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27 アクシデント

 一瞬の爽快感。

 それと引き換えに、失ったものは大きい。


 あれから真っ直ぐ家に帰った私は、夕飯もろくに食べず、湯船で一人膝を抱えていた。


 ……どうして私がやろうとすると、こう上手くいかないんだろう。


 言いたいことも訊きたいこともたくさんあったはずなのに、口を突いて出た言葉はアレだった。


「あんなの、ただの悪口だよ……」


 独り言がお風呂場の壁に虚しく反響する。


 あの時は――キスの衝撃で固まる私を置き去りに、好き勝手口論している二人が許せなくて……ついカッとなってしまった。

 そのせいで、家族以外で気兼ねなく話せる大事な人を、同時に二人も遠ざけてしまったのだ。


 目の下ギリギリまで湯船につかり、ブクブクと泡を吐く。何だか頭がクラクラしてきた。長湯してるせいかもしれないけど。


 とりあえず、しばらく蛍ちゃんのカフェには顔を出さないでおこう。あんなことをされてしまった以上、二人きりになるのは絶対無理だ。


 だけど千明くんとは、学校で顔を合わせない訳にはいかない。


 ていうか、勢いで二人まとめて怒鳴っちゃったけど、実際千明くんには大したことされてないのだ。

 あんな潔く告白を断ったくせに『大事なパートナー』とか甘い台詞を吐かれ、半殺しな気分にはなったけど……。冷静に考えれば、これまで通り協力して治療を続けるための、彼なりの配慮なのかもしれない。


(とりあえず、千明くんから仲直りしよう!)


 ざばぁっ、と勢いよく湯船から立ち上がり、のぼせた頭をぶんぶん振って目を覚ます。


 幸い明日から週末だ。考える時間はたっぷりある。


 メッセージを送ってみようか。

 やっぱり直接話すべきかな。

 電話……は、かえって緊張するしなぁ。

 あ、彼の方から気にして連絡をくれるかも。



 それで、蛍ちゃんのことは……。


 今度また、朝比奈先輩に相談してみることにしよう。



 たくさんあると思っていた時間はあっという間に過ぎ――。


「おはようございます! 10月25日月曜日のおはようジャパン、今日も元気にお伝えします!」


 月曜日が来てしまった。

 私はいつものニュースを上の空で眺めながら、トーストにバターを塗っていく。


 この週末、良かったことと悪かったことがある。


 まず良かったことは、毎月訪れる“魔の24日”が日曜日だったこと。


 悪かったことは……千明くんから何の連絡もなかったことだ。


 とはいえ、彼はハンドクリームの一件以降ほとんど自分からメッセージは送ってこないので……あまり気にすることでもないのかもしれない。彼にとっては書くより話す方が楽なんだろう。羨ましい限りだ。


 それよりも。


(何て言って千明くんに声かけよう……)


 とりあえず挨拶。

 彼が登校してきたら、まず「おはよう」って言って、それから「週末何してた?」とか、他愛もない会話を挟む。あ、終始スマイルを意識すること。もう怒ってないんだよー、と伝えるように……ここまでは決まってる。


 でも、この先どうやって本題を切り出すか。

 突然「ごめん」って言うのはいきなり手の平を返しすぎな気がするし、「あの時は蛍ちゃんのことで混乱してて……」と詳しく説明するのも何だか言い訳がましい。


 ダメだ、全然シュミレーションが足りてない。こんなんじゃ、いざ本人を目の前にしたら何も言えなくなりそうだ。


「そんなにバター塗ったら太るぞ」

「え? ……あ!」


 杏平に言われて手元を見れば、カリカリに焼いてあったはずのトーストは既にぐっちょりと濡れていた。


「ねーちゃん最近ぼけっとし過ぎ。桐ヶ谷さんと何かあったの?」

「はぁ!? なぁに言ってんの!」


 言い当てられて、つい露骨に否定してしまった。杏平はハハーンと鬱陶しい顔でにやける。


「何よその顔。ていうか……」

 私は、台所のお母さんに聞こえないよう口元に手を添え、ひそひそ声で言う。


「どっちかって言うと、一悶着あったのは蛍ちゃんの方だし」

「え! にーちゃんと! どんな!?」

「ちょ、声大きい! どんなって……あ、あんたには関係ないでしょ」

 私がうっかり例の事件を思い出して頬を染めると、何故か杏平はみるみる目を輝かせた。

 そして刑事ドラマの推理シーンのように額に手を当てると、「にーちゃんめ、ついに……」としたり顔でぶつぶつ呟き、フッフッフと怪しく笑い始めた。まだ一年生だけど、これが中二病ってやつだろうか。


 独りごちる年頃の弟を尻目に、私はトーストを胃に押し込む。


 全部食べ終えると……油分のせいか緊張か、胸やけがひどかった。




 シクシク痛む胃を庇いながら登校し、ため息混じりに教室の扉を開けると、


「あ」

「お」


 珍しく千明くんの方が先に来ていた。


 登校早々、お互いにバッチリと目が合い、私たちは一言呟いたきり固まる。


(早く何か話さないと……そう、まずは「おはよう」って!)


 焦って口を開いた、その時。

「……ぁ……!?」

 いつもの発作が始まった。


 私は驚いて咄嗟に俯き、喉を押さえる。


 千明くんに対しては、周りに多少クラスメイトがいても発作は起きなかったのに……。よっぽど緊張してたからだろうか。


 考えている間にも喉はきゅっと締まり、全身が凍りつくように強張り始める。吸っても吸っても酸素が足りない感覚が消えなくて、どんどん呼吸が早くなってしまう。


 そんなに気負うことないってわかってるのに、身体が言うことを聞かないのだ。


(どうしよう、助けて……!)


 私は情けなくも、救いを求めて彼を見た。


 ――しかし。


「おはよう」

 千明くんは私を見ていなかった。


 ぼそっと呟いたきり、思い詰めたように固く唇を引き結んでじっと俯いている。


 私は思い切り頭をバットで殴られたような気持ちだった。

 

 週末、一人で何度もシミュレーションしていた時の“脳内千明くん”は、いつだって私を真っ直ぐに見ていた。どんなに吃っても、彼だけはニッといつもみたいに笑ってくれると信じていたのだ。


 ……なんて甘えた考えだろう。


 彼は立ち尽くす私に目もくれず、ノートを広げて真剣に何かを書き始める。あの端正な顔立ちで押し黙られると、近寄りがたい雰囲気が尋常じゃなかった。


(そっか……)


 千明くんは私と話したくないんだ。

 そんなに怒らせちゃったんだ――。


 発作が少しずつ治まるのを待ってから、私は静かに自分の席に着いた。


 彼がそういう態度になってしまった以上、私には為す術もなかった。



 午前の授業が終わり昼休みになると、彼は私に目も合わせず、そそくさと姿を消してしまった。避けられているのかな、と思うと、堪らなく胸が締めつけられた。


 私は午後の体育のため、無意識に鼻を摘まみながら更衣室のロッカーを開ける。


「あ、そっか」


 もう生ゴミを入れられることは無いんだった。完全に日常と化していたことに自分でもびっくりだ。


 拍子抜けして鼻を摘まんでいた手を離すと、

「ん?」

 中から、悪臭どころか薔薇の花のような甘い香りがした。何だろう……どこかで嗅いだことがある匂いだ。


 首を捻りながらよく見れば、ロッカーの隅っこにこっそりとピンク色のアロマスティックが数本立っている。


 ……思い出した。

 愛実ちゃんの香水の匂いと似てるんだ。


「くふっ」

 思わず小さく噴き出してしまった。もう恨みっこなしと自分で言っていたくせに、案外律儀なんだなぁと思ったらおかしくて。


 久々に少しだけ温かい気持ちになっていると、

「何笑ってるのー? うわぁ、いい匂い!」

 気づけば背後に茜ちゃんが立っていた。


「茉莉花ちゃん、ロッカーにアロマ置いてるの! 女子力高っ!!」

「いや、これはその……」

 私は茜ちゃんの無邪気な笑顔に勇気をもらい、必死に声を絞り出す。

「ほ、ほら、ちょっと前までこのロッカー、ゴミ箱扱いだったでしょ? その匂い消しで」

「え、ゴミ箱? 何で?」

「え」


 千明くん以外、クラスメイト全員がいじめのことを知っていると思ってたけど……ここに一人、知らなかった人を発見してしまった。しかも、女子で。


 あれに気づかないって……と呆気にとられていると、

「よーし、今日も元気に踊るぞぉ~! さ、早く行こっ」

「あ、うん」

 彼女はぐいぐいと私の手を引いて歩き始めた。



 体育館に入ると、隣のクラスも含め既にほとんどの生徒が集まっていた。

 女子ばかりごった返した中でも、大ぶりのリボンシュシュで頭のてっぺんにお団子を作った愛実ちゃんは、すぐに見つけることが出来た。


「め、めぐ……ちゃん!」

 私は思わず声をかけていた。


「だんまり? 何か用?」

 声に気づき、愛実ちゃんがこちらを振り返った。目が合った途端、相変わらず迫力のある睫毛に少し気後れしてしまう。


「ぁ……えっと」

「何よ」

「ぅ……」

 今更ながら、こんな人が大勢いるところで話しかけてしまったことを激しく後悔する。当然のように、私は声が出なくなっていた。


 嬉しかったよ、って言いたい気持ちが先走って考えなしに声をかけちゃうなんて……私らしくもない。


「あれ」

 突如、ハッとして口元を押さえる。


 もしかして――みんな、こういう風に喋ってるの?


 伝えたい気持ちが反射的に口を動かすみたいな……ダメだ、一回じゃよくわからない。


「ねぇ、ちょっと。もしもーし!!」

「ひゃっ!」

 耳元で大声を出され、私はビクッと飛び退いた。


「あんたさぁ、話しかけといて黙るのやめてよね」

 はっと我に帰ると、愛実ちゃんが呆れ顔でこちらを見ていた。腕を組んだまま、イライラと人差し指をタップしている。


「ご、ごめん……」


 私が呟いたのと同じくして、ズンズン……♪と曲のイントロが流れ始めた。


「あーもー。練習始まっちゃうじゃん! 何言おうとしてたんだか、めっちゃ気になる」

 そう言いながら、彼女はガバッとジャージの上着を脱ぎ捨て、集団の最前列で待機姿勢をとる。


(病気を治すヒントを掴めそうな気がしたんだけどなぁ……)


 そう思いながらも慌てて持ち場につくと、タタン、タタッタタータ♪と軽快なサビメロが流れ、“青春”をテーマにした創作ダンスの練習が始まった。

 

 このダンス、一応ストーリー仕立てになっている――ベタな学園恋物語だ。

 出会いからお互いを知るシーン、仲違いしたり恋のライバルが出現するシーン、最終的には両想いとなってハッピーエンドである。

 半数ずつ女子役と男子役に分かれており、全員で踊る場面もあるが、概ねペアでのダンスだ。本番では、女子役は自分の制服、男子役は背格好が近い男子から制服を借りて踊ることになっていた。


 ちなみに私は女子役、ペアの男子役は茜ちゃんだ。愛実ちゃんは……誰がどう見ても女子役が向いてると思うんだけど、本人たっての希望で男子役である。それも最前列センターの。


 本番は今週末――体育祭の一演目として披露することになっていた。


 本番前最後の練習のため、みんな気合いが入っている。


 二回目の通し練習を終える頃には、汗はだくだく息はぜぇぜぇで、私はひっそり体育館の隅で膝をついていた。

 ポタポタと止めどなく汗が床に滴り落ち、小さな水溜まりになる。


「あーあー、これだからもやしっ子は」

「?」

 顔を上げると、愛実ちゃんが涼しい顔で仁王立ちしていた。

「めぐは健康的に鍛えたスリムボディ。だんまりはただの痩せっぽちね」

 彼女はふんっと鼻で笑い、颯爽とピンクのリストバンドで額の汗を拭った。


「それで、さっき何言おうとしてたの?」


 私は四つん這いの格好から上半身だけ起こし、息を整えてから言う。

「あ、えっと……ロッカーのアロマありがとう。すごく嬉しかったよ」

「はぁっ!?」


 彼女はあからさまに目を泳がせる。


「なな、何のこと? めぐ知らなーい」

「え、でもあの薔薇の匂い……」

「知らないって言ってんでしょ!」


 愛実ちゃんが声を荒げてズン、と一歩踏み出した瞬間。


「!」

 つるっ、と彼女は私の汗で出来た水溜まりに足を滑らせ――。


「きゃ」

 ――ゴリッ。


 小さな悲鳴と鈍い音。



「ぐぅ、あぁっ……痛ぁぁいぃぃ!!」


 気づいたときには、愛実ちゃんは激しく悶えながら右膝を抱えていた。



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