5 レベル10
キーンコーン。
4時間目の終わりを告げるベルが鳴り昼休みが始まると、みんなガヤガヤと席を立ち始めた。
「はぁ」
私は小さいため息を1つ漏らす。
なんだか今日は、朝からずっと昼休みのことを考えてしまって…気もそぞろだった。
私は窓側の一番前に座る桐ヶ谷くんに、チラッと目線をやる。
彼は私と目が合うと、何故か人差し指を唇の前に立てて『しー』という風に合図をした。
「?」
私が小首を傾げていると――。
ドドドドドド…………。
「ち・あ・き様~!!」
凄まじい足音を立てて、桐ヶ谷くんのファンクラブの女子達が嵐のごとく押し寄せてきた。
「みんな!千明様、まだ教室にいるよ!」
「キャー」
「今日こそ一緒にご飯食べましょ~」
「キャー!」
「ちょっとアンタ、千明様に近づきすぎじゃない?一歩下がって」
「キャー!!」
「千明様、私、今日はミートローフを作ってきたの♪」
「キャー!!!」
ファンクラブの面々は、珍しく桐ヶ谷くんが教室に残っているとわかるや否や、より一層甲高い声を上げ始めた。教室の前で、押し合い圧し合いの大騒動だ。
(なんで!? どうして今日は逃げないの……?)
私は目立たないよう席についたまま、内心オロオロと桐ヶ谷くんを見る。彼は何故かしたり顔だ。
「あー、みんな。ちょっと聞いて」
桐ヶ谷くんは意を決したようにすっと立ち上がり、女子達の群れに向かって声をかける。すると彼女達は一斉に静かになって、彼を見上げて注目した。
「頼んでもないのに毎日毎日ご苦労様。……これからは、一切俺に近づかないでくれ」
「ェエエー!!」
ファンクラブに激震が走り、「なんで!」「そんなこと言わないで」などと悲鳴が上がる。そんな彼女たちを見下ろし、桐ヶ谷くんはフッとわざとらしく鼻で笑う。
「俺、大事な人が出来たから。これからは昼休みはその子と一緒に過ごしたい」
――数秒の沈黙。そして。
「ぎいぃやあああー!!!」
断末魔のような叫び声が沸き上がり、私は思わず耳を押さえる。
「俺、そいつのこと守ってやらないといけないからさ。ぶっちゃけ、君たちがいると迷惑なんだ」
もはやファンクラブの女子達は、泣いて叫んで崩折れてのパニック状態だ。
せめて、もうちょっと言葉を選んでほしい。
(ていうか、大事な人って誰よ……)
彼女がいるなんて一言も聞いてなかったけど……。
でもまあ、よく考えれば、こんなイケメンに恋人がいない方が珍しいだろう。
私は不思議と少し気落ちしている自分にびっくりして、すぐに自分を納得させるよう心の中で言い聞かせた。
「つーわけで。行こう、本田さん」
――瞬間、その場にいた全員の視線が私に集まる。
「……っ!?」
私は瞬間冷凍されたようにその場で凍りついた。
キリキリ……と周囲の視線が突き刺さり内臓まで氷結させていくように、みるみる私の身体は自由が効かなくなる。
「ほんだ……?」
「誰だっけ」
「ほら、だんまりさんだよ」
「あぁ、本田茉莉花か」
ファンクラブと桐ヶ谷くんのやり取りを遠巻きに見ていたクラスメイト達にも、ざわざわと動揺が広がった。小声で私の噂話をし始める。
しかしこの騒動の張本人の彼は、全くもっていつも通りの綺麗な顔でこちらに近づいてきた。
そして腰を屈めて私の耳元で「早く行くぞ」と囁き、急かすように私のお弁当入れをツンツンと指差す。
私はハッと我に返り、お母さんが作ってくれたおにぎりの入ったお弁当入れを引っ付かんで、慌てて立ち上がる。
ガガガガ、と思いの外大きい音を立ててイスを動かしてしまい、ビクッと身を縮める。
桐ヶ谷くんは私が立ち上がると、スタスタと教室を出始めた。
私はとにかくこのみんなに注目された状況から一刻も早く逃れたい一心で、彼の背中を追った。
屋上へ向かう階段の踊り場。
立ち入り禁止のロープを跨いだ先にあって誰も近づかないはずなのに、不思議とチリ1つ落ちていない。
桐ヶ谷くんは私をそこに連れてきたかと思うと、驚くべきスピードで床を除菌し始める。
一体どこに隠してあったのか、慣れた手つきで大きな真っ白いシーツを取り出しテーブルクロスのごとくバサッと広げると、その上に腰掛けた。
そして、「ん」と私に座るよう促す。
「…………」
私は沸々と沸き上がる怒りや疑問を堪えながら、彼と絶妙な距離を取って、隣に腰掛けた。
「……あのさ、いろいろ説明する前に、一個だけ聞いていい?」
怒りのあまり、無言でがぶがぶとおにぎりを食べ続ける私に、彼は眉をひきつらせながら尋ねる。
「そのおにぎり……色ヤバくない?」
彼は私がまだ手をつけずに膝の上に置いている紫色のおにぎりを、まるで見てはいけないもののように控え目に指差す。
私はあっという間に一個目のワカメごはんwith梅干しおにぎりを食べ終えると、彼が恐る恐る指差した紫のおにぎりを手に取り、ためらいなくかぶりついた。
(もぐもぐもぐ……これは……茄子と辛子蓮根?)
青々とした茄子の漬け物を刻んで混ぜ込んだ紫色のご飯の中に、ピリリと辛い辛子蓮根が入っていた。かなり衝撃的だけど、味は不思議と美味しい。さすがお母さんだ。
さっきまで茹で蛸のように憤慨していた私だが、お母さんの味で少しだけ気持ちが鎮まった。
「よく食べれるな、そんなもん……」
「ちょっと、失礼なこと言わないで。お母さんのおにぎりは芸術なの。味も超美味しいんだから」
ようやく口を開いた私に少し安堵したのか、桐ヶ谷くんはふっと表情を緩める。
「まあ、俺は梅干しだろうが鮭だろうが、他人が握ったおにぎりなんて死んでも食べたくないけどな」
「あ、そ」
私の素っ気ない返事に、彼は失敗したという風に「う……」と呻いてから、開き直ったように作り笑いを浮かべる。
「なあ、そんな怒るなってー。嘘は言ってないだろ?」
「はぁ!?」
私は怒り心頭で声を荒げた。
「いつ私が桐ヶ谷くんの彼女になったの? 意味わかんない! もー、みんなに注目されてどれだけ私が肝を冷やしたかわかってる? わかんないよね! 千明様は注目の的になるの慣れていらっしゃるでしょうし!」
「いきなり饒舌だな……」
桐ヶ谷くんは困り笑いしながら、降参するように手袋をはめた両手を胸の前で軽く上げる。
「悪かったって。でも本当に嘘はついてないから。誰も本田さんが彼女だなんて言ってないだろ?」
「うーん…言われてみれば」
確かに、大事な人とは言ってたけど、彼女とは言ってなかった気がする。
でもそれだと、私は桐ヶ谷くんにとって、冗談抜きで大事な人ということになるけど――。
そう思い至り、私は何だかムズムズと落ち着かない気持ちになってパッと俯く。
桐ヶ谷くんはそんな私を覗き込むように見上げながら言った。
「大事なパートナーだもんな? 茉莉花」
ドンッ、と噴火したみたいに、私は突如として耳まで真っ赤になる。
「ま!? まま…ま、ま?」
突然下の名前で呼ばれた衝撃が大きすぎて、私は間抜けな魚みたいに口をぱくぱくする。
「みんな俺達が恋人同士だと思ってるだろうし、この方が自然だろ。だから、これからは俺のことも『千明くん』な?」
――ずきゅん。
私のハートが音を立てて射抜かれた。
頬杖ついて上目遣いしながらのその笑顔は……ずるい。
私はいきなり顔面の血行が良くなったことを悟られないよう、深々とマスクをつけ直す。
「……そもそも、どうして私とち……っ」
「ち?」
「ち……ち……千明くんとで、恋人ごっこしないといけないの……?」
マスクの下でもごもご言う私に、彼はニッといたずらっ子のように笑って言う。
「だって、これから俺の“レベル10”達成まで付き合ってもらわないといけないし、その方がいいかなって。そう言えば、茉莉花のレベル表はもう出来てんの?」
「レベル表……?あぁ」
昨日言ってた、段階的に出来そうなことから絶対無理そうなことをリストアップしたもののことか。
「一応考えてみたんだけど、どうかな?」
私は手帳に挟んでいたメモ用紙を彼に見せる。
「おー。なかなかいいじゃん。レベル1は『朝の出席確認でちゃんと返事する』か……」
彼はふむふむ……と吟味するようにじっくり読むと、パシャリとスマホで写真を撮った。
「本当はその紙を俺が預かっときたいんだけど、『人の持ち物を家に持ち帰る』は俺のレベル3だから……今は写真で勘弁して」
「うん、それは別に構わないけど。それより……ち、千明くんのも見せてくれる?」
(……名前呼び、全然慣れない。恥ずかしい!)
私が心の中で悶え死んでいるなんて露知らず、「ああ」と彼はポケットから小さく畳んだ紙を取り出した。
「俺のは茉莉花が預かっててよ。意志が変わらないようにさ」
「うん、わかった」
私は手渡されたそれを受け取り、中を読む。
何はともあれ、早くさっき彼が言ってた“レベル10”を確認しておきたい。
「えっと……」
私は丁寧に書き連ねられたリストの一番下に真っ先に目をやる。
「レベル10は……『パートナーとセ……』」
読み上げかけて、咄嗟に言葉を飲み込んだ。
全身がみるみる火照り、私はあまりの恥ずかしさに紙を手にしたままプルプルと震える。
とてもじゃないけど、読み上げるなんて出来ない。だって、彼のレベル表にはこう書いてあったのだ。
――レベル10『パートナーとセッ○スする』