第4話 限界を知らなければ制御もできない
魔力が暴発するなら今かもしれない、とリリィは思っていた。だから細心の注意をはらったし意識を手元に集中させていた。
魔力が暴発している瞬間を見たことはないが、火傷のように皮膚がただれるだとか、腕が消し飛ぶという噂は聞いたことがある。自分だけの問題ではなく、同じ室内にいるミシェルにも被害が出てしまうかもしれない。そう考えると、出会いのイベントであれ発生しないに越したことはない。
それにイベントが起きなければ、この世界はミシェルの知っているゲームとは別物だと証明できる。
「美しい魔力だ」
クロヴィスのつぶやきはリリィには聞こえなかった。気づいたときには神経質そうな指がリリィの手に重ねられていた。
「もっと解放しろ」
ピリッと電流が走るような感覚がある。かすかな刺激はリリィの集中を乱し、不穏に魔力を揺さぶる。眠っていた獣が起きるようなうごめく力の存在をリリィは感じた。
(…飲み込まれそう)
どうにかしなければとリリィは焦る気持ちでクロヴィスを見上げる。魔術師は陶酔した表情で水晶を見つめていた。
(やばい人だ…)
魔力を流し込むのをやめたいのに止めることができない。水晶が熱をはらむ。
「クロヴィス様、干渉をやめていただけますか…コントロールが…」
「問題ない」
(なにが?! 問題あるでしょ!)
「ミシェル様! クラヴィス様を止めてください! もしくはお逃げくださいっ、たぶんこのままでは危険ですっ」
「リリィ、お兄様を信じて!」
(無理です! だ、だれか…)
リリィの心の叫びに応えるように、案内役の騎士が「止めに入りますか?」と声をかけてくれる。
(騎士様の存在を忘れていたわ!)
「お願いします」とリリィが言うのと、「邪魔をするな」とクロヴィスが言うのは同時だった。騎士がクロヴィスに触れた途端、水晶が禍々しく色を変える。指先が熱い。
「えっ」
「だから言ったのに、貴様はミシェルを連れて今すぐここを離れろ」
呆然とする騎士に「聞こえないのか」とクロヴィスがすごむ。騎士は「申し訳ございません」と転がるようにその場を離れた。
「…リリィといったか、なにを恐れている?」
(なにって、クロヴィス様が恐ろしいです!)
「このままじゃ魔力をコントロールできません…」
「自分の限界を知らなければ制御もできない。受け止めるから、気にするな」
クロヴィスはしっかりとリリィを見つめて言った。はじめて重なった視線だったが、クロヴィスの瞳はリリィの奥にあるなにか別のものを見つめているようだった。
(はじめから暴発させるつもりだったのかしら)
リリィのなかで魔力が暴れている。それに呼応するように水晶がどんどん熱くなる。手を離したいのに離せない。
「抑えられませんっ」
「問題ない」
水晶が赤黒い炎に包まれリリィとクロヴィスの手も飲み込んでいく。
「ひゃっ」
「俺の魔力が顕在化しているだけだ」
たしかに赤黒い炎が衣服へ燃え移ることはなかったが、視覚的におどろおどろしい。
「自分の魔力を把握しろ」
「こんな状況で急に言われてもっ」
「お前の魔力も顕在化できるはずだ。そうすればどれくらいの魔力量かも把握しやすいだろう」
「だから無理ですって!」
「イメージするんだ」
(全然わたしの話聞いてないしっ、この強引さはちょっとミシェル様に似てるかもね、さすが兄妹だわ、とか考えてる場合じゃなくて)
「ううっ、イメージ…なんかこう、暴れてて手がつけられなくて…ほら、あのっ、振り落とされないように我慢してる、ロデオみたいなっ」
「ロデオ?」
(この世界にはないの? 百合のほうの記憶かしら)
「う、馬です! 暴れ馬っ」
リリィがそう言った途端、水晶が光を放つ。清廉な光に呪いのような炎は消え、馬の嘶きが響いた。
「見事だ…」
「馬?!」
突然現れた白銀の馬は、興奮した様子で室内を踏み荒らしはじめる。手の中の水晶は静かな石に戻っていた。リリィが水晶に流し込んでいた魔力は、暴れ回る一頭の馬へと姿を変えたのだった。
(えっ、えっ?! これが魔力の顕在化ってやつ? わたしがロデオをイメージしたから馬が現れたの?!)
リリィの放心は長くは続かなかった。ここは魔術師の研究室であり、乱雑に置かれていたとしても書物や魔法具など貴重なものばかりなはずで、それが今、自分の魔力によって破壊されている。
「クロヴィス様っ、お部屋が…なんとお詫びを…」
「問題ない」
「ありますよね! どうしましょう、消せないんですか?! 捕まえるとか!」
「俺が捕まえていいのか?」
「もちろんです! あの馬を止められるならなんでも!」
クロヴィスはリリィの手を取ると指先に口づけをする。
「な!」
「俺は騎士ではないから忠誠を誓うなんて馬鹿な真似はしないが、大切に扱うと約束しよう」
「どういう…」
言葉の意味を尋ねようとしたリリィを抱えクロヴィスは身を翻す。目前に馬の蹄が迫っていた。
(踏まれるっ)
恐怖で閉じた瞳をリリィが開くとふたりは執務机へ上がっていた。クロヴィスはリリィを机に残し、駆け回る馬のタイミングをはかって背中へ飛び乗る。前脚を高くあげ抵抗する馬は一瞬にして赤黒い炎に包まれ、炎が消えたときには手綱と鞍が付けられていた。
馬上のクロヴィスは頼もしく見えた。不健康そうだとかやばい人だと思ったことをリリィは反省する。
嵐のあとのような室内で白銀の馬と魔術師が神々しく輝いていた。