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25 英雄?

「告った……?」


 頭上から蛍ちゃんの戸惑った声がした。


 私は抱き締められた格好まま、ぶわぁっと顔を赤くする。


「……治療のために、付き合ってるふりしてたんだったよね」

「う、うん」

「でも、まーちゃんは本当に彼のことが好きだったの?」


 私は一瞬言葉に詰まってから、こくんと頷いた。


 蛍ちゃんは静かに私から手を離し、濡れたような漆黒の瞳を不安げに揺らす。


 憂いを秘めた表情の蛍ちゃんと、赤面して俯く私……店先で向かい合って立ち尽くす様は、端から見たら初々しい恋人同士に見えるだろう。


 けれど実際私達の間には、ひりついた空気が流れていた。


「それで、千明は何て?」

 ためらいがちに蛍ちゃんが尋ねる。


 私は急に胸が詰まって息が吸えなくなる。槍でズブズブと心臓をえぐられているみたいで、口を開いてもかすれた呻き声しか出てこない。


「ぁ……ぅ……えっとね」

 それでも必死に空気を呑んで、私は無理矢理に明るい声で答えた。

「フラれちゃった。『茉莉花に恋愛感情を持ったことはない』って。これだけバッサリ言われたら諦めもつくよね! ははは……」


 精一杯作り笑いをして話すと、蛍ちゃんは「え?」と目を丸くして、ひどく驚いたみたいだった。


 予想外の反応にきょとんと首を傾げて見ていると、

「何で? どう見ても彼、まーちゃんのこと……。もしかして気付いてない? いや、それはそれで……!」

 蛍ちゃんは混乱した様子でぶつぶつと独り言を呟き始めた。暗くなったり明るくなったり、表情がコロコロと忙しなく移り変わっている。


 そして突然。


「うん、放っておこう」


 彼は吹っ切れたように爽やかな顔で、パチンと指を鳴らした。


「?」 

「あ、ごめんねまーちゃん。こんな軒先で。中入ろっか」


 てっきり、いじめの相談に来たときみたいに、私に共感して慰めてくれるのかと思っていたけど……。


 スキップし始めるんじゃないかと思うくらい軽やかな足取りで私を店内へ促す蛍ちゃんに、何となく違和感を覚える。口元はにこにこと微笑んでいるのに、目が全然笑っていないのだ。


「……いらっしゃいませー」


 私と蛍ちゃんが一緒に店内に入ると、千明くんが露骨な棒読みで言った。


 彼は子供みたいにブッスーとむくれた顔で、カウンターに肩肘をついている。


「あ、千明くんごめんね。待たせちゃって」

「いいよ。ちょうど今、ピアノの除菌が済んだところだし」

「なんか……怒ってる?」

「別に」


 口ではそう言ってるけど、不機嫌オーラが半端ない。それに、千明くんのことだから感情が全部顔に出てしまっている。


(何でそんなイライラしてるんだろ……?)


 明らかに蛍ちゃんと会ってから機嫌が悪くなった、と思う。

 確かに蛍ちゃんのやや過剰なスキンシップには私もびっくりしたけど、千明くんに直接の被害はなかったのに……。


 あ、あれかな?


「鼻が痛くてイライラしてるの?」

「はな? いや、もう大丈夫。ていうかイライラしてないから!」


 どこからどう見ても気が立っている。


 私は助けを求めて蛍ちゃんの方を見た。だけど、蛍ちゃんはすっかりルンルンで珈琲を淹れ始めていて、千明くんなど眼中にないみたいだ。

「そうだまーちゃん! 今日スコーン焼いてみたんだけど食べる?」

 それどころか、全く空気の読めないことを呑気に言う始末だ。

 ……いや、スコーンは食べたいけど。 


「ジャムもいろいろ用意してみたんだ。りんご、もも、あんず、栗、コケモモ……どれがいい?」

「え、待って……どれにしようかな」

「味見してみる?」


 つらつらとたくさん種類を言われて迷っていると、蛍ちゃんがティースプーンに真っ赤なジャムをひと匙すくって差し出してくれた。


「はい、コケモモだよ」

「ありがとう。……え?」

 柄を持とうと手を伸ばしたら、何故か蛍ちゃんがひょいっとスプーンを引っ込めた。


 戸惑う私に、彼はほわほわと微笑みながら言う。


「ほら、『あーん』して?」

「え! やだ、恥ずかしい」

「しないと食べられないよー」

 蛍ちゃんは珍しく意地悪を言って、ティースプーンを宙でくるくると踊らせる。


 何か今日はいつもより優しくないというか、押しが強いというか……。

 まあ、いつも十分過ぎるくらい優しいから、これくらいで良いのかもしれないけど。


 私がむぅと頬を膨らますと、ますます嬉しそうに頬杖をついて私の鼻先にジャムをちらつかせる。


 トロッとしたつやつやの赤い液体が煌めいて、魅惑的な甘酸っぱい香りを放ってくる。


 ぱくっ。


 食欲が羞恥心に勝ってしまった。


 じゅわあぁ、と口いっぱいにベリーの爽やかな味が広がり、後から香りが鼻を抜けた。


「お……美味しい。コケモモにする!」

「かしこまりました」


 ふふ、と蛍ちゃんが満足そうに笑う。結局『あーん』させられてしまった私は、ちょっぴり悔しくて目線をそらした。


「あのさぁ」


 あ、千明くんのことを忘れてた。


 彼は最早苛立ちを隠そうともせず、人差し指でカウンターをとんとんとタップしながら言う。


「茉莉花は俺のピアノを聞きに来たんだけど?」

「そうだったね。どうぞご自由に。あ、まーちゃん、口にジャムがついてるよ」


 どさくさに紛れて私の唇に触れる蛍ちゃんを見て、千明くんは心底毛嫌いするみたいに小さく舌打ちした。蛍ちゃんの方は相変わらずの笑顔だけど、鋭く光る瞳は千明くんを流し目で睨んでいる。

 二人の間にはバチバチと火花が散っているみたいに険悪な雰囲気が漂っていた。


「あーえっと……そうだ! 千明くん今日は何を弾いてくれるの!?」

 私はオロオロしながら、必死に元気いっぱいな声で千明くんに尋ねる。


 彼は手袋を演奏用の薄手のものにはめかえながら私を一瞥し、不機嫌そうに目をそらしてから言う。


「……本当は“雨だれ”を弾くつもりだったんだけど、そういう気分じゃなくなった。そうだな、“英雄ポロネーズ”にしよう。あれ弾くとスカッとするんだよ……」


 私に、というより、ただの独り言みたいに呟いて、すたすたとピアノの方へ歩いていく。ド素人の私には“雨だれ”も“英雄ポロ……何とか?”もわからないけど、楽譜も無しにさらりと変更出来るなんて、さすが千明くんだ。


「さてと」

 千明くんはピアノ椅子に腰かけると、何かのスイッチが入ったみたいにすっと顔つきが変わった。


 緊張感溢れる眼差しに、私は思わずごくりと唾を飲む。


 彼はふーっと息を吐いてから、ゆっくりと目を閉じて鍵盤に指をのせた――。


「♪」


 ――ちろちろと炎が燻るように、静かに演奏が始まる。


 感情を内側にねじ込んだ火薬玉が、徐々に熱を帯びて今にも破裂する……そんな予感を感じさせる始まりにぶるっと鳥肌が立つ。


 しかし、すぐに、


「?」


 線香花火くらいの火力で、音が小さく弾けて踊り始めた。というかこのメロディー、さすがの私でも聞いたことがある。


「英雄ポロネーズ……ショパンのすごく有名な曲だね。ちょっと雰囲気違うけど」

 蛍ちゃんが耳元で囁く。確かに、誰もが聞いたことのあるメロディーだ。でも千明くんが弾くと、まるで知らない曲みたいに響く。


 ターン、タタン。

 また同じリズムが繰り返される。

 さっきよりも、強く、激しく、熱く。


 途中で少し曲調が変わったが、炎はリズムにのってどんどん火力を増していく。いつ爆発するのかとハラハラしながらも、目が離せない。


 焦れて、焦れて、焦らされて。


 ――ターン、タタン!!


 「!」


 ついに大爆発した。


 冒頭から繰り返されていたメロディーが彼の手から最大出力で弾き出されると、ごおぅっと爆風を浴びたような衝撃が走った。


 私は圧倒され、息をするのも忘れて彼を見る。


 しなやかに長い指は目にも止まらぬ早さで鍵盤の上を駆け回り、激しい身動きで栗色の髪が豪炎のように逆立っていく。


 ……すごい。

 

 いつかどこかで聞いた、華やかな英雄の凱旋を思わせるメロディーとは全然違う。もっと荒々しく破滅的で……獣のように猛進する豪快な響き。


 そう。


 怪獣が火を吹きながら『ガオーッ!』と進撃するみたいな感じだ。


 音色はフィナーレに向けて激しさを増し、全てを薙ぎ払うように燃え盛っていく。

 こんなに息つく暇もない演奏をしているのに、千明くんは楽しくて仕方がないという風に歯をニッと見せて生き生きと笑っている。 


 その光輝くような横顔に、私はたまらなく胸がむず痒かった。



 ――ダンッ!



 最後の和音を渾身の力で鳴り響かせ、彼の演奏は終わった。




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