第1話 ゲームをたしなんでいなかったもので
雷に打たれてから一週間、リリィは寮に引きこもっていた。身体に異常はないし体調も戻っていたが、記憶を整理する必要があった。
ランゲ男爵家の養女としての記憶と、日本で大学生だった山野 百合としての記憶。机に向かい紙に書き出していくうちに、リリィは「異世界転生」という言葉を思い出す。
「これは百合の記憶…そういう物語が流行ってたのよね…そっか…つまり…百合はわたしの前世で、日本っていう異世界の人間だったのか!」
勢いよく立ち上がると机上の紙がひらひらと落ちる。
「おっと、こんなもの見られたら頭がおかしいと思われそう。前世なんてよくわかんないけど、百合の記憶が整理できてだいぶスッキリしたわ」
部屋のドアがノックされ、リリィは反射的に「はい」と返事をした。
「リリィ嬢、おかげんはいかが?」
動くドアノブにリリィは焦る。慌てて散らばった紙を集めるが、最後の一枚を拾う前にドアは開き、そしてその一枚は女子寮の寮長であるグリアーノ侯爵の三女ミシェルによって優雅に拾われた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
平静を装ってリリィが受け取ろうとした紙はしかし、ミシェルが手放すことはなかった。俯いた視線が紙の文字に釘付けになっている。
(ひええええ、よ、読まれてる? どこの部分だろ! なんて、なんて言い訳すれば!)
「あの…ミシェル様? 手を…」
「異世界、転生って…」
(よりによってそこ!)
「そ、そんなお話があったらおもしろいですよね、なんて空想を…」
うふふ、と作り笑いをするリリィをミシェルがぎゅうと抱きしめる。
「私もなのっ!」
「え? …ええ?!」
「私も日本人だったの、転生仲間がいてうれしいっ!」
「ミシェル様も!」
「せっかく乙女ゲームに転生したのにこの感動を分かち合えなくてつまんなかったんだけど、まさかヒロインも転生者だったなんて!」
「わ、わたくしもうれしいです! ですが、あの、乙女ゲームの、ヒロインって?」
ミシェルは身体を離してにっこりと微笑む。
「乙女ゲーム『リリカル・メモワール』のヒロイン、リリィ・ランゲってあなたしかいないじゃない! 仲良くしてね、リリィ」
リリィは言葉を失う。
(乙女ゲームって、なんだっけ…悪役令嬢ものの漫画は読んだことあるけど…その元ネタ? みたいな?)
「もしかして気づかなかったの?」
「ゲームをたしなんでいなかったもので…」
「まあ!」
「あっ、なんとなくは知っています…いろんな方と恋愛を、するんですよね…でも、凡庸なわたくしがヒロインでそのゲームはおもしろいのでしょうか?」
ふふんとミシェルが不敵に笑う。さながら妖艶な魔女だ。
「リリィ、話してあげたいことはたくさんあるけど。応接室に面会の方がいらっしゃっているわ」
「わたくしにですか?」
「さあ、下剋上をしに行きましょう」
リリィの脳内で法螺貝が鳴る。戦いの火ぶたは切られたらしい。
◆◆◆
リリィがミシェルに連れられて応接室へ入ると、室内のソファでは第二王子ジュリアンとその婚約者であるドヌーヴ公爵の長女シャーロットが和やかに談笑していた。護衛のニノは置き物のように壁に控えている。
「お待たせいたしました」
ミシェルがスカートをつまんで挨拶をする。
「寮長自ら手間をかけたね」
「いいえ、私もリリィ嬢の様子は気になっていたもので。もしよろしければ同席させていただけませんか?」
「リリィはそれで構わない?」
首を傾げるジュリアンにぽわっとなる気持ちは、シャーロットの冷ややかな視線で引き締まる。
(勘違いするなってことね。存じております。大丈夫です)
「もちろんです」
(わたしがヒロインならシャーロット様が悪役令嬢ってことになるのかな…この迫力…下克上、できる気がしないんだけど…シャーロット様がヒロインの悪役令嬢ものだと言われたほうが納得だわ)
「さあ、二人とも座って」
促されて向かいのソファへ座る。
「リリィ、その後の体調はどうかな?」
「おかげさまですっかり良くなりました。この調子でしたら明日から講義に出られそうです、殿下には本当に感謝しかありません。ありがとうございます」
「礼には及ばない。元気そうでよかったよ。今日はこの間の検査の結果を知らせようと思ってね」
リリィには異常が感じられなかったが、治癒魔法を施したとはいえ雷に打たれたのだからとジュリアンの手配で身体の検査を受けていた。
「肉体的に問題はなかった。ただし魔力量がね」
「魔力…」
男爵家の養女になった理由が、平民にしては魔力量が多かったからだった。貴族社会でのリリィの魔力量は中の下くらいだ。
「雷に打たれてから魔力は使った?」
「いいえ、使っておりません」
「うん、今後もしばらく使わないでほしい。というのはね、リリィの魔力が尋常じゃない量に増えているんだ。コントロールできない状態で使ってしまうと暴発しかねない」
「…はい」
「怖がらせてしまったね、コントロールさえできるようになれば大丈夫だから。体調が戻っているなら、明日にでも王宮へ出向いて魔術師に会ってもらえないだろうか」
リリィの手をミシェルが握る。
「殿下、リリィ嬢もひとりでは心細いと思いますので、私も付き添ってよいでしょうか?」
「ひとりで行かせるつもりは私もなくてね、付き添いの役目は王宮に慣れたシャーロットにお願いしようと思っていたんだが…どうかな、シャーロット」
「ミシェル嬢もご一緒に私が案内させていただきますわ」
「ありがとうございます、シャーロット様。よかったわね、リリィ」
魔力量が増えたと言われても実感はなく、自分のことなのに見目の麗しい面々のやりとりを他人事のように傍観してしまうリリィだった。