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26 私だって

「……ふぅ。あー、スッキリした!」


 フルマラソンを完走した後みたいに、千明くんは少し息を切らしながら、とても爽やかな笑顔でこちらを振り向いた。


 彼らしい真っ直ぐでド迫力の演奏――私はまだ余韻が抜けきらず、座ったままぼーっと彼を見つめる。音が体に染み込んで脳みそを侵してしまったみたいに、頭が痺れて働かないのだ。


「なあ茉莉花、どうだった?」

 弾き始める前とは別人のように晴れやかな表情で、ウキウキと彼が尋ねる。


「……か」

 すっかり彼の熱に浮かされていた私は、うわ言のように呟いた。


「かっこよかったあぁ……」


 とろんと焦点が定まらない目で言うと、千明くんは照れを隠しきれずに頬を染めた。

「なっ! う、いや、こんなの大したことないって……」

「ううん、本当にすっごく良かった! 千明くんはやっぱりすごいなぁ、体の中からぐわぁーって熱くなったもん。何かまだドキドキしてるよ……はあぁ」


 火照る両頬に手を当て、籠った熱を逃がすようにゆっくりとため息をつく。それでも胸の高鳴りは治まらない。


「はわぁん……」


 私が再び熱い吐息を漏らすと、千明くんは「イッ!」と妙な声をあげて、ますます真っ赤になった。


「ちょ、茉莉花……変な声だすなよ」

「変な?」

「エロい声ってこと」

「エ、えぇ!?」


 心の底から誉めてたのに、ひどい!

 大体誰のせいでこんなドキドキしてると思ってるんだか……まあ、私が頼んで弾いてもらったんだけど。


「何でそうなるかな! もー」

 あんなに格好よかったのに台無しだよ。


 私は一気に夢から醒めた気分で、千明くんに文句を言う。

「千明くんはいっつもそうやって思ったことそのまま言っちゃうんだから。もうちょっと良く考えてから喋った方がいいと思う!」

「でもさ、思ったことその場でちゃんと伝えるのって大事だぞ? 茉莉花はいちいち考えすぎなんだよ」

「む……」


 私は何も言い返せずに唾を飲む。何かつい今朝方にも似たようなことを言われた気がする。


 確かに千明くんの馬鹿正直さというか、後先考えない向こう見ずなところは少し羨ましい。美容院で希望の髪型を説明するのにも、数日前からシミュレーションを重ねて挑む私とは大違いだ。しかも実際に店員さんを前にすると、考えていたことの半分も言えない。

 

 ホント、自分が不甲斐なくて嫌になる。


「ほら、蛍太も率直な感想を言ってみろって」

 私が人知れずズーンと落ち込んでいると、千明くんは自信満々にフンッと鼻を鳴らして蛍ちゃんに言った。


 蛍ちゃんは「あぁ、そうだね……」と斜め上を見ながら一瞬何かを考えた後、ニコッと千明くんに微笑んだ。


「一言で言うと、“雄”って感じだったかな」

「オス?」

「おれも負けないけどね」

「……?」


 千明くんは通訳を求めるように困り顔で私を見たけど、私だってわからない。首を横に振ってそう伝えると、千明くんは「ま、いいや」と言いながらカウンター席に戻ってきた。


 彼が私の隣に腰かけるや否や、

「はい、二人とも召し上がれ」

 蛍ちゃんが私にコケモモジャムを添えたスコーンとホットカフェオレ、千明くんにホットコーヒーを差し出した。


「わあぁ♪」「ぅげ……」

 私達はまるっきり両極端な反応をする。


(あれ、おかしいな……?)


 千明くんは潔癖症だから外食出来ないって、この前教えたはずなんだけど?


 そんな疑問も、ホカホカに温めなおされたスコーンを前にしては、湯気のように消えてなくなって。

「いただきまーす!」「…………」

 黒々と波打つ液面を青ざめて見つめる彼の隣で、私は熱々のそれをはふはふと頬張った。


「……幸せ」

 外はサクッ、中はホロホロのほんのり甘じょっぱい生地。気を付けないと、ジャムをつける前になくなってしまいそうだ。


 蛍ちゃんは私達の反応を見比べて、ふふっと何故か少し毒気のある笑みを浮かべる。

「で、まーちゃん。例の件は解決したの?」

「あ、うん。もう大丈夫だと思う」

 私は指についたジャムをペロリと舐めながら言う。

「蛍ちゃんに言われた通り朝比奈先輩に相談して、愛実ちゃん……加害者の子とももう和解したから。心配かけてごめんね」

「そっか。まーちゃん頑張ったね」

「ううん、蛍ちゃんのおかげだよ」


 私と蛍ちゃんが話していると、ずっと珈琲とにらめっこしていた千明くんが「ん?」と顔を上げた。


「加害者……? そういえば、何で昨日俺達と高橋さんがいきなり優菜に呼び出されたのか、未だに良くわかってないんだけど。何かあったのか?」


 優菜、と千明くんの口から先輩の名前が出た途端、ずきんと胸が痛くなる。慌てて彼から目をそらしカフェオレをずずっと啜った。


「つーかさぁ」

 私が無言でカフェオレを飲んだのが、言い淀んだように見えたんだろう。千明くんの声は、徐々に再び不機嫌さを帯びていく。


「何で俺じゃなくてコイツに相談すんの? 俺、毎日近くにいたじゃん。やっぱ俺に告ったのは何かの間違いで、お前たち前々からデキて……?」

「千明」


 突然、蛍ちゃんが千明くんの言葉を遮った。

 

 有無を言わせぬ太い声に、私までビクッと蛍ちゃんを見上げる。いつものふわふわした笑顔の面影はまるでなく、ぞっとするほど冷たい目で千明くんを見下ろしていた。


「千明には言いづらい話だったんだよ。察しなよ」

「な、何だよその言い方……」


 千明くんは気圧されながらも蛍ちゃんを睨み返す。けれど目力の差は歴然で、仔犬と黒豹くらいの違いがあった。


「そもそも君さ、毎日近くにいたのにまーちゃんの異変に気づかなかったの? おれは一瞬で只事じゃないって思ったけどね」

「……う」

「千明はまーちゃんのこと恋愛対象として見てないらしいけど、それ以前に彼女をちゃんと見ようとしてないでしょ? 『エロい』とか言って思春期ぶってるけど、実際は恋愛偏差値ゼロなんじゃない?」

「なっ!」


 やめて蛍ちゃん。

 これ以上、火に油を注がないで……!


「誰かを本気で好きになったことがない人は、誰からの“好き”にも応えられないよ」


 願いも虚しく、蛍ちゃんは低く落ち着いた声で伏し目がちにそう付け足して――


「えっ?」


 私の顎先をそっと指で持ち上げた。


「まーちゃんに君は相応しくない――」

「ま、え? えぇ!!」


 蛍ちゃんの透き通った白い肌が、長い睫毛が、色素の薄い唇が、あっという間に目の前に近づいてきて、


「……@☆♯%∞!!」


 温かくて柔らかいものが唇に優しく触れた。


 ファーストキスだった。


 ちゅっ――と生々しい音をたて、彼の唇がゆっくりと離れていく。

「大好きだよ、まーちゃん」

 ぐるぐると回る視界の真ん中で、蛍ちゃんはほのかに頬を上気させて微笑んでいた。


「まーちゃんがおれに恋愛感情を持ってないのはわかってる。でも諦めないよ。だから、千明にとられる前に奪っておいた……」

 蛍ちゃんは感触を確かめるように艶っぽい手つきで自分の唇を撫で、毒を孕んだ不適な笑みを浮かべて言う。


「びっくりさせてごめんね。おれ本当は性格悪いんだ。ものすごく」


 な、に、を……いってるんだろう?


「場面緘黙症だっけ……まーちゃんの人前で喋れない病気も、治す必要ないと思って何もしてこなかった。他の男と話す機会が少ないほうが、おれには好都合だからね。だから千明にはつくづく迷惑してるんだよ」


 さっきから彼の言葉が全然頭に入ってこない。目の前で意味深に微笑んでいる男の子――この人は本当にあの蛍ちゃんなの?


 ……わからない。


 きゅっと喉が絞まり、呼吸が早くなる。

 彼に触れられた唇が、さっきから自分のものではないみたいに熱い。


「蛍太、お前! ……ふざけんなよ!!」

 隣で千明くんが怒号をあげた。


「茉莉花が俺に告ったのがムカつくのはわかるけど、いきなりキスするとか、あり得ないだろ!」

 彼は弾かれたように立ち上がり、蛍ちゃんの胸ぐらを掴んだ。


 しかし蛍ちゃんは全く余裕の表情で言う。

「千明には関係ないよ。もうまーちゃんのことフッたんだから」

「それは……。でも!」

「八つ当たりはやめてくれる? 潔癖過ぎて女の子にキスなんてしたことないから、妬いてるんでしょ」

「はぁ!?」

 千明くんは怒り心頭で顔を真っ赤にし、口をパクパクしている。


「そ、それは今どうでもいいだろ! じゃなくて、茉莉花は俺の大事なパートナーなんだから勝手なことすんな!」

「まーちゃんの気持ちに応えられないくせに、側にはいてほしいなんて。千明こそ自分勝手なんじゃない?」

「おま……っ!」


 ――ガチャン!

「あちっ」


 千明くんがカウンターに手をついて身を乗り出した拍子に、彼の珈琲が勢いよく倒れた。飛沫が手の甲に跳ねて、私は小さく声を上げる。


 二人は揃って「あ」と呟き、ようやく私を見た。


 まだ一口も飲まれてなかった珈琲は、湯気の立つ焦げ茶色の滝となって、だばだばと床に流れ落ちていく。


「ごめん茉莉花、大丈夫か……?」

 千明くんが急に弱々しい声で言う。

 

 彼の手が、私の手の甲に触れた瞬間。


 ――ぽろり。


 ぽろぽろぽろ。


 止めどなく涙が目からこぼれ始めた。



「!」「!」


 千明くんと蛍ちゃんが同時に息を呑んだ。


「ふ、ふた、うぅ……」

 私は子供みたいに泣きじゃくりながら、必死に息を吸って叫ぶ。


「……二人とも、勝手なこと言わないでよぉぉ~!!」


 千明くんが「え、俺も!?」と素っ頓狂な声をあげたけど、涙は次々とお構い無しに溢れてくる。彼にフラれてからずっと溜め込んでいた分まで、全部まとめて流れ出てきてしまったみたいだ。


「わぁーん!!」


「ま、まーちゃん?」「茉莉花、おい……」


 二人がおろおろと慌てている声がする。でも私は視界が涙でいっぱいになってしまって、既に彼らの顔もよくわからなかった。


 目を閉じれば、足枷の重さに耐えきれず海底に沈んでしまったような錯覚に陥る。


 ……ずるい。


 どうしてそんな勝手気儘に思ったことを言えちゃうんだろう。


 私が考えて考えて、それでも失敗しながら必死にやっていることを、二人はこんなにもあっさりとやってのける。


“思ってることその場でちゃんと言わないと、損するよ!”


 今朝は気圧されるばかりだった愛実ちゃんの言葉も、今ならすっと腑に落ちる。


 彼女の言う通りだ。

 これじゃあ私ばっかり振り回されて馬鹿みたいじゃないか。


 目を開けると、二人は面白いくらい全く同じ顔で私を見ていた。目を丸くしてぽかんと口を開けた、マンボウみたいな間抜け顔。


 それを見てたら、無性に腹が立ってきた。


 私だって自由に喋りたい……!


「蛍ちゃん、千明くん」

 私は意を決して凄むように言う。炎のような演奏を聞いたせいか、自分でも驚くほど気が大きくなっていた。


 ズズーッと鼻水を啜ってから、二人をキッと睨んで勢い任せに叫んだ。


「この……むっつりスケベとエロ王子!!」


「むっ!?」「エロっ!?」

 彼らはぎょっと目を見開き、ひきつった顔で同時にピシッ……と石化した。さっきから何かと息ぴったりだ。


「もう知らない!!」


 微動だにしない二人の美青年を置き去りに、私は一目散にカフェを飛び出す。



 そして早くも後悔していた。




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