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南発券の謎  作者: やまのしか
19/19

南発券の謎19・・・血盟団事件②

血盟団事件により、井上準之助、段琢磨が暗殺された。

逮捕された男は、田中智學の日蓮主義『王仏冥合(おうぶつみょうごう)』を唱えた。

血盟団首魁・井上日召は逮捕される時「国士として遇する」という説得により自首した。

この「国士として遇する」という言葉が、その後のテロリズムを助長したことは言うまでもない。


王仏冥合(おうぶつみょうごう)


「国柱会」の日蓮主義を知るためには、この王仏冥合(おうぶつみょうごう)という言葉は重要です。

国語辞典を引くと、「王仏冥合とは、法華経の本門の教えが国家・社会の指導原理となることによって、この世に寂光浄土(仏の悟りである真理そのものが具現している世界)が実現するという日蓮の教え」となっております。


王とは国王の政治のことであり、仏とは仏法のことです。

冥合とは知らず知らずに一つになることです。

したがって、政治と仏教の一体化を意味しております。

まさに、『政教分離(政治と宗教の分離)』とは真逆の考えなのであります。


西田税は北一輝の発行処分となった『日本改造法案』をガリ版で刷って青年将校に配布した人物である。

『改造法案』の内容は

「天皇親政」

「華族制度の廃止」

「普通選挙の徹底」

「国民の自由」

「私有財産を300万円を限度として否定」などの民主独裁国家の樹立である。


独裁とは天皇親政であり、国柱会の日蓮主義と相通ずるものがある。

本来、民主と独裁とは両立しないが、天皇親政による民主国家というと矛盾がないような気がするから不思議である。

 

西田税は天皇陛下の弟の秩父宮殿下と幼年学校時代からの同期であり、殿下を折伏しゃくふくしたと語った。


秩父宮雍仁親王ちちぶのみや やすひとしんのう(1902年 - 1953年)


大正天皇と貞明皇后の第二皇子。昭和天皇の弟宮。


大正9年、陸軍士官学校に入学、同期には服部卓四郎、西田税などがいる。


昭和6年頃、秩父宮は昭和天皇に対して親政の必要を説き、憲法停止も考えるべきと意見したため激論となった。秦郁彦は谷田勇から聞いた話として、秩父宮が村中孝次に同行し北一輝の自宅を訪問していたとしている。


北一輝と親しかった者の中に、大川周明がいる。

大川周明は北一輝の『改造法案』にほれ込んでいたが、金銭問題のトラブルで北一輝とは袂を分かった。


大川周明は『金策のできない人間は、国事を論ずる資格がない』という明治から今日にいたるまでのごく当たり前の政治家と同じ政治信条であった。


大川周明だけでなく、北一輝も脅しやタカリで稼いでいたが、西田税は終生純朴な青年将校であった。

大川周明は1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。


1926年「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、

1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。

その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面では「アジア主義」を唱道した。


なお、東京裁判において民間人としては唯一A級戦犯の容疑で起訴されたことでも知られる。

しかし、精神障害と診断され裁かれなかった。


ところで、井上日召と西田税は反りが合わなかったようで、井上日召の暗殺計画には西田税も入っていたようである。

次の5・15事件では、西田税も襲われることになる。

『日本改造法案』を書いた北一輝は、国柱会の日蓮主義者ではなかった。

北一輝は、日蓮と同様に同じ法華経を信じる者であり、日蓮とは同格の友であり、同格の予言者との意識が強かったようである。



昭和7年(1932)5月15日 五一五事件発生


この事件の計画立案・現場指揮をしたのは海軍中尉・古賀清志である。

事件は血盟団事件につづく昭和維新の第二弾として決行された。


古賀は昭和維新を唱える海軍青年将校たちを取りまとめるだけでなく、大川周明らから資金と拳銃を引き出させた。


時期尚早と言う陸軍側の予備役少尉西田税を繰りかえし説得して、後藤映範ら11名の陸軍士官候補生を引き込んだ。


首相官邸では、内閣総理大臣犬養毅が殺害された。

この時のやり取り『話せばわかる』と『問答無用』はデモクラシーとファシズムの精神を象徴するものとして、はやり言葉にもなった。


5・15事件の公判で検察官は、主犯格には死刑、共犯には無期を求刑した。

しかし、世論の減刑嘆願の署名は69万以上に達した。


この背景には、①リットン調査団の調査報告、②国際連盟の脱退、共産党活動の活発化などの内外の環境変化がある。

 

外には外国からの脅威、内では赤化汚染の危機―日本人は軍部ファッショの愛国心と武力とに頼らないではおれなくなったからである。

こうした世論に支持されて死刑は15年に、無期は10年へと大幅に減刑された。

陸軍士官候補生の被告も8年の求刑が4年に減じ「被告らは警視庁前で決戦して討死を覚悟していたもので、愛国の至誠にもとづく、1点の私心もない」と検察官の言葉もがらり一変していた。


血盟団事件を見るに、大乗仏教を理解せねばならない。

大乗仏教には、人を導いて仏教に帰依させるのに「摂受」(そうじゅ)と「折伏」(しゃくぶく)があります。

国語辞典を調べますと「いつくしみの心に基づいて人を受入れることを摂受といい,逆に,人をいったん議論などによって破り,自己の誤りを悟らせることを折伏という」と書いてあります。


ところが、日蓮宗、特に富士の日蓮正宗は『摂受』を認めず『折伏』中心であります。

この『折伏』にも2つあるそうで、1つ目は、僧の姿(本体)の折伏、2つ目は武装した化儀の折伏であります。


井上日召の『一人一殺』はまさしく『化儀の折伏』なのであった。


犬養毅が銃弾を浴びていたころ、西田税もかっての書生・川崎長光に5発もの銃弾を浴び『順天堂医院』に運び込まれていた。

そこで手術代金は辻嘉六と言う人物が支払ったのである。

支払った理由は未だ不明である。

順天堂医院は陸軍憲兵隊が占拠し、警察は取り調べが出来ない状況であった。


辻嘉六 (つじ-かろく)(1877-1948) 


明治10年3月生まれ。

日本化学産業代表取締役などのかたわら原敬(たかし)らとむすび、立憲政友会の黒幕的な存在として活躍。

また亡命中の孫文らを援助し戦後は日本自由党の創立にもかかわった。

そして、児玉誉士夫とも親しく、児玉が持ち込んだ隠匿物資は→辻嘉六→鳩山一郎へと流れたともいわれている。


隠退蔵物資事件いんたいぞうぶっしじけん


旧日本軍が戦時中に民間から接収したダイヤモンドなどの貴金属類や軍需物資について、GHQ占領前に処分通達を出し、大半が行方知れずとなった。

その後、この資金が辻嘉六などを通じて政界に流れていることが分かり、その調査のため衆議院に「不当財産取引調査特別委員会」が置かれた。


-謎のM資金-


この事件は、現在に至るまで様々な噂が続いている。俗に言う「M資金」である。当時のGHQ経済科学局は日銀の地下金庫を捜索しダイヤモンドや貴金属類を押収している。これらの押収した物資の全体像は今でも謎になっている。



昭和8年(1933)7月11日、神兵隊事件という血盟団の弁護士・天野辰夫らを中心とする右翼によるクーデター未遂事件が発覚した。

計画では、100機近い飛行機から官邸と警視庁に爆弾を投下し、これを合図に地上部隊は官邸・私邸、政友会・民政党・社会大衆党の各本部などを襲撃し、警視庁・日本勧業銀行などを占拠してこれを本部とし、政府転覆を目的として暴動を起こす予定であった。

逮捕から6年以上経過した後判決が下りたが、主犯共犯共に軽い罪となった。いまだ謎の多い事件であった。

その最大の謎は安田銕之助の関与についてほとんど触れられていないことであろう。

なんとこの安田銕之助、陸軍大学では石原莞爾と同期で、フランス大使館付き武官となり、当時フランス留学中であった東久邇稔彦王付き武官となり、そのまま陸軍を依願免職し、東久邇稔彦の私設秘書になっているのだ、そのような人物がこの神兵隊事件というクーデター未遂の首謀者の一角であった。










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