表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

2.過去の発掘/トイレ問題

須藤真由は幼少期から問題の多い人生を過ごしている。その大部分は自身の性質や性格から来るものであり、残り三分の一くらいはそれによって引き起こされた圧倒的経験不足による社会性の無さからくるものだった。

幼少期にまず気付き、ぶち当たった壁は“喋れない”だった。

真由は家の外、例えば保育園や学校といった家族以外の人間と過ごさなければならない場所ではピタリと口を噤んだ。


そうなった始まりの切っ掛けが何だったのか、もはや覚えてはいない。

記憶にある限り、初めから家の外ではあまり喋っていなかったように思う。物心つく以前の幼児期から保育園には通っていたので、それなりに先生達にもお世話されて大きくなったはずだが、それでも先生相手に饒舌に喋っている自分を思い出せない。そもそも想像出来ない。

物心ついて、喋り初めてーーーかなり早い段階で、家と外の区別をつけたのだと思う。

保育園は、好きではないけど行かなければ行けない場所だった。

お絵かきは好きだった。宝の地図をこっそり見せあう友達もいた。不機嫌そうな顔で、プールに浸かっている写真もある。けれど、自分のことを、自分の好きなものを、自分の楽しみを共有するために誰かと喋った記憶はどこを探しても見当たらない。

そこから小学校、中学校、高校と、随分長いことだんまりを続けてきたものである。

就活中の暇を持て余して掃除を初めて見たものの、仕事が忙しいうちは見ない振りをして済ませていた捨てられないものの数々…真由は暗黒時代の結晶とも言える卒業アルバムを前に、うぅ、と唸る。正直全く未練も何も無いのだが、捨てるのに困る物の代表格ではなかろうか。思い出、と名のつく物は、むやみやたらと捨てて粗末にするのは非常に躊躇われる。

例え生き霊のような生気の無い自分がそこに記録されていようが、友達といると見せかけて実は通行人Aとして画面に収まってるという残念な写真が載っていようが、寄せ書きページという二度と開きたくないページが存在しようが、捨てられないのである。捨てても困らないのだろうが、捨てたら自分の学生生活ごと捨ててしまう、否定してしまう気がするのだ。学生時代は行きたくも無い窮屈な場所に押し込められて、窮屈に耐えていた記憶がその大部分を占める。

なんなら二度と思いだしたくない記憶の方が多いくらいだ。

小学校ではお漏らしをした。

中学校では一人一言喋らなければならない場面で、どうしても言葉が出てこなかった。そしてそれが何度も続くと、同級生の不信と不満を招き、あわやいじめに発展しそうになった。高校では空気になりたいと、人の記憶に残りたくないと、本気で願った。我ながら病んでいる。

そんな黒歴史の詰まったアルバムでも、真由の過去なのだ。

忘れたいと願ったはずの、真由がここにはいる。本当に忘れて良いのかわからないから、迷ってしまう。例えどんなに見たくない自分でも、ここに居るのは、毎日を必死に生きていた真由なのだ。


保育園までは、何か喋る必要が出ても頷いたり、首を振るなどのボディランゲージで関わることで何とかなる事が多かった。友達とも積極的に関わろうとしないから、特定の仲が良い友達というのはいなかったが、それを真由も、両親も、おそらく先生達も特に問題にはしなかった。

内向的な子供の、よくあることだと。


問題が出てきたのが小学校に入学してからだ。

毎日が、学校に行くことが、とにかくいやでいやで仕方が無かった。

登校して、机に座って、授業を受けて、給食を食べて。やっていることはみんな同じなのに、明らかに真由だけみんなと違ったからだ。

朝、教室に入って先生が来るまでの間、みんなは思い思いの仲の良い友達の元に行って、昨日あったことや、テレビの話や、買って貰ったお菓子の話など、とても楽しそうに喋って、笑っている。

そうして授業が終わって、休憩に入ってからも、また待ってましたと言わんばかりに友達のところに駆けていく。それが、全ての授業が終わって、学校が終わるまで繰りかえされるのだ。

真由はその間、ずっと机に座っているだけなのに。

保育園では、特定の友達というものの必要性を感じなかった。

一人で遊ぶことが多かったし、家に帰れば兄弟も居た。家ではいつもの真由で居られるから、保育園の時間をすこし我慢してさえいれば、一人で居てもそんなに寂しいとは感じなかった。

だから、小学校でも同じだと思っていたのだ。

小学校の時間を少し我慢して、家に帰ればいつもの真由に戻れる。

そんな風に思っていたから、しっかりと自我が出て友人関係を確立していく周囲の子供達について行けなかった。周りとコミュニケーションをとり、仲の良い子とさらに親交を深めようと、積極的に関わっていく周りが、とても自分と同じだとは思えなかった。

どうやって喋るのだろう。そもそもどうやって切っ掛けを作るのだろう。一体何を喋ったら良いのだろう。そんなことが、まるで異次元のことをこなす級友達を眺めながらグルグルと頭を巡っていた。真由に出来るのは、教室の机に座って、周りは出来るのに自分は出来ないというプレッシャーに押しつぶされるように、小さくなっていることだけ。何が違うのだろう。どうしたら良いのだろう。ぐるぐるグルグル。一日中、ずっと得体の知れない恐怖が真由と共にあり、机から動けなかった。

そうして当然、家に帰る頃には毎日ぐったりと疲れていた。

学校なんか嫌い。行きたくない。そんなことを言えば、親は不審に思うだろう。真由は家ではよく喋った。むしろ兄弟相手に対等にやり合うために、我も負けん気も強く、気の弱いところなど家族には特に見せていなかった。順調に学校生活を送っていると思って居るであろう両親に、兄弟に、学校での縮こまっている真由なんか見せられない。そう思えば、学校に行きたくないなんて口が裂けても言えない。

毎日、グルグル、ぐるぐる。

どうして良いのか、どうしたら良いのかわからないまま一日が終わる。

そうして喋れない、主張出来ないという弊害がとうとう学校で表面化した。いつもは行っていたトイレ休憩に、その日はまだ大丈夫そうだと行かなかった。そうしたら思った以上に早くに尿意が訪れ、授業中にどうしてもトイレに行きたくなったのだ。

とても我慢出来そうに無かった。

それでも、真由には先生に許可を貰ってトイレへ行く、という選択肢は最初から最後まで全くなかった。

まず、手を上げ、大勢の級友達の注目を集めるというのは考えただけで恐ろしかった。そうして休憩時間に行っておくべきトイレに行かなかったのは真由なのに、そのせいで授業を中断してしまうというのも大それた事だった。もっとも恐れたのは、級友達の視線を一身に集めた状態で、先生にトイレに行きたいと訴える事だ。もう、その想像をするだけで泣きたくなってしまう。

真由に出来るのは、我慢の一択。

なんとか授業を乗り切り、ホッとする。

その瞬間、けれど気が抜けてしまったのだろう。真由はその場でお漏らしをしてしまった。

その時の絶望感は、この時の映像が大人となった未だに記憶の奥底から浮上してくるくらい強かったのだろう。ようやく、授業が終わったのに。ようやく、トイレに行けるのに。もう、小学生なのに。お漏らしなんて、恥ずかしいのに。真っ白になって呆然としたまま、真由はしばらく動けなかった。どうしたら良いのかわからない。拭かないと。着替えないと。でも、着替えなんて学校にはない。そうして選んだ行動は、“その場にひたすら固まる”だった。そのまま次の授業を受け、ようやく給食の時間になって近くの子供が気付いてくれた。気付かれた、と言う絶望感で真っ青になって固まっている真由の前で、その子は真由と床の水たまりを交互に見ると、何も言わずにぞうきんを持ってきて拭いてくれた。ありがとう、と言わなきゃと思った。

でも、言葉は出てこない。

俯いて、黙って、いつもと同じ。何も言えない。

消えてしまいたかった。


(…嫌なこと思いだしたぁぁぁ…)

その場に突っ伏しながら、真由は記憶とともに込み上げてきた苦いものを、意識的にぎゅうぎゅうと胸の中にしまい込む。

普段は綺麗さっぱり消え失せているくせに、こういった嫌な記憶はその実完全には消えて無くならない。こうしてちょっとした切っ掛けで、すぐにゾンビのように這い上がってくる執念深さを持っている。いい加減忘れろや、とは心から思うが、なかなか上手くはいかないものである。

真由は過去の記憶をほとんど覚えていない。

子供の頃のことは特に、大まかな概要はわかるものの、その詳細などほとんどがあやふやなものだ。友人達と過去の雑談に花を咲かせる時など、友人が語るその記憶の詳細さに度々驚かされる。真由はすぐに忘れてしまう。ここ数年の記憶すらも詳細なところは怪しいのに、子供の頃のことなど、覚えていないことの方が普通だと思っていた。しかし、その普通以上に、真由は忘れすぎているということに大人になって気が付いた。そうしてその弊害にも。

あまりにも記憶が断片的だから、過去の自分と今の自分との一体感が希薄なのだ。過去の自分があってこその今の自分があるはずなのに、その土台となる過去が無い。だから、どうしても自分を薄っぺらに感じてしまう。記憶が無いことに心当たりはあった。

忘れたいのだ。

覚えていたい記憶より、忘れてしまいたい記憶の方がはるかに多い。

真由は忘れたかった。過去の自分を“無かったこと”にしたかった。だから、学生時代は特に、意識的に忘れることを望んでいた。

なのに、結局こうして肝心の本当に忘れたい記憶はシツコクシツコク残っている。むしろ、大事な記憶や楽しかった記憶を忘れ、こうして嫌な記憶ばかり残っているから、振り返ろうものなら自分の人生の残念さをまざまざと思い知らされて更に落ち込むことになる。

忘れたい記憶の取捨選択が狂っている。これでは本末転倒も良いところで、自分の脳みそのポンコツ具合に息をつく。


そう、お漏らし。

あのお漏らし事件のあった後、真由は結局おしっこで濡れたスカートのまま、最後まで授業を受けて、帰宅した。そうして母親にバレないように、細心の注意を払ってスカートと濡れた下着を洗濯機の中に隠したのだ。

知られたくない。

その一心だった。

そんな涙ぐましい隠蔽工作もあって、おそらくあの出来事を知っているのは学校で掃除をしてくれた子を含め、級友の数名だろう。

とかく、あの頃の真由はなんでも隠したがった。自分を普通の子供に見せるために、都合の悪いことは必死で隠していた気がする。

大人になった今となっては、ただの子供の失敗だと振り返ることが出来るが、当時の自分には知られることは自分の世界が終わる事と同義くらいには恐ろしかった。

別に、親に知られたって怒られたわけでもないだろう。

ただ、ガッカリはさせただろう。

もう、一年生なのに。

お漏らしなんて誰もしないのに。

もちろん自分だって、普段はきちんと出来ていたのに。それなのに。

どうしてしたの?と。言葉にはされなくても、そんな目を向けられるのが、怖くて怖くて仕方なかったのだ。どうして、に応える返答を持っていなかった。どうして、と問われても、真由自身にもどうしてなのかわからない。大人は簡単に先生に許可を貰ってトイレに行けば良かったでしょう、というだろう。でも、理由はわからなくても、どうしても自分にそれが出来ないことだけはわかっていた。理由はわからない。でも、出来ない。

それを説明する術を、あの頃の真由は持っていなかった。


時が経てば、未熟な自分を笑うことが出来るようにもなるけれど、その時その瞬間に感じる不安や恐怖と言った感情をコントロールすることは大人になった今でも難しい。

ここ最近の真由だって、お腹と胃の間辺りにズン、と不安が居座っている。昔から馴染みのあるこの不快感のせいで、このところ食事をあまり摂れなくなってきている。

今、転職で躓いている自分も、あと何十年か過ぎれば、苦労話として苦笑して済ませることが出来るようにもなるのだろう。それとも、今より更なる絶望の中にいて、笑うことなど忘れているのだろうか。

「あー…面接憂鬱…」

出来れば笑って済ませたいと、心から思うのだけれど。


いつだって今この瞬間から見える未来は不安に覆い尽くされて、光が見えない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ