33 レベル5の迷子
それから3日が過ぎ――。
“次の種目は借り物競争です。参加する生徒は集合場所に集まってください”
「僕達も行かな」
「うん」
体育祭当日。
私と小森くんは実行委員の仕事に大忙しだった。アナウンスを聞くと同時に、お題札が入った段ボールをせっせと運んでコースに並べる。
パンッ、とピストルが鳴り選手が走ってきて札をとると、次の走者のために新しい札を置く。次から次へ、椀子そばみたいに忙しない。
「あ」
次に並べようと手に取った札は“手袋をつけた人”だった。たぶん、愛実ちゃんが怪我をする前に作ったやつだろう。
次の走者をちらっと見る。全員女の子だ。
予備も作ったので、札の枚数は十分にある。
「…………」
私はその札をこっそり段ボールの奥底にしまっておいた。
“続いては、1年生女子による創作ダンスの発表です”
「次、茉莉花の出番じゃん。頑張れよ」
体育ジャージに手袋をつけた応援団長みたいな格好で、千明くんがニッと笑う。
「俺はあの辺で見てるから。その方が茉莉花見やすいし」
千明くんが指さした先には、仮設テントで作った急ごしらえの休憩所があった。校長先生やPTA会長、見学に来た生徒の保護者など、主に年配の人達が日差しを避けてふぅと一息ついている。
確かにそこから見た方が最後列の私と小森くんは見やすいだろうけど。
「千明くんどうかした? 具合悪い?」
げんなりと疲れ切った顔をしている彼が心配になって尋ねた。
「……うん、正直かなりしんどい」
「え! どうしよう、早く保健室行かないと」
「いや、そうじゃなくてさ」
彼が渋ーい顔で目線をやったのは応援席だった。
汗をたっぷりかいた生徒達が大勢ひしめき合っている。
「俺、もうあそこにいるの耐えられない……あー早く帰ってシャワー浴びたい!」
「あ、あはは……」
鳥肌を立てる彼を見送り、ダンスの集合場所へ急いだ。
――練習の甲斐あって、小森くんのダンスは完璧だった。
しかも、持ち前の存在感の薄さと眼鏡を外したおかげか、誰にも男子が混ざっているとは気づかれなかった。
数日でここまで仕上げるなんて……。小森くんも自分に自信が持てないと言っていたけど、こんなすごい才能があるじゃないか。
私が感心していると、
「お疲れさん。これで僕らも少し休憩できるなぁ」
小森くんが眼鏡をつけ直しながら言う。ひとまず、実行委員の仕事も自分達が出る競技も概ね終わったのだ。
「僕は愛実と話してくるわ。ずっと見学ばっかで退屈しとるやろうし」
「うん、また閉会式でね」
体育祭が終わったら彼と話す機会も減るだろう。そう思うと少し寂しいけど。
(……レベル3『自分から人に話しかける』をもっと身に付ければいいだけだよね)
私は気を取り直して千明くんの様子を見に行った。
「あんま泣くなって」
「?」
休憩所に近づくと、千明くんの引き攣った声が聞こえてきた。
「鼻水ひどいぞ……だぁッ! 待って、俺の袖で拭くなよ……あった、ティーッシュ!!」
何を一人で慌ててるんだろうと見ていると、必殺技のようにポケットティッシュを勢いよく宙に繰り出す。
丸一日汗まみれな人々と過ごしたせいで、おかしくなっちゃったのか……。
「もう早退したら千明く……ん?」
近くまで寄ると――彼の膝下に、小さな女の子が立っていた。
4、5歳くらいだろうか。目にいっぱい涙を溜め、ひっくひっくと肩を揺らしながら千明くんが差し出したティッシュで鼻をかんでいる。
「茉莉花いいところに! この子、迷子みたいなんだけどさ」
「ちがうもん! おいちゃんが迷子なの!」
千明くんが私を見つけて言うと、女の子は泣きながらも毅然とした態度で否定する。どことなく、その強い眼差しに見覚えがあった。
「ちーちゃん?」
私が呟くと、女の子はハッと泣き止み顔を上げた。
「うん。おねーちゃんだぁれ?」
首を傾げる彼女の顔を見て確信した。人生のどん底だったあの日、電車で私の手を握ってくれたあの子だ。
本人は覚えてないみたいだけど、私にとっては大切な恩人である。ここは一肌脱がないわけにはいかない。
私は意気込んでマスクを下ろし、しゃがんで彼女と目線を合わせた。
「私は茉莉花って言うの。“おいちゃん”って言うのはお父さんかお母さんのこと?」
「ううん、おいちゃんはおいちゃんだよ」
「えっと……今日はお兄ちゃんかお姉ちゃんの応援に来たの?」
「あのね、“いきわかれたあに”をさがしに来たの!」
生き別れた、兄……?
私は困り果てて千明くんを見上げた。しかし、彼もはあぁと深いため息をついていた。
「ずっとこんな調子なんだよ。茉莉花、実行委員だったよな。迷子センターって無いの?」
「落とし物受付所ならあるけど、さすがにそれは無いよ」
たかが高校の体育祭。見に来る保護者も少なければ、小さな子が来ることなんて全く想定していない。
「仕方ない。落とし物受付所の人に引き渡すか」
「そんな! 私達でおいちゃんって人、探してあげようよ。暇でしょ?」
私が食い下がると、千明くんは「げ」と露骨に顔をしかめる。
……そんなに冷たい人だとは思わなかった。
私は信じられない気持ちで彼を睨む。
「見損なったよ千明くん。そんなに面倒なら私一人で探すからいいもん」
「違っ! 面倒とかじゃなくて、ほらこれ」
「?」
千明くんは私にスマホ画面を突き出す。
そこには彼のレベル表が映っていた。
「レベル5、見て」
言われた通り見れば――『子供と触れ合う』と書いてあった。
「俺、子供が駄目なんだ。病気になるまでは全然平気だったんだけど……小さい子っていきなり『見て見て―』って虫持ってきたり、急に泣いて鼻水を人の服で拭いたりするだろ? 命がいくつあっても足りない」
大の男が小さな女の子を前に青ざめた顔で後ずさりしている。端から見たら滑稽だろうけど、千明くんは至って真剣だ。鋭い眼差しが無駄に格好いい。
そんな彼が愛おしくて、少し意地悪したくなった。
「むしろいい機会なんじゃない? 私もレベル5達成したし、千明くんも頑張ろうよ」
「でも、心の準備が……」
「ごほうびデート、何でも千明くんの好きなことしていいからさ」
「やろう」
「え」
それを決め手に即決されると心配になるけど……ひとまず話はまとまった。
私達は少女と共にグラウンドを歩き始めた。
「ちーちゃん。おいちゃんってどんな見た目?」
私が尋ねると、少女は「うーん」と一生懸命に考えてから言う。
「くまさんみたいにおっきくてー、かみのけがちょっとハゲてる。でも、ハゲって言うとおこる! はははっ」
ようやく笑顔になってくれたのは嬉しいけど……おいちゃん、なかなか酷い言われようだ。ともかく、大柄で薄毛の人ということはわかった。
「おいちゃんって、“おじちゃん”なんじゃないか?」
千明くんに言われて「確かに!」と私も納得する。舌足らずで上手く言えないのかもしれない。
「それより俺は“生き別れた兄”の方が気になる……変なドラマでも見たのかな」
千明くんは苦笑しながら、ちーちゃんに聞こえないようひそひそ声で囁いた。
「私も気になるけど、お兄さんを探すより、おじちゃんを探す方が圧倒的に簡単だよ」
グラウンドでは2年生がムカデ競争をしていて、大勢の生徒が応援に群がっている。百人以上いる男子生徒の内の一人を探し出すのは至難の業だけど、中年男性なら数は限られるだろう。
手を繋いだ私とちーちゃんの隣を千明くんが一歩離れて歩きながら、不思議な三人組でグラウンドを探し回った。けれど、おいちゃんは見つからない。
“まもなく閉会式です。生徒の皆さんは整列してください”
「私そろそろ閉会式の準備に行かないと」
「え、待っ」
「あと宜しくね!」
私は小さな手のひらを彼に託し、やむなく閉会式の設営に向かった。
千明くんが心細そうに眉尻を下げたけど……レベルアップの試練と思って頑張ってもらうしかない。
――閉会式が終わる頃には、日が傾き始めていた。
(千明くん達、大丈夫かな……)
辺りを見回したけど、グラウンドに二人の姿はない。もう諦めて交番に連れて行ったのかもしれない。
私は勘を頼りに校門へ向かって走り出した。
(いた……!)
千明くんとちーちゃんが手を繋いで校門に歩いていくのが見えた。心配してたけど、ちーちゃんは千明くんを見上げて楽しそうに何か喋っている。
(なぁんだ、全然心配いらなかった……)
私が嬉しくなって声をかけようとした、そのとき。
ピタリ、と千明くんが足を止めた。
その横顔は――何か一点を見つめて酷く狼狽えたように唇を戦慄かせていた。
「おいちゃん!」
突然ちーちゃんが目を輝かせて駆け出す。
その先には、ふくふくとした体格の男の人が立っていた。確かに頭頂部が若干心許ないけど、ハゲと言う程でもない。
「千花ちゃん!」
おじちゃんと呼ぶには若すぎる30半ばくらいのその人が叫ぶ。
――途端、硬直していた千明くんがバッと踵を返して校舎へ駆け出した。
「え?」
突然過ぎて彼を引き留められず、かといってちーちゃんを放っておくこともできず……右往左往した末に私は校門へ向かった。
「あ、おねーちゃん。おいちゃんいたよー!」
ちーちゃんが飛び跳ねながら私に手を振る。
男の人は私と目が合うと、
「お嬢さんが面倒見てくれてたんですか? うわぁ申し訳ない。あ、良かったらこれどうぞ」
ダッフルコートのポケットから個包装のもみじ饅頭を取り出し、ポンと私の手の平に置く。
「え? ぁ……ありがとうございます」
初対面の人を前に一瞬体が強ばったけれど、何とかお礼を言えた。何でもみじ饅頭?とは思ったけど。
男の人は「いやぁ」とポリポリ頭を掻きながら言う。
「こっそり甥っ子の顔を見に来たんだけど、
目を離した隙にこの子だけ中に入ってしまって。追いかけようとしたら、不審者と間違われて足止めくうし。千花ちゃん、勝手にどっか行かないって約束したでしょ? もー」
ぐりぐりと頭を撫でられ、ちーちゃんはえへへ、と舌を出す。
「あの」
これまでの成果なのか、まだ喉が閉じてなかった私は思いきって聞いてみた。
「甥っ子って、この子のお兄さんですか?」
「いきわかれたあに!」
私が尋ねると、ちーちゃんがすかさず補足してくれた。
男の人は「何じゃそりゃ?」と少女に微笑んでから言う。
「そうそう。お嬢さん、桐ヶ谷千明って子わかる?」
「え! 千明くんの叔父さん!?」
私が素頓狂な声を上げると、その人も驚いたように目を丸くした。
私は慌てて言葉を繋ぐ。
「ぁ……その……友達なんです。さっきまで近くにいたので、探してきましょうか?」
「あーいいんだ、いいんだ。本当に顔見に来ただけだから」
しかし、叔父さんは「あ、でも折角だから」と不意にポケットから手帳を取り出し何か書き始めた。そして、ぴりりと破った切れ端を私に差し出す。
受け取って見れば、走り書きで“篠崎葵”という名前と携帯番号が書いてあった。
「連絡待ってるよ」
「…………」
「ん? あ、違う! 危ない人を見る目で見ないで」
私が露骨に怪訝な顔をしたせいか、何も言ってないのに慌てた様子で否定した。
「今のは千明への伝言。それ、渡しといてくれないかな? この前トイレにスマホ落として番号変わっちゃったんだよね」
「はぁ」
「ついでに伝言追加してもいい? えっとね……」
人懐っこいというかマイペースというか……結構ちゃっかりした人だ。叔父さんが千明くんへの伝言を喋るのを、私は黙って聞いていた。
「本当にありがとう! 千明に宜しくね」
「バイバーイ!」
喋り終えると、叔父さんとちーちゃんは晴れやかに笑って、仲良く手を繋いで帰っていった。