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35 レベル4と6のデート

 使い慣れた学校の最寄り駅から、いつもと反対方向の電車に乗る。


 ちょっとした非日常感と、隣に座る目映いばかりに素敵な彼に胸が高鳴った。


「ところで……今日の予定は?」

「あ、そういやまだ言ってなかったっけ」


 レベル5『子供と触れ合う』に挑戦してもらった代償に、今日は何でも彼の好きなことをすると約束してしまっている。


 私はごくり、と唾を呑んで言葉を待った。


「まずは茉莉花にレベル4と6に挑戦してもらおうと思う!」

「……は?」


 そわそわとした気持ちでいた私は、完全に肩透かしを食らった。


「ちょっと待って。これってデートだよね?」

「ああ」

 平然とした顔で頷く彼に、私はあんぐりと口を開ける。デートでまでレベルアップに挑むことになるとは夢にも思わなかった。

 穴の空いた風船のように、浮かれていた気持ちがしゅるしゅると萎んでいく。


「何でも俺の好きなことしていいって言っただろ?」

「そうだけど……」


 しょんぼりとブーツの爪先に目を落とすと、千明くんが突然くくっ、と笑い出した。


「っ、何で笑うの!」

「くく……さては茉莉花、俺がやらしいこと要求すると思ってただろ?」

「っ、違うもん!!」


 思い切り頭を振って否定すると、千明くんは「へぇ」と言って――にやにやしながら私の前髪を整えた。


「!」

 隙を突かれ、心臓がドクンと大きく脈打つ。


 手袋をしているとはいえ……そんな風に彼から触れてくるとは思わなかった。


 私が狼狽えていることなど露知らず、千明くんはウキウキと楽しそうに微笑む。

「茉莉花を喜ばせるにはどうしたらいいんだろうって、ずっと考えてたんだけどさ」

 と言って、コートのポケットからスマホを取り出した。

「俺達がレベル表に書いたことって、『出来るようになりたい』とか『やってみたい』っていう願望みたいなものだろ?」


 私は彼のスマホに映された自分のレベル表を覗く。

 レベル4は『呼び出しベルのないレストランで注文する』、レベル6は『店員さんと喋りながら洋服を買う』だ。


 お洒落なカフェやレストランは大抵呼び出しベルが無い。かわいい洋服のショップだって、必ず店員さんが話しかけたそうに待ち構えている。

 だから普段は一人じゃ食べたい物も食べられないし、服も量販店のものばかりなのだ。


「せっかく二人で出掛けるんだし、今日は茉莉花の行きたいと思ったレストランと、買いたいと思った服屋に行ってみない? そういうの、やってみたいんじゃないかと思ってさ」

「……っ」


 その笑顔は、ずるい。


 長年拗らせて雑草だらけになった障壁への道のりを、あっさり切り拓いて手を引いてくれる。


(……好きだなぁ)


 本当にしみじみとそう思った。



 仄かに海の匂いがする駅で降りると、目の前にショッピングモールの入口があった。埋め立て地の広野を惜し気もなく使ったであろう巨大さだ。


 お昼時にはまだ早いので、私達はアパレルショップが立ち並ぶ専門店街を歩き始めた。


「いらっしゃいませ~」


 あちこちの店舗から語尾の上がった甲高い声が上がる。その度にびくぅっと足が遠のいてしまう。


「お、あれ茉莉花に似合いそう」

「?」

 無邪気に微笑むと、千明くんは目を輝かせて私の手を引いた。どうしてか今日は、私に触ることへのためらいが無さすぎる……嬉しいけど心臓に悪い。


「これどう?」

 千明くんが指差したのは、雪のように真っ白なニットワンピ。

 つくづく白が好きだなぁと呆れたけど、裾がフリルになっていたりファーをあしらったフードが付いていたりと、量販店ではなかなか無さそうな凝ったデザインだ。


「……かわいい」

「だろ?」

 二人してマネキンをじっと眺めていると。


「いらっしゃいませ~!」

 店員さんの一声で、私は針金を入れられたように背筋を張る。どうやら早くもロックオンされたみたいだ。

「ご試着されますかぁ~?」

 笑顔の圧力がすごい。

 私は早くも喉が狭まってしまい、後ずさりながら口をパクパクする。


「お色違いもございますよ。ブラック、ワインレッド……」

「断然白ですね」

 一心に私に話していた店員さんが彼の声に目線を上げ、はっと息を呑んだように見えた。


「試着お願いします。彼女に」

 千明くんがテキパキと言うと、店員さんはすぐに「か、かしこまりました!」と頬を赤らめて奥に走っていった。


「こちらへどうぞ!」

 試着室の空きを確認して戻ってきた店員さんに、私はあれよあれよと導かれる。

 カーテンの奥に押し込まれる直前、千明くんがニッと笑って親指を突き立てているのが見えた――。



「お客様、お支度できましたかぁ~?」

「ぇ、ぁ、はいっ」

 出ていくタイミングがわからないでいたところに呼びかけられ、私はそろりとカーテンを開ける。


「とてもお似合いですぅ。サイズ感はいかがですか?」

「さ、サイズ感? ぁ、えと、丁度いいです」

「今、彼氏さんもお呼びしますね!」

「か!?」


 動揺しながら顔を上げると、千明くんが店先でガサガサとフロアマップを広げているのが見えた。

 普通に立っているだけなのに、全身から猛烈なオーラを放っている。他のお客さんや通りすがりの人達が彼を見てキャッキャッしているが、本人は全く気づいてない様子で熱心にマップをくるくる回している。思案顔がまた暴力的に格好いい。


 しかし、店員さんに呼ばれて私と目が合うと、彼は途端に破顔した。


「茉莉花かわいい! 似合う! 買います!」

「ありがとうございま~す」


「……え?」


 慌てて元の服に着替えて出た頃には、千明くんはホクホクと微笑みながら紙袋を提げていた。


「よーし、次はレストラン街に行こう! 多分こっちだ!」

 千明くんは大手を振って歩きながら元気いっぱいに言う。


「ねぇ、本当に買ってもらっちゃっていいの?」

「まだ言ってんのか? じゃあこの服はレベル6のごほうびってことにしよう」

「でも……」

「買えて良かったな、茉莉花」

 申し訳ない気がするけど、そうやって笑顔を向けられたら言葉に詰まってしまう。


「なぁ、何食べたい?」


 だって、こうやって恋人同士みたいに彼とショッピングをするなんて、本当に夢みたいなのだ。


「えーっと……あ、あれがいい!」

「ん、パンケーキ?」

「うん。最近できた人気のお店。テレビで見たことあるの」

「オッケー。そこにしよう」


 誘える友達もいなくて行けなかったけど、もりもりとクリームが盛られたイチゴたっぷりのパンケーキにずっと憧れていたのだ。


 休日は行列になるらしいが、平日の昼間なのですぐに席へ案内された。宝石を散りばめたようなメニューに心が踊る。

「どれも美味しそうで悩むなぁ。千明くんはどうする?」

「そうだな。俺はこの鮭のやつにするよ」

「鮭って……スモークサーモンね。私はやっぱりイチゴにしようかな…………ん?」


 あんまり夢心地過ぎてスルーしそうだったけど。


「千明くん食べるの!」

「おう」

「え、何で、えぇっ!?」

「……そんな大声出せたら、注文くらい余裕な気がするけど」


 私は慌てて口元を押さえつつ、呆れ顔で微笑む彼に問いただす。


「急にどうしたの? 私がレベル6やったからって無理しなくていいのに」

「うーん、別に無理してるわけじゃなくてさ」


 千明くんは子供みたいに笑って言う。


「こうやって誰かと外食するの、ずっと夢だったんだ」


 ――願望。


「茉莉花とレストランに来られるなんて。今、俺すごい幸せ」


 彼が言っていたように、私達はレベル表に夢や願いを込めているのかもしれない。


 高いレベルのものほど、絶対に出来っこないと思いつつ、出来たらどんなに良いかと切望している。


「そっか。そうだよね」


 他の人が当たり前のようにしていることが出来ない。

 ……出来るようになりたい。


 その気持ちは痛いほどわかる。


 私の前の道を拓くのが彼ならば、彼の背中を押すのは私でありたい――。


「す」

「す?」

「すぅぅ……」

 気功のように細く息を吐く私に、千明くんが怪訝そうに眉を潜める。


 幸い彼の圧倒的オーラのおかげで、さっきから女性のウェイターさんがチラチラとこっちを気にしていた。

 それに気づいていた私は、意を決して息を目一杯吸い込み叫んだ。


「…………すいませんっ!!」


 ビシッ、と垂直に手を挙げると、狙い通りウェイターさんがたじろぎながら来てくれた。


「お、お決まりですか?」

「ぁ……これとこれ、お願いします」

「スモークサーモンのサラダパンケーキと、どっさりイチゴのクリームパンケーキですね。お飲み物はいかがしますか?」

「へっ? ぅ……ぁ……ホットカフェオレ!」

「かしこまりました」


 店員さんはにこっと笑ってメニューを下げる。飲み物という予想外の切り返しに焦ったけど、我ながら上出来なアドリブだ。

 言い知れぬ達成感に高揚しつつ千明くんを見ると、彼は目を点にして私を見つめていた。


 私は「あ」と気づいて言う。


「ごめん。千明くんもカフェオレで良かった?」

「ああ。……じゃなくて! 茉莉花って結構やるときはやるタイプだよな」

 感心したように呟く彼に、私は「えへへ」と鼻を高くする。


「次は千明くんの番だね」

「お、おう……任せとけ」

 強がって笑う彼が全然頼もしくなくて、思わずくすりと笑ってしまった。



 ――しばらくして。


「お待たせいたしました」

 私達の目の前に、何ともフォトジェニックなパンケーキが運ばれてきた。


「俺のことは気にせず食べてくれ……」

「うん! いただきまーす」


 フォークとナイフを手に、千明くんは窮地に追いやられた勇者のような台詞を吐く。私は構わず大口を開けてクリームを頬張った。


「ん~! 美味しい!」

「ぐっ、ぬぬ……」


 幸せいっぱいで頬を押さえる私と、決死の表情でフォークを口に近づけたり遠ざけたりする千明くん。目をうっとりさせていたウェイターさんも、不思議そうに彼を見ている。


「今日はやる!って思って、無茶苦茶お腹空かせてきたのに。くそ、手が言うこと聞かない」

 悔しそうに呟くと、ぐうぅぅ、と彼の腹の虫が返事をする。


「なら、私が食べさせてあげようか?」

「あ、それいいかも」

 冗談のつもりだったのに、彼は真顔で賛成した。


「このままじゃ埒が明かない。茉莉花、一思いにいってくれ!」

「えっ」

 私が返事をする前に、千明くんはぎゅっと目を瞑って口を開けてしまった。


(恥ずかしいけど、言い出しっぺは私だし……)


 人目を気にしながら、私はパンケーキを一欠けカットして彼の口にそっと差し込んだ。


「むぐっ!」

 千明くんがカッと目を見開く。


 硬直したかと思いきや……ゆっくり鼻で深呼吸してもぐもぐと咀嚼し始めた。


「……うん、美味い!」

「でしょ!」


 一口食べられて勢いづいたのか、千明くんは水を得た魚のように次々とパンケーキを口に運んでいく。

 相当お腹が空いていたんだろう。私が食べ終えるより早く、ペロリと平らげてしまった。


「いやぁ、パンケーキって美味いんだな。普段は自炊したものしか食べられないから、本当に来て良かったよ。ありがとな」

「私こそ。千明くんと一緒じゃなかったら、お店に入る勇気すら無かったもん」

「あ、茉莉花。ちょっとストップ」


 千明くんが、突然右手の手袋を外した。


「?」

 久々に見る彼の素手が、以前より大分あかぎれが減っているなぁなんて思っていたら。


「生クリームついてるぞ」


 真っ直ぐに伸ばした指が、私の口角を撫でていった。


「――!」

 冗談抜きで、心臓が喉から飛び出しそうだった。


 平然とおしぼりで指を拭く彼を信じられない思いで見つめる。

「ちち、ち、千明くん……何か今日変だよ? 熱でもあるんじゃない?」

「は? 超元気だけど」

「だって、いつもはそんな気軽に触ってこないじゃん」

「え……」


 驚いてるのは私の方なのに、何故か彼まで目を丸くする。


「おかしいな。確かに今日は茉莉花に触っても全然平気なんだ。むしろ触ってみたいとすら思ってる……何でだろ?」


 千明くんは、最早何の抵抗もなくカフェオレを啜って首を捻る。


(それって……!)


 私はみるみる赤面し、喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。


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