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だんまりさんとケッペキ君 ☆書籍化準備中☆  作者: 綿谷ユーリ


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39 最高のごほうび

「ありがとうございましたー」


 パチパチパチ……という拍手とともに、歌い終えた茜ちゃんがペロリと舌を出しながら席に戻ってくる。


「次、24番本田さん」

「はい」

 音楽の田山先生に名前を呼ばれた私は、きちんと返事をして立ち上がった。朝の出席確認の度に鍛錬を繰り返してきただけのことはある。


「と、伴奏の桐ケ谷くん」


 田山先生がさらりと続けると、似たような曲を聞き続けてだれてきていたクラスメイトが瞬時にざわめいた。


「伴奏?」「そんなのアリ?」「ってか何で?」……様々な疑問の声が渦巻く中で、「桐ケ谷くんってやっぱりピアノ弾けるんだ」「や~ん楽しみっ」と女子たちの黄色い声が上がる。

 すくっと立ちあがり堂々たる雰囲気で前に出ていく彼は、あっという間に主役を掻っ攫う勢いで注目を集めていく。


(ふふ……作戦通り)


 私の声だと原曲より音程を低めに編曲した方がいい、と言う千明くんのアドバイスから思いついた生ピアノ伴奏だったけど、案の定みんなの視線は彼に釘付けで、私は完全に添え物だ。

 おかげでクラス全員の前に立っているというのにきちんと息も吸えているし、喉が塞がる感じもない。少し手は震えてるけど、そのくらいは拳を握れば済むことだ。


 それに何より。


「茉莉花、頑張れよ」

「……うん」


 伴奏ならば、一番近くで彼に聞いてもらえる。


 最近の私は、千明くんが側にいると不思議と無敵なのだ。


 マイクを持ち真っ直ぐ前を向いて立つと、背後からすうっ、と千明くんの息遣いが聞こえてきて。


「♪」


 彼がイントロを弾き始めた瞬間、全身の細胞がぞくりと震えた。


「……!?」

 驚いて振り向くと、彼は――手袋を付けていなかった。


 目を瞠る私に千明くんはニッと微笑み、口パクで『し・せ・い!』と囁く。


 私は慌てて前に向き直り姿勢を正す。

 イントロ部分は長くない。

 ここからは、私が主役だ――。


「Amazing grace, how sweet the sound

 That saved a wretch like me.

 I once was lost but now am found,

 Was blind but now I see.」


“あなたは私のような者を救ってくれた。道を見失って彷徨っていた私を見出してくれた。だから――見失っていたものが今は見える”


 繰り返し歌ううちに脳に焼き付いた歌詞はすっかり自分のものとなり、込み上げる想いが考える間もなく反射的に溢れ出す。


「Through many dangers, toils and snares

 I have already come.

 'Tis grace hath brought me safe thus far,

 And grace will lead me home.」


“これまでたくさんの危機や苦しみ、罠もあったけれど、あなたのおかげで無事にこられた。あなたが私を導いてくれる”


 大昔の人が救いの神を崇めて作った曲なんだろう。きっと、現代に生きる女子高生には想像もつかないような過酷な状況で。


 だけど何故だかすっと腑に落ちる。

 それはたぶん、私にも想う人がいるからだ。


 声のない世界でじっと息を潜めていた私を見つけてくれた。

 導いてくれた。

 たくさん心を揺さぶられて、傷ついたり、落ち込むこともあったけど、これまで感じたことのない感情や見たことない景色を見せてくれた。


 どうか彼にこの声が届きますように――。



「――Than when we'd first begun.」


 誰に向けられたものかわからない拍手がワアッと巻き起こり、ようやく自分が歌い終えたことに気づく。手にはじっとりと汗を掻いていて、マイクを滑り落とさないようしっかり両手で握り直した。


「茉莉花」

 声がして振り向くと、


「頑張ったな」

 目の縁を赤らめた千明くんが、花開くように笑っていた。


 すると一気に緊張が解けて……緩んだ涙線から溢れた涙を隠したくて、私は慌てて前を向いて一礼した。


 鳴り止まない拍手の中、彼が奏でた凪の海のように穏やかな旋律が耳の奥にいつまでも響いていた。




 帰りのホームルームが終わると、時刻はまもなく16時になるところだった。


「それで俺、レベル10のごほうびに何したらいいの? い、言っとくけど、お願いされてもまだ出来ないことだってあるからな……」

 何故かもじもじと四方八方に目を泳がせながら言う彼を引き連れて、昇降口へ向かう。


「会ってほしい人がいるの」

「……え?」


 私が歩きながら言うと、千明くんは口をあんぐり開けて足を止めた。


「いやいやいや、挨拶すんのは流石に早いんじゃないか? でも、いずれ行かなきゃならないよな……。あぁ何て切り出したら!『結婚を前提に』いや『娘さんを俺に』……違うな」

「?」

「うーん」


 何を慌てふためいているんだろう。

 ごにょごにょ言いながら右往左往する彼に首を傾げつつ壁掛時計を見ると、あと数分で約束の時間だった。


「うわぁヤバい、緊張する! 一旦帰ってシャワー浴びてきていい?」

「さっきから何言ってるの? ていうか、そんな時間ないよ。もうすぐそこまで来てもらってるんだから」

「えぇ!」


 のけ反って驚く彼の手を引いて、ズンズンと校門へ導く。


「待って! まだ心の準備が」

「約束は約束だよ。私も頑張って歌ったんだから、千明くんも勇気出して」


 校門が見えてくる。

 その上には――大柄な男性の少し寂しげな後頭部がひょっこり覗いていた。


 千明くんが「ぁ」と小さく声を上げる。


「やあ千明。久しぶりだね」

 私達に気づいたその人が、人懐っこい笑みを浮かべて手を振った。


「葵さん……何で?」

「今朝、そこのお嬢さんに呼び出されてさ。『千明と話をしてほしい』って。いやぁ、千明も隅に置けないなぁ」


 凍り付いたように愕然と立ち尽くす千明くんとは裏腹に、叔父さんはにこにことマイペースに言う。


「茉莉花が……?」

 声を震わせながらこちらを振り向いた彼の目は、帰る場所を見つけられず彷徨う迷子のようで。心許なく揺れる瞳に胸が締め付けられた。


 ……千明くんに笑っていてほしい。


 私は胸の前で手を握り必死に声を絞り出す。


「千明くん話してみよう。きっと――」


 話せばわかる。

 ……なんて台詞、ろくに喋れもしない私にはとても言えないけれど。


「話せば変わるよ」


 蒸せ返るような残暑が、凛と冷え込む初冬となる二学期。


 劇的に移り変わる季節に負けないぐらいの変化を感じた今だから、それなら多少は説得力があるんじゃないかと思うのだ。


「……っ」

 千明くんの目にフッと光が宿る。


「ほら。思ったことそのまま。得意でしょ?」

 彼に貰ったたくさんの笑顔を思い出して、私はニッと微笑みながら付け足した。


 すると彼の強ばっていた拳は、雪が溶けるようにゆるりとほどけて。


「うん」

 千明くんは私を見て静かに頷くと、一人翻って叔父さんの方に歩きだした。先程までとは別人のように芯の通った背中をしていた。


 そしてその背中をパキッと折って、


「ごめんなさい」

 粒の立った声で言い放った。


「俺、居候のくせにああしろこうしろって散々迷惑かけて、葵さんを汚いものみたいに扱って……嫌われてもしょうがなかったって思うよ。本当にごめんなさい」


 降り積もった落ち葉が風に飛んでいくシャワシャワとした耳心地の良い音が、ひと時の沈黙を優しく埋めてくれた。


 わずかに湿度を帯びた彼の声に、叔父さんは戸惑ったように目を丸くして。


「え? 何言ってるの?」

「……え」


 きょとんと首を傾げる叔父さんに、千明くんも拍子抜けしたように首を傾げた。


「僕、千明のこと迷惑だなんて思ったこと一度もないよ? むしろ千明がいなくなっちゃってから家は汚くなるわ、食生活は乱れるわで5キロも太っちゃったし、本当に今からでも広島に連れて帰りたいよ……」

 叔父さんはしょぼんと涙目で言う。


「え? は? だ、だって葵さんが『出てってほしい』て言ったんじゃん!」

「それは……千明にはその方がいいと思ったからさ」


 ちょっぴり禿げた後頭部を、叔父さんが急に気まずそうにポリポリ掻き始めた。


「あの頃千明、例の病気が悪化してきてたでしょ? ほら僕汗っかきだし、清潔感ないってよく言われるし。僕と一緒に居ることがストレスなんじゃないかと思っただけで……誤解させて悪かったね」

「……!」


 叔父さんの円らな瞳が千明くんを真っ直ぐ捉えると、次第に彼の背中が小刻みに震え出した。背後にいる私からは、その震えが怒りなのか悲しみなのかわからない。


 少しして。


「……ふはっ」


 堪えきれなくなったように千明くんが小さく噴き出した。


「あはは!」

 かと思ったらお腹を抱えて笑いだす。

 突然のことに、叔父さんも私も呆気にとられて彼を見た。


「ははっ……何だよそれ! すっごい損した気分。茉莉花の言う通りだ」


 肩を震わせて笑う彼の瞳にはすっかり生彩が戻っていて――その笑顔が今までのどんなごほうびよりも私には嬉しかった。


「良くわからないけどそろそろ行かないと。みんな千明を待ってるよ」

「あ、そっか三回忌」

「千花ちゃんなんて『いきわかれたあにに会える!』って朝から大興奮なんだから。今さら行かないとは言わせないよ。ほら、近くに車停めてあるから」

「えっ、ちょっと」


 叔父さんに急かされた千明くんが、私を気にしてちらりと目線を送ってくる。


 私は彼の真似をして、グッと親指を突き立てた。



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