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時狭間の章 1

白拍子と白拍子宿はファンタジーです。

 天女のようだといつも思う。

 雲を踏むような足取りで、翻す袖は飾りのない真白なのに、歌声が錦の彩りを施す。その嫋やかな天女は、白鞘の太刀を手に取れば、勇壮な天将へ変化する。ごく軽い造りの太刀が、地を割るような剛剣のうねりをみせ、白い袖は今度は誉ある戦直垂と(よろい)に為る。

 若い妓女(おんな)ではない。容色が先行する(もてはやされる)年代では到底出せない、一芸を貫いた者の凄味ある舞いをする白拍子----自分()()を拾ってくれた恩人だ。

 風の噂をたよりに、都まで上ってはきたものの、結局糸口も捉えられぬままに路銀は底をついた。もとから、働きながらということは念頭にあったが、目論見は挫かれた。氏素性を保障する者ない洛外からの浮民を(武家だと言い張っていても)雇う不確実性(リスク)を好むものがいようか。

 宿を退去した(せざるを得なかった)その夜は、春とは名ばかりの酷く寒い夜になりそうだった。小さな廂の下で蹲っていたところを、子猫を拾い上げるような気まぐれで声をかけてくれたのだ。

「立ってごらん。」

 牛車の中から彼女は言った。いきなりだったか、前振りがふったのか、もう記憶は曖昧だ。随身の掲げた松明の明かりだけが鮮やかだ。

 従えば干菓子の一つも分けてくれるかも知れないと思ったから、()()()は言われるまま立ち上がった。

「回ってごらん。」

 朱い唇が続けた。ふたりで従おうとして、

「馬鹿だね。」

と、ぴしゃり。

「むくつけつきの男に用はないよ。」

 それで回ってみせると、

「武家の子だね。」

と、断じた。

「いくつだい?」

 答えると、少しだけ首を傾げて、

「思ったより年はいっているね。でも、下民の子を仕込むより筋はよかろうってものさ。」

 その口ぶりと値踏みする視線で、何が起きようとしているのか分かってしまった。

「その男はお前の兄か?」

「いとこおじ(母と男がいとこ同士)です。」

「声も悪くないね。通る。」

 掌で転がされているようだった。

「その方、いずれの地方よりか上洛(のぼっ)て参ったのだろうが、もはや懐は尽きておるのであろう? 娘を妾に預ければ、帰りの路銀(おあし)に足る金子を用立ていたそうではないか。」

「この子を売れというのか!?」

 彼は気色ばんで小太刀の柄に手をかけたが、女は動じなかった。

「このまま都に残れば、早晩その方はこの娘を言いくるめて客を取らせて、しかるのちには、遊女屋に安く叩かれる()()が、()()見えるわ。」

「そんな、ことは、」

 視線が揺らいだ。

 侍の松明が、暗闇に浮かび上がらせる白い面輪は、夜の化身のようだ。心の底を見透かしているように扇を口元あてて微笑む。

「妾は浮かれ()とは違う。その娘に才があるのなら、いずれ天皇(かみ)の前でも舞うことが叶い、その名を殿上人らが誉めそやすであろう」

 男の心はとうに折れていたのだと思う。大口をたたいて上京したものの、手掛かりは得られず、都人から犬よりも軽く追い払われる。故郷では、仮にも《若様》と呼ばれてきたのだから、道端で夜を明かす覚悟など、もとより風の前の塵のようなものだったのだろう。もしかすると、最初から困ったときの金策の一つであったと()()()()()()くらい、あっさりと、その夜その場で置いて行かれた。

 目も合わせずに、

「何か分かったのならば、文を送りなさい。」

とは、分からなければ、これきりとばかりに言い置かれた。 


 彼女を拾い(買い)上げたのは、京洛に幾つもある白拍子宿の中でも、大きく老舗だという名店で、その人ありと謳われる名妓だそうだ。名を施楽という。

 見習いは彼女以外にも複数人居て、それぞれ違う白拍子を姐と呼ぶ。白拍子見習いとして芸事を習う時間は確保されるが、それ以外は宿の下働きである。

 その生活が辛いと萎れている娘もいたが、彼女は故郷でも同じようだったから、特に苦には感じなかった。

「仕込んで身を立てられるようにしてくれと頼まれたこともあるんだけれど、」

 彼女は施楽にとって久しぶりの見習いだった。

「公家の姫さんは物腰は備わっていても、そもこの生業をバカにしているのが見え透くし、下人の子は所作を身に付けるだけで大方盛りをすぎちまう。武家の娘がいいんじゃないかと思っていたんだよ。」

 そういう施楽は生まれながら(母も同業)の白拍子だということだ。

「刀の扱いにもためらいがない。」

「武家の娘でも殆どは剣術はやりませんが?」

「刀のある環境に慣れているということさ。」

 腰と背を、彼女に揉ませているさなかの会話だ。

「・・そうですか、」

「あとは、頑固そうなところかね。おまえを見かけたとき、男の方がおまえに縋っているように見えたのさ。保護すべき、年端もいかない娘なのにさ?」

「----そう、ですか。」

 女の肩には、黒と灰色の毛糸が絡み合ったような毬状のもやもやがある。出た時には付いていなかったから、今宵の宴席での()()だろう。背筋を押す彼女の手に、猫が体を擦りつけるように寄ってきた。

「南無観世音菩薩。」

 掌で包むようにして呟いた。煙ででもあったように、欠片も残らない。

「----ああ、何だかすっきりしたね。おまえ、上手だね。」

 身を起こした女は満足そうに笑い、小箱から唐菓子を取り出した。

「駄賃だよ。食べておいき。」

 持って帰れば新参の娘は、他の見習いに巻き上げられると分かっている女の計らいであった。

 噛みしめた甘いものが、ゆっくりと胸内を満たして、漸くあの夜から体が温まった気がした。

 見透かしたような光を湛えた瞳で、主で師匠に為った女は薄く笑っていた。

 



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