プロローグ
ーー青天の霹靂。
目の前が真っ白になった瞬間、リリィの脳内にはその言葉がまたたいて消えた。天気の良い昼下がり、彼女は王立プロミーズ学園の裏庭にて、まさしく雷に打たれたのだった。
◆◆◆
2020年、日本、桜の季節。
舞い散る花びらをたのしむ余裕もなく百合は必死に走っていた。都内の大学へ進学して2年目、思い描いていたキャンパスライフからは遠い、アルバイトに明け暮れる日々。
「あと5分ッ」
スマートフォンを取り出して時間を確認する。
(大丈夫、間に合う)
横断歩道の信号は青。スマートフォンをしまおうとしたところで着信が鳴り、走りながらも視線を落とす。母親からだ。
「それどころじゃな…」
言葉を続けられなかったのは、クラクションの音に驚いたからで。ドンッという衝撃と、浮遊感と、それから。
(え…これ、死ぬ?)
妙に冷静な状況把握ののち、百合の世界は暗転した。
◆◆◆
話し声が聞こえる。
「…ん」
「気分はどう?」
やさしい声に目を覚ませば、若葉色の瞳が心配そうにリリィをのぞきこんでいた。陽光を浴びた飴色の髪がやわらかく揺れ、その非現実的な美しさにリリィは死を理解した。
(天使って実在したんだ)
「痛いところはある?」
「死んでも痛みはあるんですか?」
「え?」
きょとんとする天使。そのとなりに褐色の肌の男が顔を出し、「なんだ死んだと思ってるのか?」と嘲笑う。
(こっちは悪魔っぽい)
「アンタは命拾いしたんだ」
(…死んでない? トラックが突っ込んできたからもうだめだと思ったけど無事だったのか…ってなにそれ、トラックってなんだっけ? 違う、わたしは裏庭でお弁当を食べようと思っただけで…え? あれ?)
リリィは天使の膝の上にあずけていた頭をあげ、恐る恐るあたりを見まわしながら身体を起こす。
三人は裏庭のあずまやにいた。リリィは知っている場所に安堵する反面、洪水のように押し寄せる百合の記憶に目眩を覚えた。
「わたし…どうして…」
ひとりごとの呟きに、「雷に打たれたんだよ」と天使が答える。
「雷…?」
「治癒魔法で対処はしたがもうしばらく安静にしたほうがいい。きみを医務室に運びたいのだが構わないかな?」
天使に手を取られ、リリィは上の空で「はい」と答える。横抱きをされ夢見心地でいたが、そのうち自分を抱えている正体が天使ではなく人間だと気づく。しかもただの人間ではない。
(え、ちょっと待って、これ、まさか…)
「ッ殿下!」
「はい?」
「ななな、なにをしていらっしゃるのですか?!」
「ふふ、医務室に運びたいと聞いて承諾を得たつもりだったんだけどなあ」
天使の正体は第二王子、ジュリアン。
「自分で歩けます! お、おろしてください」
「暴れると危ないぞ、元気なのはわかったからおとなしくしてろ」
そして悪魔の正体はジュリアンの護衛、ニノ。
故あって捨て子から男爵家の養女になったリリィにとって、王子様という生き物は天使と同じくらい非現実的であり雲の上の存在だ。
(意味わかんない、意味わかんない)
雷に打たれたことよりも、異世界の記憶を思い出したことよりも、第二王子に横抱きにされている現状にリリィは困惑した。