温度のある場所
2025年3月27日
午前9時、指定された建物のエントランスをくぐった瞬間、僕はその空間の「余白」に圧倒されていた。木と石を基調にしたミニマルなデザイン。静かなBGMが、どこか神経を整えてくれる。
目の前のカウンターで名前を告げると、すぐに案内された。3つの部屋を移動しながら、まるで物語の章が進むように、3人の面接官と向き合った。
最初はカンファレンスルームで現場のリーダー。次に、隣の部屋で人事部のダイレクター。そして最後はファイナンスの責任者。
彼らの問いは的確で、けれどどこか温かかった。形式ばったやりとりの中にも、互いを知ろうとする視線があった。僕は、自分の中にあった過去の経験や、現職で感じていた違和感を、少しずつ丁寧に差し出していった。準備していたいくつものエピソードが、音もなく着地していく感覚があった。
外資でありながら、そこにはなぜか「人の温度」があった。ここなら、また違う景色が見えるかもしれない。
午後。
高速を北へ戻る。走行中、スマートフォンに着信があった。キャリアアドバイザーの名前が表示されている。信号もない直線にハンズフリーを繋げた。
「先ほど企業からオファーレターが届きました。ご確認いただけますか?」
驚いた。こんなに早く。
近くのサービスエリアに車を寄せ、静かにPCを開いた。カフェのテーブルで、深呼吸をひとつ。内容は想定を超えていた。驚くような金額。でも、心は静かだった。
何も迷わず、僕は署名した。無機質な操作。クリック音ひとつで、新しい道がまた一本、開けた気がした。
帰路の用賀を通過する頃、僕はもう左を見ないようにしていた。
真里の街は、あの光の奥にある。何も残っていないのに、まだ何かがあるような気がしてしまうから。
僕は今、最適を探して彷徨っている。でも、それは光かもしれないし、ただの幻想かもしれない。
ただ、ひとつだけ確かなのは――
真里は、この風景のどこにもいないということだった。