初夏の闇
【2025年6月18日】
鹿児島空港に降り立った。
僕はそそくさとカーナビを立ち上げ、新たな拠点へと車を走らせる。右手には、雄大な桜島が、頂上からわずかに煙を上げていた。札幌にいた頃と似たような香りを含んだ初夏の空気。暑さを和らげるように生い茂る森林に老眼で見えづらくなった視界がクリアに拡がる。
九州の最南端──来たことのない土地なのに、不思議と“清々しさ”のようなものがあった。僕の背中を、ほんの少しだけ、優しく押してくれる。
新しい拠点では、明るい笑顔で迎えられた。
年下の元気な男性、そして僕よりもひとまわり近い年上と思しき女性たち。まるで母親のように、柔らかく、聞き取りづらい鹿児島弁で、明るく、丁寧に僕を引き入れてくれた。
以前勤めていた外資と同じように、仕事のことになると、僕の頭は自然と“仕事脳”に切り替わる。
気を張り詰め、タスクを整理し、先回りして動く──ボールの投げ合い。それだけだ。
そのリズムに身を預けることで、自分の孤独や後悔は、薄く、曖昧になっていった。
──たぶん、僕はずっとこうして生きてきたのだろう。
渋谷のバーの店主が言っていた。「お前の趣味は“悩むこと”なんだよ」と。
そうだ。真里も、僕と同じように、いつも何かを考えすぎていた。
前向きになれない自分を、どこかで責めてしまうような、そんな人だった。
僕は彼女を愛し、そして失い、その喪失を自ら引き受けるように、この数年を生きてきた。
本当は──
僕はとっくに壊れていたのかもしれない。
少しずつ、けれど確実に。
強がることに慣れすぎて、誰にも頼れず、頼られることも避けてきた。
そしていつしか、誰かと向き合うことそのものが、億劫になっていた。
それでも、見栄と惰性だけ、金銭的な娘への未来だけは手放せなかった。
「これくらい、こなせる」
「一人でも、大丈夫」
「まだ何かを変えられる」──
そうやって自分を鼓舞し、走り続けてきた。
でも今、ふと立ち止まると、心の底から思う。
──もう、何も変えられないのかもしれない。頑張れないかもしれない。
この先、情熱が燃え上がる瞬間も、誰かと心を通わせる時間も、訪れないのだとしたら。
それでも僕は、この物語の続きを、静かに受け入れていくしかない。
いつか加齢によって、記憶が失われてしまう日が来ても。
あなたのことだけは、忘れたくないと思うだろう。
そう思える誰かに出会えたことは──
きっと人生の中で、唯一胸を張れる出来事だったのだ。
幸福というゴールがあると、昔は信じていた。
でも本当は、ゴールなんてどこにもなかった。
ただ、あなたと出会えたという“通過点”だけがあって、
それだけで僕の人生は、少しだけ意味を持てたのかもしれない。
──死ぬ間際がいちばん幸せだなんて、そんなことは、やっぱりありえない。
そう思いながら、また今日も、
一人の部屋で、椅子に座り、カーテンの揺れを眺めている。
そして──
そんなことを思い、きっと、悩んで生きていく。