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29 レベル6の手紙

 次の日。

 今朝も千明くんは私より早く来ていた。


 しかし、何やら恐ろしい集中力で机に向かっており、私が来たのにも全然気づいてないみたいだった。


 これといった打開策を見つけることも出来ず、時間は過ぎていく。

 

 ……私は焦っていた。


 これから音楽の授業なのだ。


 あの日を最後に、もう丸4日はまともに会話できていない。これから約一時間、狭い部屋に二人きりだなんて、考えただけで胃が痛い。


「はあぁ」

 気が重すぎて、自然と歩みが遅くなってしまう。

 私は始業のチャイムが鳴ると同時に、お化け屋敷に入るみたいにぎゅっと目を瞑ってから音楽準備室のドアを開けた。


 ――ガチャ。

「お、やっと来た!」

「?」

 弾むような声に驚いて顔を上げると、


「遅かったな、茉莉花」


 千明くんが、真っ直ぐ私を見ていた。


 箒を持ったまま、ニッといたずらっ子みたいに笑って。


 開け放された窓からふわりと風が吹き込む。

 甘く爽やかな金木犀の香りが彼の前髪を揺らすと、たちまち世界が息を吹き返したように鮮やかに輝き始めた。


「……っ」


 彼が私を見てくれる。

 声が届く。

 それだけのことが、こんなに嬉しくて、照れ臭くて、胸が躍ることだったなんて――。


「千明くんだぁ……」

 胸のしこりが溶けて無くなり自然と笑みがこぼれた。温かいはちみつレモンを飲んだみたいに、体中がぽかぽかしてるのだ。


「な、何だよ、どうかした?」

 潤んだ目でふにゃりと笑う私に、千明くんは何故か少し赤くなって一歩後ずさった。


 久々に直視する彼の瞳は相変わらず澄んだ海のように綺麗で、つい懐かしく見惚れてしまう。


「ううん、何でもないの。それより……もう、怒ってないの?」

 私は必死に腑抜けた顔を引き締めて言った。


 勇気を出して尋ねたのに、千明くんは目を丸くして「え」と間抜けな声を上げる。


「俺が? 茉莉花に? 何で?」

「だ、だって千明くん、私のこと避けてたでしょ」

「え……? あ、違うんだ! いや、避けてはいたかもしれないけど、理由があって……!」

 彼は慌てたように箒を手離すと、ブレザーの内ポケットから三つ折りにした紙切れを取り出した。かさりと広げられた紙の裏側には罫線があり、一端は手で破ったようにガタガタしている。たぶん、ノートの切れ端なんだろう。


「俺さ、ずっと茉莉花に手紙書いてたんだ」


 千明くんは「んんっ」と咳払いを一つすると、途端に真面目な表情になる。


「聞いてくれ――“茉莉花へ”」


 真剣な眼差しで紙に目を落とす彼の表情は、はっと息を呑むほど美しい――けど。


「え、手紙?」

 私はつい水を指してしまった。


「そうだけど?」

 千明くんはふっと眉の力を抜き、いつもの軽い調子で言う。

「本当は暗記するつもりだったんだけど、早く言いたくなっちゃってさ」

「じゃなくて、何で急に手紙なの!?」


 面と向かって手紙を読まれるなんて、何だかとてもむず痒い。平気でやろうとしてる彼も凄いけど。


 私が戸惑って尋ねると、「だってさ……」と千明くんは子供みたいに口を尖らせた。

「茉莉花この前、『思ったことそのまま言い過ぎ』って怒ってたじゃん。だから、手紙にした方が気持ちが伝わるかなって思ったんだ。それに、考えがまとまる前に喋ったらまた失言しそうで……」

 急に恥ずかしくなってきたのか、千明くんは床を見ながらぼそぼそ呟いた。


「もしかして、それで私のこと避けてたの?」

「まあな……誤解させてごめん」


 至って真面目な顔で言う彼に、私はぱちぱちと瞬きしてから、ぷっ、と噴き出してしまった。


「あはははっ」

「っ! 何で笑うんだよ!!」

 千明くんはますます照れたのか、耳まで真っ赤になって叫んだ。


 おかしいような嬉しいような不思議な気持ちが込み上げて、笑いが止まらない。ムッと彼が眉根を寄せているのに気づき、私はようやく息を整えた。


「ははっ……。ごめんね、千明くんがそんなに私の言葉を真に受けてるとは思わなかったよ」


 いつも嵐みたいな言動で振り回すくせに、たかが私と喋るくらいでそんなに悩んでいたなんて。

 真相が分かってから、今朝の真剣に机に向かう千明くんの姿を思い出すと……堪らなく健気でかわいい。もっとちゃんと見ておけばよかった。


「受けるよ、普通に。茉莉花が大事だから嫌われたくない、当たり前だろ?」

「っ」

 拗ねた顔で言う彼に、ドクンと心臓が跳ねる。彼らしい剥き出しの言葉は、さすがの破壊力だ。


「わ、わかった……」

 途端に形勢逆転され、私はもじもじと俯く。

「でもさ、やっぱり朗読されるのは恥ずかしいし、もしも誰かに聞かれたら嫌だから……自分で読んでもいい?」

「まぁそれでもいいけど。清書してないから汚いぞ」

 千明くんは少し不服そうだったけど、そう言って私にノートの切れ端を手渡した。


 私はドキドキしながらそれ広げ、目を落とす――。


*****


 茉莉花へ


 この前は茉莉花の気持ちも考えず、カッとなって蛍太と怒鳴りあってごめん。アイツと付き合ってんじゃないのかって疑ったりしてごめん。それから、いつも考えなしな言葉で傷つけてごめん。

 もしも許してくれるなら、これからも俺のパートナーとして治療を続けて欲しい。


 俺にとって、やっぱり茉莉花は特別なんだ。似たような病気で悩んでるからかと思ってたけど、最近はそれだけじゃないと思う。


 あの日の昼休み。実は優菜に呼び出されて、茉莉花の告白にどう答えたのか問いただされたんだ。断ったって言ったら『千明にとって恋愛感情ってなんなのよ!』ってめちゃくちゃ怒られた。ひどいだろ?


 ともかく。それからずっと考えてたんだけど、俺にとっての恋愛感情は“自然とキスとか抱きしめたいって思えること”だと思ってる。正直、茉莉花とでもそれはまだキツい。


 でも……蛍太が茉莉花を抱きしめてるのを見たら無性に腹が立ったし、不意打ちでキスした時なんてマジでぶん殴ってやりたかった。


 自分でも驚いたけど、『何で俺とじゃないんだ?』って一瞬思ったんだ。

 

 アイツの言う通り、俺はまともに誰かを好きになったことがないから、これが恋愛感情なのかわからない。だけど、茉莉花の気持ちにちゃんと応えるには、この気持ちが何なのか確かめないといけないと思う。


 だから、レベル6のごほうびとして、俺と一日デートしてくれないか?


 告白の返事は、その後にもう一度改めてさせて欲しい。


*****


 ちょうど私が読み終わる頃、

「うぅぅっ……もう無理!!」

 いきなり千明くんが頭を抱えて悶絶し始めた。


「え、な、何!?」

 驚いて顔を上げると、彼はいつの間にか耳の先まで真っ赤で、頭からシューッと湯気を出していた。


「目の前で手紙読まれるってマジで恥ずかしい! 自分で読んだ方がまだマシだって……ぐぅぅ」


 気を紛らわすためか、彼は咄嗟に箒を手にとってすごい勢いで床を掃除し始めた。


 私はもう一度、彼の手紙を頭から読み直す。

 文字には何度も書いては消した跡があり、ろくにメッセージも送ってこない筆無精な彼がここ数日苦悩した様子が窺えた。


 それだけでも幸せすぎるのに、


(デート……告白の返事……!?)


 内容を噛み締めて、じわじわと私まで体が火照ってくる。


 と同時に。


「レベル6……」

 最後の一行が、どうしても気になっていた。


「千明くん確か、まだレベル1、2、3しか達成してないよね? ていうかレベル6って何だっけ?」

 飛び上がるほど嬉しいくせに、素直にそう言えない自分の口が恨めしい。

 私が照れ隠しも兼ねて尋ねると、千明くんはパタリと床を掃く手を止めてこちらに向き直った。


「……それは今からやるつもり」

「え?」


 ひゅうっ。

 窓から少し強い風が吹き込んで、なびいた自分の髪に視界を奪われる。


「レベル6は――」


 髪の隙間から垣間見える千明くんが、真剣な眼差しでそう呟いたと思ったら、


「“パートナーを抱きしめる”だ」


 次の瞬間には、千明くんの唇が私の耳元にあった。


「――!」

 私は彼にそっと抱きしめられていた。


「茉莉花、この前は本当にごめんな。それからそこにも書いたけど……俺とデートしてください」

 

 すっぽりと私を包む彼の腕は少し震えていて、胸板越しに伝わる鼓動は自分と同じくらい早かった。


「……うん」

 私は彼の胸の中で静かに頷いた。

 

 千明くんは安心したように腕の力を緩め、私の肩に手を置きながらゆっくりと体を離す。いつも通りの笑顔で私を見る彼は、よく見れば大量の汗をかいていた。


「ありがとう。俺、茉莉花のこともう一回ちゃんと考えるから……あれ?」

「千明くんっ!?」


 千明くんは突然ガクッと膝が折れてテーブルに手をついた。私は慌てて駆け寄る。


「平気、平気。ホッとしただけ」

「もー、無茶しすぎだよ……」

「俺もアイツみたいに格好よく茉莉花を抱きしめてみたかったんだよ。キスは当分無理だけどな……」


 私達は揃って苦笑いする。

 

 片膝をついた格好なのに――ためらいなく私の肩を借りて立ち上がる彼は、不思議と凄く頼もしく思えた。




 放課後。


「本田さん、なんかええことあったやろ」

「へ?」


 私は小森くんと一緒に、校門で朝比奈先輩を待っていた。


「さっきからずっと上の空やもんね」

「うそ! ごめんね……何の話してたっけ」

 千明くんに抱きしめられた感覚が忘れられずにぼけーっとしていた私に、小森くんは「ええよ、ええよ」と優しく言う。


「ほら本田さん、ちょっと前まで愛実に嫌がらせされとったやろ? 何でお見舞いに行ってあげるんやろなぁ思ぅて」

「あぁ……実はね」


 私は罪悪感に苛まれながら呟く。

「愛実ちゃん、私の汗で滑って怪我したの。それに……もともと悪い人じゃないと思うし」

「本田さんは優しいなぁ。彼氏さんは幸せもんやわ」

「え? 彼氏?」


 何言ってるんだろう、と思って首を傾げると、小森くんは「ほら」と私の遥か後方を指差す。

「桐ヶ谷くん、さっきから心配そうにこっち見てるで。早ぅ会長さんも来てくれんと、僕、誤解されてまうなぁ」

「!」


 言われて振り返れば、木の影からひょっこり顔を出している千明くんと目が合った。すると彼は「げっ」という顔をして、何事もなかったかのように口笛を吹く真似をしながら去っていく。


(あんなに説明したのに……心配性だなぁ)


 ――ついさっきのこと。


 一緒に帰りたがる千明くんに事情を説明して断ったら、「一緒に行く!」と行って聞かなかった。


 私のレベル5が“4人以上のグループで会話する”だからだ。


 たぶん誰にも理解してもらえないだろうけど……グループ内での会話の波に乗るのは、私にとってものすごく難しい。3人までは何とかなっても、4人以上になると頭がついていかないのだ。


 千明くんはそれを心配してついて来てくれようとしたんだけど……小森くんがいる前で愛実ちゃんと千明くんを会わせるのは、どうしても避けたかった。


「?」

 ブーブブ、とポケットの中でスマホが揺れて取り出してみると、


『茉莉花、頑張れ!!』


 千明くんらしいド直球な応援メッセージが届いていて、少し笑ってしまった。


 その時。

「……遅くなってごめんなさーい!」

 遠くから手を振りながら朝比奈先輩が走ってきた。


「書類が片付かなくて……。あら? 小森くんも一緒なのね」

「あの、ご一緒させてもろてええですか?」

「もちろんよ。さ、行きましょ!」


 先輩は鼻息も荒く一歩踏み出した、のだが。


「あの先輩、駅こっちですよ?」

「あら、高橋さん電車通学なのね! 実は私、住所知らないのよ。本田さん知ってる?」

「あ」


 ぽけっと口を開けて先輩と見つめ合っていると、小森くんがくふくふと笑い始めた。


「僕が案内しますよ。家、隣やから。早速来た甲斐があって良かったわぁ」


 私達は小森くんを先頭に歩き始めた。



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