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時狭間の章 2

 「こっち来なさいな。」

と、彼女を呼び止めたのは、見習いの中でも年かさで、もうじきその立場から抜けるだろうと一目置かれている娘だ。

 稽古と白拍子たちの着替えが始まるまでの、短い隙間(休憩)時間。

 支度部屋の廂に、小さな輪が出来ていた。その中心は、彼女と同年齢くらいの少年だった。

 布の上に、幾本もの扇を並べた小さな出店の態だ。行商人、なのだろうか。それにしても一人立ちしているにしては随分若いし、男子禁制ということもないが、宿の奥まったところまでよく入ったこれたものだ。いや、誰かが引き入れたに違いない。

 結論付けながら、輪の中に混じって座った彼女に、

「新顔さんだね。」

 少年は商売人らしい、愛想のいい笑みを開いた。その笑みが彼女に届くのを遮るように、先輩()()が先を争うように、聞き知っている彼女の身元や経緯を話していくものだから、あっという間に彼女の経歴(生い立ち)を少年商人(仮)は手に入れてしまった。隠し立てしている(目新しい)こともなかったから、これもまた場の円滑油(処世術)と口を挟まなかった。

 相槌を打つ少年から、他人事のように目をずらして、布の上に置かれた色とりどりの扇に向けた。

 手に取って大丈夫、と隣に迎え入れてくれた娘が囁いた。それで彼女が手を伸ばしたは、薄青の扇だった。

「あんたもそろそろ舞の稽古に混じるだろ? 姐さんが払い下げてくれるかも知れないけれど、初めの一本は自分で選んだのを持つ()()()()()?」

 験担ぎということなのだろうが、彼女はためらった。

 いとこ叔父の路銀は()()()()、この宿での生活はすべて彼女の借財だ。白拍子として宴に出るまで、ただ増えていくだけの。

「お安いよ?」

と、少年が言った。

「お安くしておくよ、では?」

 言葉がおかしいと、眉を顰めて、外した視線を戻すと、思った以上に感情豊かな(きらきらした)瞳に迎えられた。

「俺はまだまだ見習いだから? 商売というよりも、使ってもらって使い勝手の感想とか聞かせて欲しいんだよ。」

「扇師の、見習い?}

「うん、」

「----あなたが?」

 武家(お得意様)の子が、手遊びを披露しているようにしか()()()()()()()

 訝し気な視線を少年は肩先で流して、告げてきた扇の価格は吃驚するほどに安かった。材料費にもなるまい。まだおのぼりさん気分でいた頃に覗いた市で売っていた扇とぱっと見、遜色ないような出来なのに。

「条件は、必ず使用してくれること。そして、使った感想を話してくれること。使わなくなったら、または使えなくなったら、俺に戻すこと。」

 どこか壊れやすいのか知りたいんだ、と。

 見た目は、ただの良家の子息だが、まじめに取り組んでいる、らしい。

「あんたたちが見習いから一人前の白拍子になって、俺が一人前になったらお得意様になってくれるのは期待しているけれど。」

 勿論、と先輩方は熱を込めて応じていたが、彼女にはその熱はなく、薄青の扇を受け取って----この、出会いの日は終わった。

 

 舞の修練が始まると、扇はあっという間に消耗していった。宿には、複数の扇師が出入りを許されていて、施楽の傍らから覗いた扇は美しかったが、その中でごく素朴なものでも見習い練習に使うようなものではなかった。

 需要と供給が合うのだと実感しながら、少年の来宿を待った。皆、そわそわするので会い逃すことはなかった。古い(前の)扇を引き取り、話を聞き、手持ちの中から、次の扇を勧めてくれる。二度、三度、繰り返すうちに、渡される扇は使いやすくなっていった。注文品になってきている、と気づいた。使い癖に合わせて、調整して()()らしい。----のに、値段は殆ど上がらなかった。骨は使い回しているし、と少年は言うが、そも、紙が高価だから、見習いだから(出世払い)という言葉にどこまで甘えていいものだろうか。

「・・今日も、青、」

 濃淡の差はあれ、「これがおすすめ」と渡されるのは。

「変えるか?」

「いえ、」

 今日のは、初代を思わせるような淡い青。

「・・・海、」

 春の。(うみ)ではなく。

「土佐か。」

 突然、故郷が口の端に上ったから、ぎょっとしたが、宿の情報網は須らく少年に開いていることを思い出した。

 しかし、それは一方的ではなく、彼女も少年のことを知っている。

 この宿から仕立ての仕事を請け負っている女性と、その旦那に5~6年前に引き取られて、養い子となっていること。年齢は同じ。宿にほど近い一軒家に三人で住んでいる。仕立て屋の女性は数度見かけたが、愛らしい感じの人で、少年とは姉のような年回りに見えた。旦那さんという男性は見知らないが、宿の噂では相当な美男で、一目置かれる(?)ような生業らしい。

「海を----海を知っているの?」

 京洛のうみ、は、淡海の(うみ)だ。

「京に来る前は、俺も海の側に暮らしていた。幼かったが、陽に輝くさまとにおいと音と、砂浜の感触は、不意に思い出される。」

 他の者は()()()()いなかった。二人、いつの間にか額を寄せるようにして扇を覗き込み、少し黙った。

「懐かしいか?」

「----帰るわ。」

 思いがけず、きっぱりと声が出た。()()()()()()()

 そして。

「・・・あなたは?」

 問いが口を衝いていた。

 少年は彼女を見返した。見習いたちに囲まれて、にこやかにしている様子からは遠い、研ぎ澄まされた刃のような目を、した。

「----帰るさ。」


 それは一つの分水嶺であったのだと、のちに思う。




一応、企画のキーワードをば(笑)。

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