名もなき感情
新しい職場での挨拶を終えると、いかにも外資らしく、入社に関わるトレーニングは「効率化」の名のもと、セルフトレーニングという名の放置に近い形で始まった。誰もが目の前の業務に精一杯で、他人に手を差し伸べるほどの余力はない。──残念ながら、転職を何度も経験してきた僕にとっては、想定内のストレスだった。
人と役割、会社の仕組み、それぞれの癖を一定の幅で想定し、理解し、噛み砕いていく。まずは、それが最初の1ヶ月のフェーズだ。もしそれが間違っているのなら、今の僕にそれ以上のパフォーマンスは出せない。
板についた笑顔で日々をこなす中、通勤の車中では、押しては引く波のように感情を整えようとする自分がいた。
週末は極力外へ出た。この土地だからこそできることを探し、それを淡々と実行した。僕は一人だ。言い換えれば、ずっと自由なのだ。金銭的な不安もさほどなく、羨まれるような収入を得て、週末にはちゃんと休める。
──贅沢なことだ。
ある文献には、この国の幸福度は低いと書かれていた。すべての選択肢が揃い、最低限の文化的な生活は保障されているはずなのに、それでも人は目的を失い、自分以外の誰かの成功体験を、責任もなく真似ては、自分の幸せだと信じ込む。
──ただ、脳に擦り込む。
そんなふうに、どこか冷めた視点で社会を見つめながらも、僕は1ヶ月が経った頃、比較的距離が近くなったことを理由に、実家に立ち寄った。2泊。実家の横にそびえる山の稜線と、静かな森林に目を向けていると、庭の方から母と父の声が賑やかに響いてきた。
似合っていない麦わら帽子を被せられた父、小さすぎるリュックを背負った母。父の運動不足解消のために、二人で3時間ほどの散歩に出かけるという。留守番を頼まれた僕は、ソファに寝そべり、文芸誌を開き、仕事の脳を完全にオフにした。
翌日、帰り支度をしていると、庭では父が青虫を取り除き、母が枝の剪定をしていた。
「もう帰るの?夕飯でも食べていけばいいのに」
「いや、明日から仕事だから。早めに帰ってゆっくりしたい」
「これ、何かわかる?」
母がプランターの葉を指差した。
「わかるわけないよ。トマトかナスか……そのあたりでしょ?」
「きゅうりよ。あんたも小さいとき、夢中で育ててたでしょ」
「……そうだっけ?」
母は笑い、父は虫と格闘していた。
僕は「じゃあね、ありがとう」とだけ伝えて、実家を後にした。
幸福度──おそらく、父と母は今が一番幸福なのだろう。探している僕の幸福は、誰かに教えてもらうものでも、アドバイスを受けて手に入れるものでもない。きっと、それは「感じる」ものなのだ。
もっと、シンプルなものなのだ。
それが、どこにあるのか──まだ、僕は知らない。
読んでいただきありがとうございます。少し補足というか、意図を書きたいと思います。
真里との恋愛が終わりを迎え、その後に残ったのは、派手さのない、行き場のない感情でした。その静けさの中で、僕は何かを見つけようとしているのだと思います。真里と過ごした日々には力強い輪郭がありましたが、別れたあとの時間には、淡く、静かに沈んでいくような深さがある。そこにこそ、人生の答えのようなものが潜んでいる気がしてなりません。これから先に起こる現実、そしてそれに揺れる自分自身の感情を、丁寧に描いていきたいと思っています。
よかったら、僕の人生に過度な期待はせず、ただ静かに見守るように、お付き合いいただけたら嬉しいです。