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時狭間の章 3

現代語訳は意訳になります。古文は読み飛ばしていただいて大丈夫です。

 風に乗って、琵琶法師の語る「平曲」が()のあちらから聞こえてきた。

  


 凡そ能登守教経の矢さきにまはる者こそなかりけれ。矢だねのある程射つくして、今日を最後とや思はれけむ、赤地の錦の直垂に唐綾威の鎧着て、いかものづくりの大太刀ぬき、しら柄の大長刀の鞘をはづし、左右にもッてなぎまはり給ふに、おもてをあはする者ぞなき。おほくの者どもうたれにけり。新中納言使者をたてて、「能登殿、いたう罪なつくり給ひそ、さりとてよきかたきか」と宣ひければ、さては大将軍にくめごさんなれと心えて、打物くきみじかにとッて、源氏の舟に乗りうつり乗りうつり、をめきさけんでせめたたかふ。判官を見知り給はねば、物具のよき武者をば判官かとめをかけて、はせまはる。


 (現代語訳)

 その日、能登守教経の矢面に立ち向かう者はいなかった。赤池の錦の直垂に唐綾縅の鎧を着た教経は手持ちの矢のある限りを射尽くしたところで、今日を最後と決めたのか、いかめかしく立派なこしらえの太刀を抜き、白木の柄の大長刀の鞘をはずすと、左右の手に持って、出会う敵を次々に横ざまになで切った。彼に正面きって立ち向かう者はいない。あまりに血なまぐさい様子に、新中納言(平知盛)が使者を出して、

「能登殿、あまり罪を作るものではない。今、あなたが戦っているのはあなたにふさわしい相手ではあるまい。」

とたしなめた。能登殿は、

「それでは大将軍にいどめということだな。」

と理解した。そこで、太刀、長刀の柄を短めに持って、源氏の舟に乗り移り、乗り移りしながら、大声で敵の大将である源九郎義経はどこに在るかと、叫んで攻め戦った。

 能登殿は源義経の顔をを知らないので、(鎧や甲などの)武具の立派な武者を義経かと目をつけて、舟から舟へ走り回る。


 ※

 壇ノ浦の、能登守が平家最後の矜持とばかりに奮戦する場面だ。有名だが、珍しいとあけのは思った。平家の見せ場で、義経が正面から応じないから、宴席(聞き手)を選ぶ章だ。当然のことながら、あけのは好んでいる。

 白拍子宿に衣装を納め、ついでに支度や衣装の調整を手伝うという、いつもの彼女の日程(スケジュール)の最中である。

 この宿は大きくて、白拍子を貴族や武家の館に派遣する他に、宿の一角に宴を催せる棟を設えてあって、都に饗応に適当な屋敷を持たない武家や商人が借りるのだ。もちろん、いつもという訳ではないが、今日はちょうどその日だった。 

 緋袴の丈と腰回りを捌き易さを聞き取りながら、調整する。そこそこ(肉体)労働だし、時間にも追われている。気を散じてはいられないのに、一度気になってしまったからか、耳は何とか続きを聞こうと、つい(にわ)の方に向いてしまう。

 ※

 判官もさきに心えて、おもてにたつ様にはしけれども、とかくちがひて能登殿にはくまれず。されどもいかがしたりけむ、判官の舟に乗りあたッて、あはやと目をかけてとんでかかるに、判官かなはじとや思はれけん、長刀脇にかいはさみ、みかたの舟の二丈ばかりのいたりけるに、ゆらりととび乗り給ひぬ。能登殿ははやわざやおとられたりけん、やがてつづいてもとび給はず。いまはかうと思はれければ、太刀、長刀海へ投げいれ、甲もぬいですてられけり。鎧の草摺かなぐりすて、胴ばかり着て大童になり、大手をひろげてたたれたり。(およ)そあたりをはらッてぞ見えたりける。おそろしなンどもおろかなり。能登殿大音声をあげて、「われと思はん者どもは、寄つて教経にくんでいけどりにせよ。鎌倉へくだつて、頼朝にあうて、物一詞いはんと思ふぞ。寄れや寄れ」と宣へども、寄る者一人もなかりけり。


 (現代語訳)

 義経は自分を狙っていることを承知して、源氏軍の前面に立つようにはしたものの、積極的に能登殿と切り結ぼうとはしない様子であった。しかしとうとう、能登殿は義経の舟に乗り当たって、これはと義経目がけて飛びかかった。義経は能登殿にはかなわないとお思いになったのか、長刀を脇に挟むと、二丈ほど離れていた味方の舟に、ひらりと飛び移った。

 能登殿は、早業では義経に劣ったようで、すぐに追うことができなかった。(義経が遠ざかってしまい)今はもうこれまでと決めたのか、能登殿は自身の太刀・長刀を海へ投げ入れた。甲も脱いで、鎧の草摺りも引きちぎった。胴だけを着て、兜を外して、総髪になり、両手を大きく広げて立った。その姿は他に類をみないほど威厳があり、周りを圧倒した。あまりの迫力に、周囲の者は圧倒されるばかりだ。

 能登殿は大声で、

「我こそはと思う者どもは近寄って、この教経に組みついて生け捕りにしてみせよ。われは鎌倉へ下って頼朝に会い、何か一言言おうと思うぞ。さあ寄って来い、寄って来い。」

というが、近寄ろうとする者は一人もいなかった。


 ※

「さっき、ちらと見たけれど、また大きくなったのではなくて?」

古なじみの白拍子の視線は、几帳の向こうに投げられている。

「ええ。」

 ここからは見えないが、房の外の(坪とは逆側の)濡れ縁に居るはずだ。

「背はもう抜かれましたわ。」

 正面の帯を結びあげて、均整が取れているかを確かめるために、彼女のまわりを目を光らせながら回った。

「所帯を持ったと聞いたと思ったら、いつの間にか童子の母親になっていて吃驚したのが昨日のようだよ。」

 ころころと白拍子は笑った。

 当時は物見高く、様子を窺われたものだ。

「ええ、随分皆さまには心配していただきましたわ。」

 なさぬ仲の息子(夫の隠し子)を引き取ったのと、ずいぶんと疑われて----夫が激怒したのも、懐かしいくらいだ。

「あの子も、こちらに随分お世話になっていて、感謝申し上げますわ。」

「扇師なんて、妾たちには切っても切れない商いだからね。早く一人前になってくれると、新風が吹いていいんじゃないかと思うよ? 今の出入りの連中は、なんだか似通ってきていてねぇ。」

「期待していただいていると、あの子には発破をかけておきますね。」

 にこり、と笑って、正面に戻った。膝を折って、刀掛けから取り上げた太刀を恭しく両腕で差し出した。

完成(終い)です。どうぞ、行ってらっしゃいませ。」

 太刀を受け取った白拍子は、微笑んで見上げているあけのと目を合わせて、肩を竦めた。

「----忙しいらしいね?」

「そうらしいですわ。」

「いろいろ聞こえてきているけれど、大変そうじゃないかい?」

「・・案じるな、というので、そうしております。」

 ひゅっ、と音がしそうなほどに、白拍子は息を飲んだ。強張った顔は、溶けるように微笑みに飲み込まれて消えた。

 二人の間に、遠くの平曲と近く、あけのの息子の()を囲んだごく若い白拍子や見習いの娘たちの、笑いさざめきが横たわる。

「----あんたの旦那に目の色変えていた連中はもういなくてさ、」

懐かしむというには、ひやりとしていた。

「隔世の感があるねぇ。妾も潮時かね。」

「御贔屓さまたちが大騒ぎになりますよ?」

 当たり前だとばかりに女は顎を上げて、出陣する武将のように笑った。

「全部終わったら、妾が寿いで差し上げると伝えて?」

「伝言はいたしかねます。御自身でどうぞ。」

「狭量だね?  それとも余裕かい?」

「どちらとも。」

こちらも揺るがぬ笑みだった。

「あなたには自信があおりなのでしょうから?」


 「----こっえぇー、」

とは、階から耳を欹てていた少年は、こっそりと呟いた。

 姿は見えないが、バチバチ、と火花が飛び散っている圧がある。

 だが。

「施楽どのの仕事断ったら?」

 会うたびに、ちくりとした言葉を吐かれているのが気になって、そう言ったことがあるのだが、「何故?」と首を傾げられた。

「え、だって----仲良くないんだろ?」

「いやだ、仲良しよ?」

「仲、良い?」

 咀嚼できなくて、瞬いた。

「ええ。」

「----仲良し?」

「何回言うのよ?」

 何か恥ずかしいわ、と裏の感じられない笑みが開いて、そこで追及するのを止めたのだった。

 やはり分からん、と背後から、自分の前でさざめいている娘達に意識を振り向けた。彼女たちにもいろいろ(人間関係)はあるのだろうが、いまは屈託なく、楽しそうだ----一人を除いて。

 短い付き合いだか、珍しいと思うほど、彼女にしては感情が表れた様子だった。宙を睨むようにして、耐えて居るなが分かるほどだから、つい声をかけてしまった。

「具合わるいのか?」



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