M
Mは、駄目な男だ。たいした稼ぎもないのに、いつも酒を飲んでる。そのくせ、大して飲めもせずすぐに眠ってしまう。働くことが嫌いで、仕事なんかしたくないといつも言ってる。だけど働く時は、誰よりもよく働く。……不器用で成果は出難いけど。
自己中心的で冷たいのに、わたしが困っていると熱を出していても助けに来て、かえって足手まといになる。酒代がないと言いながら、やっぱりわたしがねだると酒をくれる。本当にこの男は何をしたいのか。
初めて会った時、わたしは駅のホームの端にあるベンチに座ってぼんやりと電車を見ていた。生きていることが、とにかく面倒だと思っていた。本当はこれから仕事のために朝の電車に乗るはずだったが、もうどうでもいいやと思っていた。立ち上がる元気がでたら、電車に飛び込むのもいい。
……プシ。
少し離れたベンチに座っていた男が、缶ビールを開けた。んぐんぐと、やけにうまそうに飲む。
こっちは絶望的な気分でいるのに、朝からいいご身分だなと理不尽に苛ついた。睨み付けていると、男と目が合った。
「あ、あげませんよ」
男はそう言って、缶ビールを隠した。
「……そんなモノ、いらない」
「そうですか」
男は、ほぅと息をついた。そして、缶ビールの残りを飲み干す。
……プシ。
どこか行くだろうと思っていたら、もう一本缶ビールを開けた。
んぐんぐ、んぐ。
「……うるさい」
「あ、ごめんなさい。……やっぱり、これあげます」
男は袋からさらに缶ビールを出し、こちらに寄越してきた。わたしは、もういいやと思って受け取った。
……プシ。んぐんぐ、んぐ。
「……ありがと」
「どういたしまして」
男はMと名乗った。なんでも、入場券だけ買ってホームでぼんやりと酒を飲んで帰るのが好きだという。
「本当は夜の方がいいんですけどね」
そんなことを言って、去っていった。わたしは、その日会社に辞表を出した。あんな変な男でも暮らしていけているのだから、今の仕事にこだわらなくても生きていけると思った。
「……あ」
「……こんばんは」
たまに、駅のホームで会った。
「ビール、一本もらえる?」
「えー。そっちのが稼いでるのに」
そんなことを言いながら、Mはわたしに缶ビールを寄越した。Mはビールを2、3本飲む。けれど、わたしと会う時はいつも少し多く持っていた。
そんな日々が2年程過ぎたある日、同僚から交際を申し込まれた。同僚は性格も良く、相手として申し分ない存在だった。
なぜか、Mの顔を思い出した。
「……ごめん。少し考えさせて」
「ああ、いいよ」
その日の帰り、裂きイカを買ってホームへ。
「こんばんは」
「うん。M、裂きイカあげる」
「おお。ありがとう」
「……その代わり、ビールはもらう」
時々電車がホームに着き、また出て行く。二人とも無言で缶ビールを飲み、裂きイカを食む。
わたしは、次の春に同僚と結婚した。Mは、本当に駄目な男だ。けれど、優しい男だった。
Mがやっていた、入場券だけ買ってホームでぼんやり酒を飲むのを谷山浩子さんの歌にちなんで「『星より遠い』ごっこ」と呼んでいます。若い頃はカネがなくて缶ビール買えませんでしたが、今はカネがなくても缶ビール買います。Mと違って缶ビール人にあげませんが。