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2025年9月18日の会長

本当はもう少し早く会社を出て東京に向かうはずだった。ダイレクターへのレポートのため、14時にミーティングを設定していたが、急なリスケで開始は17時となり、終わったのは18時を過ぎていた。

東京で食事を約束していた友人に「遅くなる、ごめん」と詫びを入れ、食事すらキャンセルになることを想定していたが、22時に近い会食を快く受け入れてくれた。


静岡に住んで4ヶ月が過ぎた。仕事では、そのチームの中心的な立ち位置にいる。聞こえは良いが、実際はただボールを投げられ、それを淡々と受け止めるだけの、聞き分けの良いキャリア組のオジサン。そんなところだろう。

家では仕事と韓国ドラマの繰り返し。外に出ることはますます減り、僕の生活は揺るぎなく決められたレールを歩むだけの日々になっていた。

思春期にはあんなにも型にはまることを嫌い、ガイドラインに沿うことを拒んでいたのに、今ではレールの上を自身も周囲も歩んでいないと、それが逆にストレスになる。皮肉なものだ。


「やぁやぁ、まーさん、僕だよ、加山雄三だよ」

22時の会食に付き合う友人は、先々週だかに放送されていたチャリティ番組のフィナーレで歌われていた曲を口ずさみながら、その薄くなりすぎた頭を恥じらいもなく僕に見せつけてきた。


「会長、どうも遅れてすまんです」

彼は僕の1つ上だが、もう50になる。

田舎町の中小企業で会長職を務めていそうな“成金風”の見た目をしているので、僕は冗談半分で彼を会長と呼んでいる。実際は至って実直なサラリーマンだ。


10名は座れる円卓に案内され、向き合うには遠すぎるので、席をひとつだけ開けて並んで座った。


「新天地はいかがですか? 静岡の空気はとても良いでしょう?」


「そうですね。でも僕は相変わらず人生の軸もなく、ヤサグレてます。」


「まーさんは“デキる男”だからな。そう言いながらも、上手くやってるんでしょう?」


僕と会長は、真里と同じ会社で働いていた。会長は真里を知っているが、僕と真里の関係は知らない。

それでも会話をすれば、自然とあの頃の話になる。


退職してから2年弱。その間、僕は彷徨い、転職を繰り返した。

「必要な時間だった」と自分に言い聞かせてきたが、今思えば、何も得られない空白の時間だった。


「まーさんは、あの頃のメンバーとまだつながってるの?」


「一緒にやってた上司と同僚は夏前に飲んだきりですね。そういえば、その時に“退職したメンバーだけで集まろう”みたいな話も出ましたよ」


「おっ、いいですね。会いたい人たくさんいるなぁ。まぁ、ほぼ女性だけしか会いたくないけど」


――さすが昭和が抜けきらない世代だ、と苦笑する。

僕らは本当に苦労した。部活では水を飲むことすら許されず、暴力も“耐えるためのツール”だと教えられた。

今じゃ、どの言葉が問題だったのかも分からないまま、慎重に言葉を選ぶ時代だ。


「私のお気に入りは、えみさんとかチカちゃんとか。会いたいなぁ」


「綺麗どころが好きですね、会長は」


「まーさんは誰がお気に入り?」


「僕も同じですよ。でもその人たち、結婚して子供もいますからね。対象じゃないです」


「実はここだけの話ですけど……僕、真里さん結構好きだったんですよ。ぱっと見は派手じゃないけど、なんかポテンシャルがあるというか…」


久しぶりに鼓動が高まった。

会長も、僕が真里に抱いていたあの感覚――派手さはないけれど、確かに美しいということに――気づいていたのだ。


会長は紹興酒に粗目を入れ始めた。それは会食が終わりに近づいたサインだ。


店を出て駅に向かう道すがら、会長は何年ぶりかに開催される世界陸上の国民的メインキャスターのモノマネを、人目もはばからず大声で披露した。

その姿は滑稽で、そして少しだけ眩しかった。


会長は実直な人だ。いつも僕を楽しませてくれる。

会長も僕もバツイチだが、彼はお盆に成人をとうに過ぎた娘と東南アジアに旅行に行ったらしい。別れた奥様も一緒だったようだ。

優しい人なんだ。僕とは器が違うのだ。


ホテルに着くと、久しぶりに他人の口から発せられた真里の名前が、脳裏にこだました。

僕はコンビニで買ったレモンサワーを片手に、いつのまにか眠りについていた。

とても良い人なんです。会長

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