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37 だんまりさんの夢

 ――『昨日までの自分とは細胞から全部生まれ変わったみたいに、見える景色が変わったんや』


 浮わついた意識のなかで、いつぞやの小森くんの言葉をふいに思い出した。


(あぁ……本当だね)


 この瞬間、この感動だけで、もう何だって出来る気がするよ――。


 窓の外は燃えるような夕焼けで。

 熱にうかされたように見つめ合う私達を、焚き付けているみたいだった。


「どうしたんだろ俺」


 自分の唇を撫で、酔ったように頬を上気させた千明くんが囁く。


「今なら何だって出来る気がするんだ」


 そっと私の髪を手に取り、遊ぶようにサラサラと取り零す。心なしか目が据わってきている。


「茉莉花――」

「ストーップ!!」


 再び顔を近づけてきた千明くんは、私に押し戻されてパチパチと瞬きする。次第に焦点が合ってくると、突然目が覚めたように小さく息を呑んだ。


「うわっ、俺何して! ごめん」

「ううん別に……」


 沈黙が流れると、途端に顔が熱くなる。お互い目のやり場に困って、あてずっぽうに視線を泳がせた。


 彼のレベル10――万が一にも実現しないだろうと高を括っていたけど、今となっては微かに現実味を帯びてきていてドキッとした。

 ていうか、“家族が欲しい”って夢ならそう書けばいいものを。あんな書き方するから、余計なことを散々考えちゃったじゃないか。


(本当に言葉を選ばないんだから……もぅ)


 ようやく火照った頭が働き始めて、内心文句を垂れていたところ、


「もう暗くなるし送ってくよ」


 空の色に負けないぐらい真っ赤な千明くんが呟いて、私はこくんと頷いた。




 帰りの電車の中。


「茉莉花の将来の夢って何?」

「え」


 千明くんが唐突に尋ねてきた。その手には、スマホ画面に映された私のレベル表がある。


――――――――――――――――――

レベル1 朝の出席確認でちゃんと返事する

レベル2 授業で当てられた時にちゃんと答える

レベル3 自分から人に話しかける

レベル4 呼び出しベルのないレストランで注文する

レベル5 4人以上のグループで会話する

レベル6 店員さんと喋りながら服を買う

レベル7 人前で大声を出す

レベル8 面接で受け答え出来るようになる

レベル9 人と話す仕事のアルバイトをする

レベル10 クラス全員の前で歌う

――――――――――――――――――


「これ見ても茉莉花のやりたいことが良くわかんなくて。特にレベル8と9。そもそもうちの学校バイト禁止だろ?」

 千明くんが不思議そうに首を傾げる。


「あーそれね、すぐにって訳じゃないの」

 私は苦笑いしながら言う。


「私、この病気で一番心配してることが就職で」

「就職?」

「うん。だって、どんなに大学でいい成績とったとしても、面接で一言も喋れなかったら不採用でしょ? 奇跡的に採用されたとしても、人と話さなくていい職場なんてそうそう無いし。将来無職にならないために、どうしてもこの二つは出来るようにならないと」


 深刻な面持ちで言うと、千明くんも真剣な顔で腕を組み、うんうんと頷いてくれる。


「なるほど。それで、具体的にやりたい仕事はあんの?」

「……笑わない?」

「笑うわけないだろ」


 既に笑ってる、というか微笑んでいる彼の笑顔が素敵すぎて……そんな彼と両想いになれたことが未だに信じられない。

 だけど彼の温もりは確かに思い出せて、すると忽ち勇気が漲り、私は密かに抱いていた夢をぽそりと口に出した。


「精神科医」

「ん?」

「もしくは、臨床心理士」

「ほう」


 笑わない代わりに、千明くんは何故かひょっとこのように口をすぼめる。その顔がちょっと面白くて私の方が笑ってしまった。


「っはは。それ、どういうリアクション?」

「だ、だって! どっちも人と話すことそのものが仕事みたいなもんじゃん」

「ね。自分でも無謀だって思うよ」


 しまった、という顔をする彼に、私は何でもない風で言う。


「私や千明くんみたいに、他の人には理解できないようなことで悩んでる人の助けになりたいの。私は小さい頃から蛍ちゃんが側にいてくれて、高校ではこうして千明くんに出会えたけど、もし二人と巡り会えなかったらと思うと……本当にぞっとする。だから、一人で悩んでる人達が大事な誰かと出会えるまでの間、私が隙間を埋めてあげられたらいいなって」


 つい長々と喋ってしまった。


 おずおずと彼の反応を窺うと、千明くんは時が止まってしまいそうなほど美しい顔でふわっと微笑んだ。


「それも叶えような、二人で」


 ひと気のない電車の振動とウゥーンというモーター音が心地良くて。

 彼となら、このままどこまでも遠くへ行ける気がした。




 うちのマンションの前に着くと。


「今日はありがとう」

 

 買ってくれたニットワンピの入ったお洒落な紙袋を私に手渡しながら、千明くんが晴れやかに言った。


「私こそ。本当に楽しかったよ」


 幸せいっぱいに笑うと、千明くんがゴクリと唾を呑んで少したじろいだように見えた。


「ぁ、ぅ、茉莉花さ。まだちゃんと言ってなかったけど、俺と付き……」

「あ! 叔父さんの伝言!」


 いけない。危うく忘れるところだった。


 まるで私みたいに珍しく吃っていた彼は、「ん?」と目をぱちくりさせる。


「いま叔父さん、東京出張でしばらく実家にいるんだって。それで『来月の12日、みんな集まるから千明もおいで』って……」


 やっと使命を果たせてほっとしたのも束の間、千明くんの顔色がわずかに曇った気がした。


「どうしたの?」

「いや……その日は父さんと母さんの命日なんだ。三回忌。親戚と顔合わせんの気まずいし、こっそり墓参りだけ行こうと思ってたんだけど」


 縫い閉じた傷口が開かないようにするみたいに、グッと何かを堪えて言う彼に胸が詰まる。


「それからソロコンの日だな」

「へ?」


 話が飛び過ぎて一瞬何のことだかわからなかった私は……思い出してサアッと青ざめた。最近色んなことがありすぎて、すっかり忘れていたのだ。


「はわわ……どうしよう。もう1ヶ月位しかない!」


 頭を抱える私に千明くんはニッといたずらっぽく笑う。


「今の茉莉花なら大丈夫だって」

「全然そんなことないよぉ。もぅ、他人事なんだから……あ、そうだ」

「?」


 ……良いことを思いついた。


「レベル10のごほうび、『1つだけ何でも私の言うこと聞いてくれる』にしてもいい?」

「えっ。ぁ、ぉ、おう……」

「ホント! やったぁ」


 嬉しくなって手を叩くと、千明くんはまたもや吃って目を泳がせた。私はみるみるやる気が湧いてきて、彼の手を取り小指を絡ませた。


「約束だよ」


 ポッと赤くなる彼に手を振って、私は意気揚々と家に帰った。


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