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南発券の謎  作者: やまのしか
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南発券の謎⑥・・・児玉誉志男の錬金術

さて、何故、文玉珠の話が児玉誉士男の話になってしまったのか、混乱している人もいると思うので、ちょっとここで解説したいと思う。


もともと、ここではビルマの従軍慰安婦である文玉珠の5000円の送金について考察してきた。


そして、文玉珠が軍事郵便貯金として26,145円もの額を1945年5月までに預金していたことについて、果たして文玉珠は本当に大金持ちだったのか?

それともインフレで紙屑になった南発券の預金だから結局貧乏だったのか?

を究明してきた。


結論として、たとえビルマのインフレがどんなに酷くても、南発券と日銀券の交換レートは、終戦時でも1:1で変わらなかったのだから、南発券を日銀券に換金し内地に送金さえできれば文玉珠は大金持ちになれたという結論に達しました。


そして換金および送金を同時にやってくれる軍事郵便為替は、まさにマネーロンダリングマシンだったのを突き止めた。

当時は送金制限があったとはいえ、文玉珠のような従軍慰安婦は軍属扱いであったため、朝鮮に軍事郵便為替で送金してたのなら、彼女の家族も十分に大金持ちになることは可能だったという結論に達した。


ここで二つの重要事実を突き止めた。

一つは「送金為替等取締り令」というもの。

昭和18年1月23日通牒「送金為替等取締り令」昭和18年1月23日通牒。

ビルマからの送金は軍人軍属以外は1回「200円以下」に制限となっている。

そしてもう一つが「ビルマ従軍慰安所管理人の日記」である。

この二つがなぜ重要かというと、この二つを調べると、当時の従軍慰安婦が、どの程度の金を送金できたのか、軍事郵便局がどういう対応をしていたのか、具体的にわかるからだ。


1 月 24 日日曜日、晴天


朝、ビルマのラングーン市のビルマ人であるモンタン家で起きて野戦郵便局に送金をしに行ったら、兵站司令部の許可が必要だと言われ、同司令部へ行って副官に言ったら、毎日 500円以上は送金できないという。

青鳥食堂へ行って主人の大山氏に会ってみた。

銀行送金は多額でも大丈夫だが、軍政監部の許可が必要であると言われ、同監部に行って話してみた。

銀行で許可用紙を得て申し込めばいいという。

モンタンに行ってトランクを取って大山氏の経営する慰安所ラングーン会館を尋ねて宿泊の世話になった。

大原君も白水慰安所で帳場の仕事をしているが、彼に会ってみた。


・・・・・・・・・・・・・


ここでわかるのが、1943年1月23日の「送金為替取締り令」で軍人軍属以外は1回200円以下という送金規制があった、しかし、軍人軍属は別だった、しかし、軍人軍属であっても、軍事郵便局では1回500円の送金が上限であり、兵站司令部の許可が必要だった、また、銀行なら軍政監部の許可があれば、それ以上の送金ができた、という事だ。


主に左翼系の多くの知識人が「ビルマのインフレは酷くて南発券は紙屑になったのだから、文玉珠は貧乏だったのだ」という主張している。


しかし、いくらビルマがインフレでも、10ルピーは10円の固定相場である。

換金や送金さえできれば、なんの問題もないのである。

大蔵省が日本軍票や南発券の交換レートを1:1に固定している限り、ビルマのインフレは関係ない話であることに気づかない人が多すぎる。


たしかに戦局悪化後は、横浜正金銀行のような為替業務を取り扱う銀行では「外貨表示内地特別預金」という実質的な「為替調整金」を徴収する形をとり、簡単には内地へ送金できないようにしていた。


この制度は実質的な「供託金」と同じで、1945年には、なんと送金額の69倍もの定期預金をしないと、内地へ送金できないようになっていた。


しかし、それでも交換レートは1:1なのだ。

大蔵省は頑なに固定レートを崩さなかった。

しかし現地ブラックマーケットでは実勢レートの換金屋は多く存在していた。


ここで大事なのは文玉珠が送金できなかったのは、69倍もの定期預金を作れなかったからという、テクニカルな問題であって、内地と外地の為替差益の本質は何も変わっていない事である。


南発券と日本銀行券の内外格差を利用して、為替差益で儲けるビジネスマンは多かった。


例えば現地の大企業のトップなら69倍くらいの「特別措置定期預金」は預金できただろう、また、軍部高官ならば、定期預金を積まずに南発券を内地に送金できただろう・・・ていうか、明らかな軍の許可が特務機関には出ていたようで、児玉誉志男などは為替差益で大儲けしている。


終戦間際、ビルマで南発券が紙屑になって捨てられていたときに、高級軍人軍属なら、経理将校の差配一つで、いくらでも日本に送金できたのである。


送金制限は、平民に対しての規制であって、上級国民(軍人軍属)の金儲けへの規制にはならなかったという事だ。


①財閥企業トップ、②軍高官、③皇族、の3種類の当時の日本のエスタブリッシュメントは、日本への送金(濡れ手に粟の錬金術)で為替差益を得る事に問題はなかった。


つまり、大暴落してる南発券や儲備券を日本や朝鮮や台湾に送金して、日銀券で引き出すという、ボロ儲けができた人間がいたという事だ。


取りあえず、濡れ手に粟の為替差益ビジネスの実態を調べるのに「児玉誉士男」を掘りさげることにした。


児玉誉士男の錬金術はウィキペディアには出てこない。

海軍航空部に資材を納めた「児玉機関」を使って1億7500万ドルの資産を持っていたと出てくるが精々である。


当時のレートは1ドル=15円であり、それだけで2,625,000,000円になる。

当時の26億2500万円は現在の価値だと、18兆3750億円にもなる。


「児玉誉士男の錬金術」についてこれから掘り下げていく。


1945年4月以降、上海の儲備券は大きく価値が下がっていた。

ゆえに日本へ送金する際には69倍の定期預金を積まねばならなかった。


昭和29年、軍事郵便貯金の預金封鎖が解けたとき「軍事郵便貯金特別処理法」によって軍事郵便貯金が引き出せるようになった。

上海からの3500円以上の軍事郵便貯金には、1/432の換金率が適用された。


ところで児玉誉志男は莫大な資産を日本へ運んだのか?

本人が正直に述べるはずがないが、どうやら一部は無事運べたらしい。


「児玉機関」が中国大陸に持っていた資産は1億7500万ドル。

この金額はアメリカの検察が巣鴨に3年間収監されていた児玉誉士男やその関係者を調べあげて、算出した金額です。


そして、児玉機関が日本へ資産を移動する際には「外貨表示内地特別預金」の69倍もの定期預金などをする必要なかった、という記述がある。


児玉機関は海軍嘱託で、軍の経理将校に顔が利いたため、特別扱いだったらしい。

また児玉は軍用機も使い放題であり、現金、宝飾品、金塊の日本への持ち込みに苦労はしなかった。

ここが戦後多くの政治家への献金の噂の由縁である。


日本では預金封鎖→新円切り替え→財産税と猛烈なインフレ政策が実施された。


児玉誉士男の終戦時の資産1億7500万ドル、ドル/円15円で2億2500億円。


下記「笹川良一伝」に終戦時、児玉の資産は32億円といった記述もあります。


>「敗戦時に、児玉(誉士夫)機関の財産は当時の金で約32億円、さらに朝鮮銀行に580万円の預金、海軍に納入した物資の総額は35億円に達するといわれている。それらはすべて終戦時に中国に没収されたが、直前、飛行機2機に満載して日本へ持ち帰ったものがあった。金の延べ棒、プラチナ、ダイヤなどと現金である。飛行機の脚があまりの重さに片方折れた、という逸話が残っている」<


戦後のかけうどんは一杯15銭だった。https://shouwashi.com/transition-noodles.html


文玉珠はビルマでは慰安婦で稼いでたと思うが、軍事郵便貯金の明細をみて見ると26,145円のうち、20,560円は1945年4月以降に預入されたものである。

そのときはビルマにはおらずアユタヤで看護師をしていた。

ゆえにビルマ滞在の1年半は、それほど大金持ちとは言えなかった。


タイのアユタヤで稼いだといっているのは、南発券をチップとしてアユタヤでいっぱい貰ったからだろう。

しかし時期的に当時の南発券は紙屑でしかなかった。

それを日本に銀行経由で送金できれば大金持ちになれたが、それは実質的な為替調整金制度が敷かれていたため69倍もの定期預金を要求され不可能であった。


軍属だったので郵便為替で送金できたはずだが、熊本郵便貯金センターの記録によると送金記録はなかった。

そして終戦を迎えている。

ゆえに軍事郵便貯金は現金化できず、戦後は引き出せず、結局貧乏のままであった。



《続く》



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