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だんまりさんとケッペキ君 ☆書籍化準備中☆  作者: 綿谷ユーリ


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20/41

20 2週間

 着替えを済ませて体育館に行くと、わいわいとお喋りしていた女子達の空気が一瞬固まった。

 

 ほとんどがすぐにお喋りを再開するが、数名は私をチラチラ見ながら嘲笑を浮かべている。


 体育は男女別に2クラス合同で行う。名前も良く知らない女子も多い中、私を見てにやにやしている人達にはどこか見覚えがあった。


(やっぱりだ……)

 

 悪口の内容からして想像はついていたけど、千明くんのファンクラブの人達が主犯で間違いないだろう。


 2学期の女子の体育は創作ダンス。私達のクラスでは“青春”をテーマにしていた。


 練習が始まり、アメリカの学園ドラマで使われていた軽快な音楽がタタン、タタッタターター♪と流れ出す。

 音楽とは裏腹に重苦しい表情で、私はなげやりに手足をバタつかせた。


 躍りながら、千明くんの言葉を心の中で繰り返していた。


 陰で言われているうちは言われてないも同然……真正面から言われたときだけ受け止めればいい……。


 そうだよ。

 良く考えれば、変なメモがロッカーに散らばってただけじゃないか。

 面と向かって言われたわけじゃない。


 そんなの、非通知からの不在着信みたいにスルーしちゃえばいいんだ!


 陰で誰かが何と言おうと、私は千明くんの側を離れたりしない。彼が病気を克服するまで徹底的に付き合うと決めたんだから。

 それに何より、私にも彼が必要だ。


 心の中で強気な言葉を反芻していくうちに元気が湧いてきて、私は俄然キビキビと踊った。




 けれど。次の日。


 私に向けられた悪意が、想像を遥かに超えて巨大であると、嫌でも知ることになる。



 翌日。

 教室に入ると、何故かクラスメイトが私の机を取り囲んでざわざわしていた。


「?」


 私は恐る恐る人混みの後ろから背伸びして自分の席を覗き込み、目を見開いた。


 何故か私の机の上に、保健体育の教科書……それも男女の生殖器の構造についてのページが開かれて置いてあった。

 しかも、ご丁寧にラインマーカーが各所に引かれ何やら書きこみもされている。もちろん全く身に覚えはない。


「……えっ!?」

 見開き2ページにどどーん!と大きく描かれたソレに驚き赤面しながら、私は思わず声をあげてしまった。


 ザッ、と視線が一瞬で自分に集まる。


 途端に嫌な汗が滲み出し、全身が凍りついて指先が痺れるように冷たくなった。


「――ビッチ」

 誰かが野次馬の後方でぽつりと呟いた。


 耳を疑って振り向くと、少し派手な雰囲気の女子生徒がニタニタと粘っこい笑みを浮かべていた。

「――マジでキモいんだけど」

 その声にはトラウマになるほど聞き覚えがある。昨日、私の音読の声が小さいと大声で文句を言っていた彼女だ。


 彼女は確か、ファンクラブの中でもリーダー的存在の高橋愛実(めぐみ)だ。毎日熱心に千明くんに豪華なお弁当を作ってきていたのを覚えている。


 高橋さんの言葉を皮切りに、周囲でぽそぽそと声が上がり始める。


 “めっちゃ勉強してる、ウケる……”

 “だんまりってムッツリ?”

 “何考えてるかわかんないよね”

 “桐ヶ谷くんと本当に付き合ってんのかな”

 “色仕掛けじゃない? 勉強熱心じゃん”


 クスクスクスクス…………。


 なんで。

 違う。そんなんじゃない。


 早く違うって言わないと……!


「……ぁ……っ……」

 呼吸はどんどん荒くなるのに、声の出口は針穴ほどに狭まっていく。やっと絞り出した蚊の鳴くような声も言葉にはならない。


 皆の視線が私を滅多刺しにし、お裁縫箱にある針のたくさん刺さった針山の気分だった。


 そのとき、ガラララ……と背後で扉を引く音がした。


「茉莉花……?」


 千明くんの声で、一同は目にも止まらぬ早さでざざっと普段の定位置に戻った。

 私は人の流れをすり抜け、大慌てで教科書を机の中に押し込む。


「どした? なんかあった?」

「……っ……ん、あ……えと」


 私はまだ上手く声が出せず、オドオドと視線を泳がす。すると千明くんは、ハッと何かに気付いたみたいな顔をした。


 そして、腰を屈めて私にだけ聞こえるくらいの小声で言う。

「……悪い。こんな大勢いるのに俺、何も考えずに話しかけちゃって、ごめんな」


 彼が私に向けられた悪意に勘づいたのかと肝を冷やした私はひとまず安堵し、彼を見上げて首を振り『へ・い・き』と口パクで伝えた。


 それを見て彼は、日だまりのようにあったかく微笑んでから、自分の席についた。



 朝イチの事件が尾をひいて、いつもなら出来ていた出席確認の返事も出来ず……落ち込んでいる間に午前中が過ぎた。

 昼休みになり、トイレに立った私はさらにことの重大さに気づかされる――。

 

 最寄りの女子トイレに行くと、運の悪いことに高橋さんを含むグループ4人が賑やかにメイクを直していた。

 私は息を殺して個室に入ろうとしたけど、「あれ、本田さんじゃん?」と呼び止められてしまった。


「ちょっと、めぐのこと無視するなんてひどくなーい?」


 彼女は自分のことを『めぐ』と呼ぶらしい……ということすら初めて知ったのに、何ですれ違うだけで挨拶が必要なのか。


「な……に……?」

 私は必死に声を絞り出した。彼女は蔑むように顎先を上げて私を見下す。


「めぐ、あんたのこと許せないの」

「……?」

 私は補食寸前の小兎みたいに縮こまって彼女を見上げる。


「この前、駅で千明様と握手してたでしょ」


 ばっちりマスカラを施された高橋さんの顔が嫉妬に歪み、瞳に憎悪の炎が黒々と燃え上がる。

「入学式で一目惚れしてから、めぐは彼の視界に入りたくてめっちゃ努力した! メイクなんてしたことなかったけど、雑誌買って勉強して、どこ見られてもいいように毎日爪の先までキラキラにした! 料理も特訓して、毎朝5時から支度してお弁当を作り続けた! でも、彼はめぐのお弁当には一切口をつけないし、手袋の上からですら触られたことは一度もない。なのに……」

 ずん、ずん、と彼女は私に迫り寄る。

「何の努力もしてない、いるかいないかもわかんないようなあんたが、いきなり彼女? 冗談やめてよ」


 指先が真っ白になるほど力強く拳を握って捲し立てる彼女に、私は返す言葉もなく、ただただ圧倒された。


「だけど、千明様はあんたの前だと見たことないような優しい顔をするから……悔しいけど応援しなきゃって……」

 彼女の声は徐々に湿度を帯び、今にも泣き出しそうなのを堪えるように震える。


「でも、千明様が()()()あんたと手を握ってるのを見たらどうしても許せなかった! そんな何のお手入れもしてないカッサカサの指で、よくも……!」

 高橋さんは美しく艶々と輝きを放つ爪で、私の手を汚いもののように指差した。


 唖然とする私を直視したまま、彼女は興奮した息を整えてから視線を鋭くする。

「めぐ、いい子のふりするのやめる。千明様をあんた一人のものにはしない。ファンの皆も同じ気持ち。知ってる? 彼のファンは何十人もいるんだよ?」

 彼女の取り巻きの女子達も、それぞれに同意の声をあげて私を睨み付ける。


「あんたの心が折れるまで、みんな徹底的に闘うつもりだから。早く彼のこと諦めた方がいいよ」

 アッハハハ……!

 彼女達の甲高い笑い声が、トイレの壁に反響してぐわんぐわんと響き渡る。私は用を足すのも忘れてその場を飛び出した。


 こんなに真正面から言われてしまったら、もはや受け止めざるを得なかった――。



「ハイ、じゃあ今日もグループに分かれて練習ね……ふわぁあ」

 音楽の田山先生が大あくびしながら言うと、各々いつもの練習場所に散っていく。私と千明くんも音楽準備室に入った。


「……なんか今日の茉莉花、変だぞ?」

 二人してルーティーンの掃き掃除をしていると、千明くんが訝しげに私を見て呟く。


「昼休みもどこ行ってたんだよ? 一緒に勉強する約束だったじゃん」

 彼は首を捻りながら口を尖らせた。

「あ、ごめん! その……ちょっとお腹痛くなっちゃってトイレに……」

 私は苦し紛れのウソをついた。

 トイレのせいで行けなかったのは間違いないが、実際はトイレを探していて行けなかったのだ。


 高橋さんのグループから逃げた後トイレをし忘れてたことを思い出し、慌てて違う階に駆け込んだ。2年生の教室のトイレなので少し憚られたけど、漏れちゃうよりマシだ。

 しかし、女子トイレに入る私を見た先輩達は途端に冷たい目をして「ここは2年が使うとこだよ」「出てってくれる?」と詰め寄られた。

 どうやら千明くんファンクラブは学年を超えて一致団結し、私を生理的に追い詰めるつもりのようだ。


 おかげで私は、今にもはち切れそうな膀胱を抱えて学校中のトイレを探し回る羽目になり……最終的に泣きそうになりながら旧館の隅っこに薄汚れたトイレを発見し、用を足し終えた頃には昼休みが終わっていた。


「え、お腹痛いって……保健室行かなくて平気なのか?」

「あ、うん、もう全然大丈夫。あはは……」


 私が無理やりな笑顔を作ると、千明くんは心配そうにしゅんと眉を下げる。

「本当に? ならいいけど……無理すんなよ」

 彼の優しい言葉は、ささくれだった私の心を蜜のように甘く包んで癒してくれる。

 と同時に、心配してくれる彼に嘘をついているという罪悪感が肩にずんとのし掛かった。


「……ごめん千明くん。今日ピアノ弾いてくれる約束だったけど、また今度でもいい?」

「もちろん。早く帰って休んだ方がいいだろ。ほら座っときな」

 色んなことがありすぎて疲れた私がそういうと、彼は快く頷いてから私の持っていたホウキを奪い、面倒見よく私を椅子に促してくれる。


「ありがと……明日はお昼休み必ず図書室行くから」

「気にすんなって。なんならノート貸してくれるだけでもいいよ」


 確かに、いま必要以上に彼と二人きりになるのは危険かもしれない。高橋さん達のボルテージを余計に上げてしまう。


「そう……? じゃあ、帰ったらノートに要点まとめて明日持ってくるね」

「助かる! あ、でもまずは横になれよ?」

「ハイハイ」

 どこまでも心配性な彼が微笑ましく、私はその優しさに危うく涙が溢れそうだった。


 少しの間、彼女達の気が済むまでは彼と距離を取った方が賢明だろう。でも、何をされようとも千明くんを手放しはしない。


 私の決意はダイヤモンドよりも固いんだから!

 

 と、確かにその時は思っていた……はず、なんだけど。



 中間テストが終わるまでの2週間、私はなんやかんやと理由をつけて、なるべく千明くんとの接触を避けた。


 しかし、千明くんは懐いた仔犬のように無邪気で、あまり人がいない廊下や登下校中など隙を見ては「茉莉花!」「古文のノートすごいわかりやすいぞ」「なあなあ次のごほうびさぁ……」などと普段通り話しかけてきた。

 その度に私は、物陰から刺すような視線を感じ、そそくさと話を終えて彼から極力距離をとった。


 けれど、高橋さん達の攻撃はとどまるところを知らず、寧ろエスカレートしていった。

 そして、やられている私まで嘆息するほど非常に巧妙だった。


 というのも、彼女達自身が千明くんに嫌われては元も子もないせいか、決まって彼が登校する前や女子しかいない空間(トイレ、更衣室、体育の授業など)を狙って仕掛けてくるのだ。

 おかげで千明くんは、私の様子がちょっと変だぞ、とは思っているようだけど、私がいじめられていることにおそらくクラスで唯一気づいていなかった。

 私にとっては、その方が彼に余計な心配をかけずに済むので好都合なのだが。


 2週間。


 テストが全て終わる頃には、私の教科書は全て落書きだらけ。上履きは幾度も便器から拾い上げては洗って干し。更衣室のロッカーは開ける度に謎の生ゴミが異臭を放つのが当たり前になっていた。


 学校で過ごす時間が途方もなく長く感じた。


 何で学校に行かないといけないんだっけ、と初めて疑問を持った。


 声を出すハードルが千明くんと出会う前よりも格段に高くなり、やめてと反発するのも、誰かに助けを求めるのも、全て声を出さなければならないと思うと億劫だった。



 テスト最終日。

 午前中で解散となり珍しい時間に電車に乗ると、幼稚園の遠足だろうか、たくさんの園児達がきゃあきゃあと楽しくじゃれあいながらも先生に諫められ、ちんまりと座席に座っていた。


「おねーちゃんこっち!」

 身の置き場がなく立っていると、一人の女の子が手を引いてくれる。私はありがとうも言えず、導かれるまま女の子の隣に座らせてもらった。


「おねーちゃん、目、みえないんでしょ?」


 女の子は私の手を握ったまま、心配そうに私を見上げて言った。

 私は「目?」と驚いておうむ返しする。


「おねーちゃんの目、あなぼこみたいに空っぽ。ちーちゃんのばあばとおなじ。だいじょうぶ! えきについたら、ちーちゃんがお手てつないでかいだんおりてあげるから!」


 気合十分に輝く少女の瞳に私が映っている。

 私の目は真っ暗でただの洞穴みたいだった。


「うっ……ううっ……」

「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ」


 左手を女の子の小さくてあったかい手のひらに力強く握られたまま、私は大人げなくぽろぽろと涙を溢す。



 ――2週間。


 私の心が壊れるには、十分な時間だった。


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