静かに壊れていく日常の中で
僕は今日、あるプロジェクトにおける複数の案件について、一件ずつダイレクターの承認を得るための調整を、部下とともに進めていた。
僕はその上司として、この場をコーディネートしなければならなかった。ダイレクターにとって心地よい言葉を選びながらも、目的は一つ──その案件の承認を、できるだけ早く引き出すことに集中していた。
このタスクは、先週いったん差し戻されたものだった。単に事実を並べただけでは、もう通用しないことはわかっていた。だから、角度を変えて戦略を練り、資料に落とし込み、丁寧に準備して臨んだ。
この会社に入ってまだ2ヶ月。最初の1ヶ月は、社内ツールやルールを覚えるだけで手一杯だった。人の名前、会議体、背景──とにかく、何もかもが「わからない」状態だった。
それでも、このプロジェクトのために採用されたことは自覚している。そして、1年かかる規模の仕事を3ヶ月で完了させようとしていることにも。
毎日のように案件に向き合い、承認を取り、差し戻しに対応し、それを繰り返す。50件以上にもなるこの工程を1つずつ──。僕はその積み重ねが、唯一プロジェクトを前に進める道だと信じていた。
その承認プロセスにおいて、ダイレクターへの説明は最大の山場だった。
今日の資料は、入社時から僕の部下である社員が作ってくれていた。彼はこの施設に精通し、技術的な内容にも説得力がある。だが、その資料は「現実の羅列」にとどまり、戦略性を欠いていた。
彼は言った。
「このまま伝えるしかありません。責任が取れないなら、僕が取ります。これが現実です。」
その言葉は潔く、まっすぐだった。でも──僕にはそのままでは進められなかった。
僕は彼の資料に手を加えた。小さく見せるところ、大きく見せるところを整理し、感情の強弱を演出した。彼を否定するのではなく、ただ僕なりにこの壁を超える手段を模索した。
ダイレクターは僕の言葉にも、部下の現実的な主張にも頷き、最終的に承認は下りた。
でも、そのとき僕は思っていた。
どれだけ言葉を尽くしても、現実そのものが変わるわけじゃない。現実は、ただそこにあるだけだ。
心も、身体も、知らないうちに否定していた。
今日は、プロジェクトの進捗以上に、人との信条の違いに苦しんだ一日だった。
本音を言えば、僕も部下のように、現実だけを語っていたい。正しさを押し通してみたい。でも、それだけじゃ進まないと、どこかで気づいてしまった。いつからか、僕は「人生」を計算するようになっていた。
だから、苦しいのだ。
うまく立ち回って、見栄を張って──それが、今の自分を押しとどめ、どこか息苦しくさせている。
僕のような潤滑油がいないと、物事はうまく動かないのかもしれない。けれど──僕はもう、自分の感情に蓋をすることに疲れている。
部下に対しても、どこかに嫉妬や苛立ちがある。それを見せないように、笑って、肯定して、それらしい顔をする。そんな毎日を、ずっと続けてきた。
そうやって僕は、生きてきた。
暑さに弱かった真里は、こんな季節を、どう過ごしているのだろう。何もかも華奢で壊れてしまってはいないか。。
壊れているのは僕の方だ。




