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6 私の大事な人

「うっ……うぅ……」


 半べそをかきながらカフェカウンターに突っ伏す私を、蛍ちゃんは心配そうに見つめている。


「どうしたの、まーちゃん?」

 蛍ちゃんはカップを磨く手を休め、私の頭をポンポンと撫でる。

「おれに話して少しでも楽になることだったら何でも聞くから、ね?」

 蛍ちゃんの大きくて温かい手の温もりが、頭皮越しに心の奥まで染み渡る。


「ぅ……ありがとう」

 私は顔を上げてズズッと鼻をすする。すかさず蛍ちゃんがテイッシュ箱を差し出してくれる。

「今日の日替わりデザート、ザッハトルテにしてみたんだけど食べる?」

「食べる!」

 間髪入れずに答えると、蛍ちゃんはふふっと微笑み、冗談めいた口調で言う。


「お飲み物はいかがいたしますか? お嬢様」

「ホットカフェオレ、ミルク多めでお願いします」

「かしこまりました」

 私と蛍ちゃんは、見つめ合って「あははっ」といつものように笑い合う。私はささくれだっていた気持ちが少し安らいだ気がした。


 ――昨日は、あれから一言も話さずその場を逃げ出してしまった。


 だって、しょうがない…………あんなことが書いてあったんだから。


 私は咄嗟にポケットに入れて持ち帰ってしまった彼のレベル表の方をチラッと見て、カアッと赤面する。


(あの人、一体どういうつもりなの……!)


 先週初めて話したばかりの私と、これから何をどうやったら“レベル10”をするような関係性になると言うのだろう。

 そもそも、女の子に見せる前提で作ってきたなら、もうちょっとオブラートに包むべきじゃないのか。


(……千明くんだもん、そんな気遣いするわけないよね)


 潔癖症以前に、いろいろと直すべきところの多い人だ。

 あんな白馬の王子様みたいな顔して、何をしでかすか分かったもんじゃない。


 赤くなったり青ざめたりとコロコロ表情を変える私を気遣うように、蛍ちゃんはそっとケーキと温かいカフェオレを出してくれた。


「ありがとう。いただきまーす」

 黒光りするザッハトルテを一口頬張る。

 脳の隅々まで染み渡るような深い甘味と、アプリコットジャムの爽やかな酸味が鼻を抜けた。

 私はその甘美の味に震え、夢中になってもぐもぐと食べ進める。

「美味しい?」

 蛍ちゃんはにこにこと穏やかな笑みを浮かべて尋ねる。私はケーキを口一杯に入れたまま、何度も頷いた。


「美味しいものを食べてるときのまーちゃんの顔、本当に昔から変わらないね」

「もぐもぐ…………え?……私、変な顔してる?」


 蛍ちゃんは小動物を愛でるように優しい顔で言う。

「ううん。とっても素敵だよ」

「もー、すぐそういうこと言うんだから」

 私はハイハイ、といつものように聞き流す。

 カフェで二人きりのとき、蛍ちゃんはいつも私をこうやって少しからかうのだ。まあ、悪い気はしないけど。


 なぜだろう。全く相手にしない私を見て、少し蛍ちゃんが肩を落としたとしたように見えた。


「……それで、何があったの」

 蛍ちゃんは珈琲豆を挽きながら尋ねる。

「おれには言えないこと?」

 あれ? なんか蛍ちゃんが、珍しく少し不機嫌だ。

「それがね……」

 私は言いかけて、ふと思いとどまる。


(潔癖症のこと、あんまり他の人に知られたくないよね……)


 クラスの誰も彼の病気に気づいていないみたいだし……。

 隠してるんだとしたら、例え蛍ちゃんとはいえホイホイと無闇に話すのは良くないのではないか。

 私が腕を組んで言い淀む様を、蛍ちゃんは月夜のような優しい漆黒の瞳でじっと見守っている。


「えっとね、詳しいことはプライバシーの問題で言えないんだけど……」


 私は考えた末に話し始める。

「私の“人前で話せない”っていうコンプレックスがクラスの()()()にバレちゃってね。その人曰く、それは心の病気の一種なんだって」

 蛍ちゃんが「うん」と相槌をうって先を促した。私はゆっくりと話を続ける。

「その人も前から心の病を抱えてたみたいで、いろいろと詳しいの。それで、なんやかんやで、一緒に協力して病気を克服しようってことになってさ……」

「へー。それはすごく親切な人だね!」

「…………」

 私は返答に困って、んんっと咳払いする。


「まあ、その……悪い人ではない……かな」

 向こう見ずで、品がなくて、気遣いの足りないところとかその他諸々あるけど!


 ……蛍ちゃんが心配するといけないので、敢えて言わないでおこう。


「ともかく、その人とは音楽の授業でもずっと一緒で逃げられないし、覚悟決めてやるしかないかなって。すごく憂鬱だけど」

「そっか」

 蛍ちゃんは機嫌が直ったのか、いつものふんわりとした笑顔で私に言う。

「おれはまーちゃんが勇気出して頑張るっていうなら、全力で応援するよ。出来ることあったら何でも言ってね」

「蛍ちゃん……!」

 優しすぎて泣きそうだ。


 子供の時から変わらない、さらさらした黒髪と陶磁器のような白い肌。右目の涙ボクロが、ただでも大人っぽい蛍ちゃんをより頼もしく感じさせる。本当に同い年とは思えない。

 

(蛍ちゃんには、小さい頃からいつも助けられてばっかりだったなー)


 私はふと思いを馳せる。


 ――蛍ちゃんと初めて会ったのは、私が小学校2年生になってすぐのことだ。



 小学校に上がる前からかなり引っ込み思案な性格だったが、入学後それが露見した。


 保育園とは違って、小学校では点呼があり、授業がある。また、給食当番や委員会など、数人のグループで活動しなければならない場面も多い。

 その頃から私は、『なんで周りの人は、そんなに自由に人前で話せるんだろう』といつも不思議で仕方なかった。


 私の声は周りにどう思われるかな。

 声の大きさはどのくらいがいいだろう。

 みんな昨日のテレビの話で盛り上がってるけど、私も混ざっていいのかな。でも、なんて言って輪に入ろうか。私の一言で場が白けたらどうしよう……。

 

 よーくよーく考えた上で、勇気を振り絞って話しかけてみても、小声過ぎて聞こえてなかったり。


 そんなことが続くと、段々と私がぼそりと喋る度に、誰かが「茉莉花ちゃんが喋った喋った」と囃し立てるようになり……余計に私は学校で自由に喋れなくなってしまった。


 私がクラスでいるかいないかわからない、空気のような存在だった頃――細谷蛍太こと蛍ちゃんが転校してきた。


 彼は当時から人当たりが良く誰にでも優しくて、あっという間にクラスのみんなと打ち解けた。

 そしてとても冷静で、周りのことを良く見ていた。だからか、私がクラスで浮いた存在であることにいち早く気づいたみたいだった。


「一緒にやってもいい?」

 ある日の放課後。

 本来3人でやるはずの生き物係の仕事を、口下手なせいで何も言えず一人でやっていると、蛍ちゃんがそっと話しかけてくれた。

「茉莉花ちゃん家ってどの辺?」

 金魚の水槽の水を入れ替えていると、彼が尋ねる。

「ぁ…………ぇ……」

 声をかけてくれたのが嬉しくて、なのに返事したくても咄嗟に上手く声が出ない。私は口をパクパクする。


(早く、早く何か言わないと……!)


 焦るばかりで声は出ない。

 たまにこうやって声をかけてくれる人がいても、いつもこんな感じなのだ。そのうち無視していると勘違いされる。

 みんな私のことを感じが悪い奴だと思っているに違いない。


「ゆっくりでいいよ」

 自己嫌悪に陥り俯いていく私に、彼は優しく語りかけた。私はハッと顔を上げて彼を見る。


「えっと、じゃあ僕の話をしてもいい?」

 しばしの沈黙の後、彼は話し始めた。


 彼の家は私の家からすぐ近くの、駅前商店街の外れにあること。両親が共働きで去年まで世界各国を転々としていたこと。今年祖父が趣味でジャズ喫茶を開店し、そこでお世話になることになったこと。祖父と珈琲を淹れる練習をするのが楽しいこと。

 のんびりと話す彼の声と無理に話さなくていい状況が心地よく…………水槽がすっかり綺麗になり金魚が再び泳ぎ始める頃には、彼についてたくさんのことを教えてもらっていた。


「よかったら今度遊びに来てよ。お客さんなんて、おじいちゃんの楽器友達が朝早く来るくらいで、夕方は暇なんだ」


 ――それから私はちょくちょく蛍ちゃんの喫茶店を訪れるようになり、ちょっとずつ話せるようになって……。


 今では私にとって、なくてはならない存在になった。



 次の日の朝。


「行ってきまーす」

 私はいつものようにマスクで心の防御を固め、お母さんのおにぎりを持って家を出た。

 

(気が重い……)


 クラス……いや学校中に『桐ヶ谷千明の彼女』として誤認されてしまっている上に、その彼とも険悪なままだ。

 いっそこのまま、私のことを知ってる人が誰もいない地域にワープしたい。火星とか。

「はあぁ」

 私はとぼとぼと重い足を引きずり歩く。


「……お、来た来た」

 校門前まで来ると、一番会いたくなかった人が私を待ち構えていた。

「おはよう茉莉花」

 他の生徒が大勢通る前で、周囲より頭1つ背の高い千明くんが、堂々と私に手を振っている。

「……っ! ちょっ!」

 私は慌てて駆け寄り、視線を気にしながら誰にも聞こえないよう彼の耳元で囁く。

「……ちょっと、何考えてんの! ただでも目立つのにこんな校門の真ん前で……」

 彼はニッといつものいけすかない笑顔で私に囁く。


「こうでもしないと、逃げるかと思って」

「ぐっ……」


 確かについさっき、宇宙を飛び越えて逃げ出したいと思っていたのは事実だ。


「よし、じゃあ早速今日から実践するぞ。まずはレベル1からだな」

 彼はマイペースに言いながらスマホを取り出し、私のリスト表を再確認している。


「茉莉花の今日の目標は『出席確認で俺の席に聞こえる声で返事すること』、いいな?」

「ぅうーん。出来るかな……」

「無理なら無理で明日また頑張ればいい。取りあえず、毎日続けることが大切だ」


 この人は本当に、破天荒なのか堅実なのかわからない。時々正論を言うから困る。

 私の心配をよそに、彼は続ける。

「俺のレベル1は……えっと、何にしたっけ?」

 千明くんは「ほらほら」と私にリスト表を見るよう促す。

 出来ることなら二度と見たくなかったけど……仕方なく私は、ポケットから彼のリスト表を取り出し広げた。


「うーん、レベル1は『素手で人の持ち物に触る』って書いてあるよ」

「げ、俺そんなこと書いてたか……」

 千明くんは少し後悔するように腰に手を当て、苦々しい顔をする。

 私はふと、彼にちょっとだけ仕返ししたくなった。


「はいこれ」

「?」

 私は自分のペンケースから、ひよこのチャームがついたかわいいシャープペンシルを取り出す。

「私のお気に入りで毎日使ってるやつ、今日だけ貸してあげる」

「……結構です」

 私は初めて主導権を握った気がして少し気分が良くなり、ニヤニヤしながら言う。


「何言ってるの? 私だって頑張るんだから、千明くんも私のシャーペン素手で触ってみせてよ。タイムリミットは1時間目の数学が終わるまでね」

「え! 時間制限あんの!?」

「ダラダラやっても仕方ないでしょ」

 さっきの私みたいに、「ぐっ……」と彼は言い返せずに言葉を呑み込んだ。


「やるの? やらないの?」

 私はいつになく強気で、ジリジリとひよこのシャーペンを彼の鼻先に近づける。彼はぎょっとして、怯えたように後ずさりする。

「わかった! やる、やるから止まれ」

 千明くんは冷や汗を垂らしながら私を制すると、鞄からジッパーつきのポリ袋を取り出した。

 そして人差し指と親指で(もちろん手袋はしたまま)そっとシャーペンの端っこを持つと、恐々とポリ袋の中に入れて封をした。

「…………ひとまず隔離させてくれ」

 そんなに汚いもののように触られると、何か傷つくんだけど……。

 

 私が不愉快に感じてることなど知らず、彼は「ふぅ」と一仕事終えたようにスッキリした顔で言う。

「気持ちの整理がついたら必ず触るから、ちゃんと見とけよ!」

「わ、私だってしっかり返事するから、聞いててよね!」


 ふん! と私たちはお互いに虚勢をはり、内心では大汗をかきながら、教室へと向かった。

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