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南発券の謎  作者: やまのしか
18/19

南発券の謎18・・・血盟団事件①

血盟団事件とは、血盟団と呼ばれる右翼団体が、1932年に政府・財界の要人たちを暗殺した事件のことを言います。

事件の前年の1931年に、未遂のテロ事件(三月事件・十月事件)が起こっていましたが、血盟団事件によってついにテロが現実のものとなりました。

血盟団は、井上日召によって創設された右翼思想を持った組織です。


井上日召は、若い頃から北一輝などの思想に強い影響を受けて、国家社会主義的な思想を持つようになりました。

北一輝の思想が書かれた本が「日本改造法案大綱」(1923)です。


この本には、『領土の少ない日本が発展していくには、戦争をしてイギリスやロシアといった列強国勢力をアジアから一掃して、日本をリーダーとしてアジアが結束する必要があるんだけど、これを実現するには、天皇に大権を持たせるため国家改革クーデターをして、天皇を中心に国家が社会全体を統率しなければならない』と書かれています。


井上日召はこの考えに共鳴し、国家社会主義的な考え方を持つようになります。

ただ、北一輝が純粋に天皇に大権を持たせるべき・・・と考えていたのに対して、井上日召は、日蓮宗の教えをベースとして天皇に大権を持たせるべき・・・と考えていました。


日蓮宗が聖典としている法華経ほっけきょうの教えに、天皇を中心とする国家神道的な思想を融合させて、宗教を背景とした国家改革を目指したわけです。


井上日召は1886年に生まれ、1910年代の頃は中華民国で仕事をしていました。

中華民国で出会った高井徳次郎のツテで、1928年、茨城県大洗町にある日蓮宗のお寺「立正護国堂」に住むようになります。


井上日召には人を惹ひきつけるカリスマがあったらしく、多くの人が井上に会うため立正護国堂を訪れたと言われています。

立正護国堂での生活に中で、井上日召は日蓮宗の教えに傾倒するようになり、次第に日蓮の教えを国家社会主義の思想と融合させていきました


立正護国堂に身を落ち着けた井上日召は、ここを拠点に国家改革を目指した社会活動を開始します。


井上日主が目指した国家改革計画は次のようなものでした。


井上日召の国家改造計画

立正護国堂を道場にして若者を鍛える

自らの教団を起こし、数年で信者を数十万人に増やして国家改造の一大勢力を築く

彼らと国会議事堂を取り巻いて、政府に国家改造を迫る



・・・が、実際に立正護国堂にやってきた若者はわずか数十名。

計画は絵に描いた餅に終わりました。


ところが、1929年、立正護国堂に海軍の青年将校が出入りするようになると、風向きが少し変わり始めます。

軍事力を持つ海軍が加わったことで、クーデターが一気に現実的なものとなったのです。

同じ頃、世間でも経済・軍事面で政府に不満を持つ者が増え始めます。


1930年に入ると、日本は昭和恐慌と呼ばれる不景気に突入。大蔵大臣の井上準之助が金輸出解禁を断行したことで、不景気にさらなる拍車がかかりました。


多くの人たちが経済的に苦しむようになると、不景気を加速させた政府や井上に強い不満を持つ者も現れ始めました。


経済面だけではなく、軍事面でも政府は大きなバッシングを受けることになります。


1930年、政府はロンドン海軍軍縮会議にて、軍部からの反対を押しのけて、海軍の軍縮を決定してしまった。


陸海軍の中には、この政府の決定に強い不満を持つ者も多くいました。

議会では、これを政府の越権行為(統帥権の干犯)として政府を批判する動きも強まります。


こうした政府に対する国民や軍部の不満が、血盟団事件へと繋がっていくことになります。


1930年、井上日召はクーデターを実行に移すべく、拠点を東京に移します。


時を同じく「3月事件」が起きます。


橋本欣五郎は陸軍の所属で、1930年9月、桜会という組織を結成して「国家改造の為なら武力行使も辞せず!」と国家改造を強く唱えました。


1931年3月、桜会が武力によるクーデターを計画すると、血盟団もこれに加担。

桜会と組んでクーデター決行を目指しました。


桜会は、1931年10月に再度のクーデターを計画しますが、これも失敗に終わります(十月事件)

三月事件と十月事件、2回にわたる桜会のクーデターの失敗を受け、血盟団は自らクーデターを起こすことを決めました。


こうして起こるのが「血盟団事件」です。


1932年1月、井上日召は、民間の右翼組織や海軍将校たちと連携し、新たなクーデター計画を企てます。


決行予定日は2月11日。紀元節でした。


※紀元節は2月11日で初代天皇・神武天皇が即位したとされる日。この日は皇居に多くの要人が集まるため、要人を一気に消すチャンスだったのです。


紀元節に合わせて皇居を大人数で襲撃し、要人たちを一挙にして消し去る・・・という計画です。

ところが1月末、クーデターに参加予定だった海軍将校たちが仕事で上海に送られてしまいます。


※1932年1月、上海では満州事変の影響を受けて第一次上海事変が起きていました。これに対処するため、海軍たちが上海へ送り込まれたのです。


これでは、兵力不足で皇居の厳重な警備を打ち破ることができません。


そこで、次のような計画変更が行われます。


紀元節での集団テロは中止!各地の要人を一人一人殺害していく個人テロに変更。

テロは2段階で行う。第1弾は血盟団など民間右翼組織が、第2弾は上海から戻ってきた海軍将校たちが行う。


殺害ターゲットは多岐に渡り、


立憲政友会・立憲民政党の重鎮(犬養毅や若槻禮次郎)

幣原喜重郎・井上準之助などの大臣・前大臣

三井財閥のボスである団琢磨などの財界の重鎮

西園寺公望どの宮中の重鎮

などがターゲットとされました。


1932年2月、いよいよテロ計画が実行に移されます。


しかし、殺害は思うように進まず、成功したのはわずか2名だけ。その2名のターゲットが、井上準之助と団琢磨です。


ターゲットその1:井上準之助


最初に暗殺されたのは井上準之助でした。


井上準之助は、先ほど紹介したように昭和恐慌の元凶の1人と考えられていて、多くの人から恨みを買っていました。そのヘイトが爆発し、暗殺ターゲットの一人とされてしまったのです・・・。


※ロンドン海軍軍縮会議による軍縮の決定にも、軍事費を節約したい井上準之助の思惑があったため、井上は軍部からも嫌われていました。


ターゲットその2:団琢磨

団琢磨は三井財閥のトップに立つ人物でした。


先ほど、井上準之助が金輸出解禁で不景気を加速させた・・・というお話ししました。


1930年12月、政権交代が起こって立憲政友会が与党になると、新しく大蔵大臣になった高橋是清たかはしこれきよは、昭和恐慌を招いた金の輸出を再び禁止します。(金輸出再禁止)


金を輸出するかしないか・・・という話は、言い換えると、「日本円の価値を金で担保するかどうか?」という議論と同じ意味を持ちます。


つまり、金の輸出を解禁したり、禁止したりすると、その都度、日本円の価値が大きく変動するということです。

団琢磨は、この通貨価値の変動(為替相場の変動)を利用して、がっぽり大儲けしていました。


すると、国民の中には当然、こう思う人も出てきます。


こうした背景もあり、団琢磨は、殺害ターゲットの一人に選ばれ、不幸にも殺害が成功した2名のうちの一人に含まれてしまったのです。


井上準之助・団琢磨を殺害した犯人はそれぞれ捉えられますが、警察はこの2つの犯行が組織的犯行であることを見抜きます。


この2つの事件の後、関係者が次々と捕らえられ、3月11日には井上日召も警察に出頭。こうして血盟団事件は終焉を迎えることになります。


しかし、血盟団事件は終わってもテロ計画そのものは終わりませんでした。


少し思い返してください。血盟団事件が、もともと2段構えの計画だったことを・・・!


第1弾は血盟団ら右翼団体、第2弾は海軍が中心となって行うはずでした。


血盟団事件はこの第一段階に過ぎないわけで、海軍たちの出番がまだなのです。



海軍内部には捕らえられた者の意志を継いで、計画の第二段階を実行しようと暗躍する人たちが残っていました。


そして、1931年5月15日、事件は起こります。

海軍の青年将校たちがテロを決行。

首相だった犬養毅の暗殺に成功します。

血盟団事件や五・十五事件は、1936年に二・二六事件へと繋がっていくことになります。









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