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だんまりさんとケッペキ君 ☆書籍化準備中☆  作者: 綿谷ユーリ


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31 幼馴染み

「でさー。ダンスのことなんだけどぉ」


 愛実ちゃんは何で気がつかないんだろう、と自分のことを棚にあげて思う。


「めぐの代わりにセンターで男子役踊れそうな人、茜しかいなくて。でもそうすると、だんまりのペアがいなくなっちゃうんだよねー。他のクラスの女子もみんな自分のダンスで手一杯だし」


 いつも側にいてくれることに、胡座をかいているからだ。

 真正面からしか見てないからだ。


「手伝ってあげたいけど、体育祭まで仕事が山積みなのよね」

「ヒナ先輩は気にしないでください! めぐ、もう良いアイデアあるんで」

 にやり、と愛実ちゃんが意味深に笑う。


「翼、私の代わりに踊ってよ」

「え、僕ぅ!」

 小森くんが丸眼鏡の下の大きな瞳をさらに丸くした。


「翼なら遠くから見れば男子ってバレなさそうだし、踊るの得意でしょ?」

「いや、僕がやっとるのは日本舞踊やし。そもそも今日が火曜やろ。ひぃ、ふぅ、みぃ……本番まであと4日しかないやんか!」

「大丈夫だって。めぐと茜でみっちり指導するし。だんまりも手伝ってよね」


「へ?」

 突然名前を呼ばれ、ハッと現実に引き戻された。


「ごめん、何だっけ?」

「だからダンスの話! もぅ、ぼけっとしないでよ」

「ダンス……。あ、そうだ愛実ちゃん、あの時は私の汗のせいで本当にごめんね」

「はぁ? べ、別にあんたのせいじゃないし、めぐが不注意だっただけ」

「それでも、ちゃんと謝りたかったの」


 気がつけば、すごく自然に一番言いたかったことを言えていた。余計なことを考えなかったからかもしれない。既に私の意識はここになく、香ばしく暖かいあの場所へ飛んでいたのだ。

 唇が熱く、疼くような使命感にそわそわと膝が浮いてしまう。


「とにかく! 明日から昼休み中庭で特訓だから、二人ともちゃんと来なさいよ!」

 愛実ちゃんが強引に話を戻して叫ぶと、


「しゃあないなぁ」

 小森くんが優しく微笑んで――その横顔を見た途端、居ても立ってもいられなくなった。


「ごめん、私もう行かなきゃ」


 話の流れを無視して立ち上がる私に、三人が驚いたように言葉を失った。流れる沈黙に、すっと頭が冷える。


(あ、やっちゃった……)


 私が青ざめた顔で俯くと、


「あら、そうなの?」

「何もぅ慌ただしいんだから」

「帰り道一人で平気なん?」


 すぐにみんなそう言って、言葉を返してくれた。


 どくん、と心臓が躍り、みるみる血の気が戻ってくる。


「……うん、平気。ありがとう」


 こんなに素敵な人達の前で喋ることの、何が怖かったんだろう。


「また明日!」

 私は食べかけのモンブランに目もくれず、早足で愛実ちゃんの部屋を後にした。



 逸る気持ちを抑えてバスに乗り込み、駅に着く頃には日没の時刻をとっくに過ぎていた。


 私はバスを降りるや否や、白い街灯が灯る商店街を一気に駆け抜けた。


 ハッ、ハッ……と荒く息が漏れる度、彼と過ごしてきた長い時間が走馬灯のように頭を過る。


 ――『おめでとう』『楽しみだね』

 

 親戚中にそう言われ続けて入学した小学校は、発言力の格差社会だった。性格で片付けられない言葉の不自由さに嫌でも気づき、打ちのめされた。

 靄が纏わりついているみたいに、自分の声は誰にも届かない。なのにクラスメイトの心無い言葉は鋭く胸を突いてくる。


 あの靄の中から連れ出してくれたのは、蛍ちゃんだった。


 ずっと側で支えてくれていた男の子……なのに私は、いったいどれだけ彼の心を踏みにじってきたんだろう――。


 脇腹が引きちぎれそうなほど全力疾走し、ようやくカフェが見えてきた。

 ちょうど閉店時刻なのか、蛍ちゃんが外に出て札を『CLOSED』に返していた。


「まーちゃん?」

 突如息を切らして現れた私に、蛍ちゃんが驚いたように目を見開いた。


「どうしたの、こんな夜遅くに」

「わ、私ね……えっと……!」

 

 息が上がって上手く喋れない。肩を揺らしながら声を絞り出そうと足掻いてると、蛍ちゃんはフッと地面に目線を落とした。

「おばさん心配するし、今日は帰りな? 送っていくから」

 彼の白い肌が街灯に照され、青く透き通って見える。路面に微笑みかける横顔は今にも壊れてしまいそうに儚くて、鼻の奥がツンと沁みた。


「ちょっと待ってて、上着取ってくるね」

「待って!」


 私は中に入ろうとする蛍ちゃんの腕を必死に掴んだ。


 ようやく私の目を見た彼は、普段とは別人のように瞳がゆらゆらと揺れていた。


「話があるの。お願い、少しだけでいいから」

 私は彼の腕にしがみついたまま、目を見据えて言った。


 彼は何か迷っているようにまた俯く。しなだれかかる前髪の下で一体どんな目をしているのか、見えないだけに不安が募った。


 しばらくして、


「ホットカフェオレ」

 ようやく口を開いた蛍ちゃんが言ったのは、たった一言だった。


 ゆっくりと頭を上げた彼の顔は痛々しい程にいつも通りで、少し言葉に詰まったけれど、


「ミルク多めで」


 合言葉のように言葉を返すと、蛍ちゃんは紳士的にドアを開けてくれた。



 店内は少し肌寒かった。


 カチ、とコンロの火を点けてお湯を沸かしながら、蛍ちゃんが言う。


「ごめんね、お店の空調もう切っちゃったんだ。出来上がったら持っていくから、おれの部屋で待ってて」

「あ、うん」

 私は言われるがまま立ち上がり、階段を昇った。


 見慣れた蛍ちゃんの部屋に入り、カプチーノ色のベッドにちょこんと腰かける。いつもならごろ寝して寛ぐけど、今日は何だかそわそわしてしまって、きっちり背筋を伸ばして待った。勢い勇んで来たくせに、少し緊張しているのかもしれない。


「お待たせ」

 程なくして、蛍ちゃんが湯気の立つトレイを持って入ってきた。


 カフェオレの隣に何か置いてある……と首を伸ばして見てみれば、彼用のブラックコーヒーだった。


「残念でした。今日はスイーツ作ってないんだ。まーちゃん来ないと思ってたからね」

「べ、別に、違うもん」


 さすが蛍ちゃん……私の考えていることなんてお見通しだ。

 恥ずかしくなって口ごもると、蛍ちゃんはふふっと微笑んでローテーブルにトレイを置く。座椅子に腰かけると、珈琲を静かに一口啜った。


 私も気を取り直して「いただきます」とカフェオレを飲む。


 ミルクたっぷりのまろやかな液体が、喉を温めながら胃に落ちる。体の中に湯たんぽが出来たみたいにぽかぽかしてきて、思わず溜め息が漏れた。


「それで、話って?」

 蛍ちゃんが尋ねる。


 私はそっとカップをソーサーに戻し、ベッドに座ったまま居住まいを正した。体が温まったおかげか、いつの間にか緊張もほぐれていた。


「謝りに来たの」


 私が毅然と言うと、蛍ちゃんはゆっくりと瞬きしてからカップに目線を落とし、


「……何を?」


 ぞっとするほど冷たい声で呟いた。


 私が驚いて言葉を失っていると、

「あぁ、この前の『むっつりスケベ』ってやつ? 大丈夫だよ、全然気にしてないから。律儀だなぁ、まーちゃんは……あはは」

 すぐにいつもの穏やかな声色に戻り、笑いながら付け足した。


 私は我に帰って慌てて言う。

「違うの! まぁそれも悪かったなとは思ってるんだけど、そうじゃなくて……」

「嫌だよ」


 蛍ちゃんが露骨に私の言葉を遮った。


「聞きたくない」


 そんなこと、長い付き合いで一度もなかったのに。


「おれの気持ちには応えられない、ごめん、とか言うんでしょ? そんなの言われなくてもわかってる――」

 穏やかな口調のまま、微笑んだままなのに、目が全然笑ってない。

 のっそりと立ち上がった彼の顔は、ベッドに座って見上げる私からは少し怖くなるほど高い位置にあった。


「まーちゃんの方こそ、わかってるの?」


 みるみる近づいてきて照明を背にすると、彼の顔は逆光で見えにくくなる。目を凝らしているうちに、気づけば膝がぶつかるほど近くに彼が立っていた。


「告白してきた男の部屋に一人で入っちゃうなんて……何されてもいいって言ってるようなものだよ」


 気づいたときには、彼の片脚が私の膝の間に滑り込み、とんっと肩を小突かれて――。


 トサッ。


 私は彼のベッドに押し倒されていた。



「ん?」

 私は咄嗟に状況が飲み込めず、間抜けな声を出す。


 何で私、横になってるんだろう?

 何で蛍ちゃんは、私の手首を押さえてるの?

 彼の前髪が私の鼻先をくすぐるほど近くで揺れているのは……何で?


 無数のはてなが脳内を駆け巡り、思考が停止する。けれど体は覚えていたのか、急に唇がじんじんと熱くなってきて……薄く開いた彼の唇が目に入った途端、ようやく状況を理解した。


 ハッと息を呑む私を見下ろし、蛍ちゃんは毒を孕んだ不敵な笑みを浮かべる。


「ほら、ちゃんと抵抗しないと。まーちゃんの初めて、おれがもう一個もらっちゃうよ?」

 

 首を傾げて意地悪く微笑む彼の首筋は、大人の男の人のように逞しい。どう考えたって抵抗しようがない。


 私はきゅっと目を瞑る。痛くない程度にしっかりと押さえつけられた手首が、じわじわとベッドに沈み込んでいく。


(どうしよう……!)


 怖い、怖い、怖い…………こわい?


 ――誰が?


 恐る恐る目を開けると、すぐ目と鼻の先に彼の顔があった。


 長い睫毛の下で月夜のように煌めく黒い瞳と、大人っぽい涙ぼくろを際立たせる白い肌は、どこからどう見ても、

「蛍ちゃんだ」

「……え? そうだよ」

 きょとんと呟く私に、彼は拍子抜けしたように表情を緩めた。


「なぁんだ、蛍ちゃんだ。ははっ」


 まったく、何しに来たんだか私は。

 この期に及んで、また彼のことをきちんと見てなかったなんて。


「まーちゃん……今、笑うとこじゃないんだけど」

「あ、ごめんね。何か気が抜けちゃって」

「この態勢で?」


 蛍ちゃんは呆れたように深いため息を吐くと、そっと私の手首を離して上体を起こした。

「おれ、つくづくまーちゃんに男として見られてないんだね……」

 片手で頭を抱えながら苦笑する彼に、私はのそのそと起き上がりながら言う。


「違うよ。自信があっただけ」

「自信?」

「そう。蛍ちゃんは優しいから何もしてこないっていう」


 胸を張って言う私に、蛍ちゃんは困ったように眉を潜めた。

「何言ってるの……。この前も言ったでしょ、おれ相当性格悪いって。まーちゃんが千明を好きだって知ってて、こんなことするんだよ」

 蛍ちゃんは私の手を取り、甲にそっと口づけた。そのまま手を握り締めて脅すように言う。

「ねぇ教えてよ、まーちゃん……どこにキスしたら、おれのこと見てくれる?」


 その笑顔は、棘さえ美しい薔薇の花のように優雅で。


 だけど目を凝らせば……近寄るなとばかりに針を剥き出しにしたハリネズミみたいだった。


「ちゃんと見てるよ」

 私は彼の手を握り返して言う。

「でも、ついこの間までは見てなかった。今日はそれを謝りに来たの」


 蛍ちゃんが驚いたように笑みを引っ込めた。


「……蛍ちゃん、私のことを好きになってくれてありがとう。いつも側にいてくれたのに気が付かなくて、きっと今までたくさん傷つけたよね。本当にごめんなさい」


 同い年とは思えないほど大人びた彼の顔が、みるみる幼くなっていく。初めて会った頃を思い出して少し懐かしかった。


「嬉しいけど……私は蛍ちゃんの気持ちには応えられない。それが本当に泣きたくなるくらい辛いの。でも、その辛さは私が抱えないといけないものだから――」


 そんな時にまで優しくしてしまうのが、本当に彼らしいけど。

 

「私に嫌われようとしなくていいんだよ?」

「……!」


 蛍ちゃんは狼狽えたようにふるっと瞳をゆらし、きつく唇を噛み締めた。


 私達は手を繋いだまま見つめ合う。

 私が言葉に詰まった時に彼がいつもしてくれたように――私は彼が口を開くのをじっと待った。


「いつからか……よく覚えてないんだけど」


 彼の声が震えていて、胸が詰まった。


「たぶん初めて話しかけた時から気になってた。段々まーちゃんが心を開いて、学校中でおれだけに喋りかけてくれるのがすごく誇らしくて。何となく、まーちゃんの声はおれだけのものって思ってたなぁ……」


 恥ずかしそうに柔らかくはにかむと、彼の目尻から湛えきれなくなった涙が一筋だけ流れた。


「丁寧にはじいた琴の音色みたいな声も。

 甘い物でけろっと元気になるところも。

 人一倍考えすぎちゃうところも。


 ……全部大好きだったよ、まーちゃん」


 物語の最後の1ページを読むようにゆっくりと言葉を紡ぎ、蛍ちゃんはふわりと笑う。


 心から微笑んだ彼の笑顔は――無邪気な子供みたいにあどけなかった。


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