひと時を過ごし、気ままに生きています。
連絡はすまい、すまいと思っていました。
でも、こんなに長い時間、気持ちが変わらないでいる自分に驚いています。
それが、少し辛くてね。
仕方のないことはあるんだと、もちろん自分に言い聞かせています。」
相変わらず、どっちとも取れない。
そのメッセージも右往左往し、定まらないままだ。
この小説を、もし死ぬ間際に読み返すことがあるなら──
僕はきっと「往生際の悪い最終フェーズだな」と笑うだろう。
呼吸し、仕事をし、食べ、寝る。
文化的な要素などまるでないが、これがこの国が保証してくれる「最低限の文化的生活」だ。
税金を多く払っている自負はある。けれど、“文化的”であるかどうかは、僕次第なのだ。
最終フェーズなのだろう。
スバルが外で待っている。
さぁ、行こう。
この先にあるか、ないかもしれない幸福を──期待せず、ただ待つことにしよう。




