18 一番嫌いな台詞
次の週末、私は献血に行った。
幸い16才の誕生日を過ぎていたので、ぎりぎり年齢制限には引っ掛からなかった。
「感染症の検査結果の送付をご希望ですね」
「……ぁ、はい」
「結果が出るまで約1ヶ月かかります」
「え!?」
「1ヶ月程して、何も通知が来なければ結果は陰性となります」
受付してくれた看護師さんは、戸惑う私にニコッと笑う。
1ヶ月もかかるとは……。
これじゃあ、千明くんばっかり、ごほうびがおあずけになってしまう。
(私も早く何かしてあげたいのに……)
「では、採血するので移動しますね」
私は促されるままに、採血室に入った。
針を刺すときチクッと痛かったけど、それ以外はとても快適だ。
立派なリクライニングシートで悠々と血を抜かれた後、休憩室に案内されるのだが、そこにあるお菓子やジュースは食べ放題! 漫画や雑誌も置いてある。
世のため人のためになり、お菓子も食べられるなんて……こんなに素敵なことってない!
常連らしき人が多くいるのも頷ける。
私が感動してもぐもぐ頬張っていると、ブーブブッ、とスマホがバイブした。
取り出して見ると、千明くんからのメッセージだった。この前握手を交わした後、今さらながら連絡先を交換したのだ。
メッセージを開けると、
『レベル3進捗状況』
という短文と、謎の画像。
「……?」
何故か私があげたハンドクリームが、靴と並んでちょこんと玄関に置かれている。
「これシュールだなぁ……」
私は独り言を呟き、思わずくすっと笑う。
昨日届いた画像ではドアの外に置かれていたのに。これはきっと、彼にしたらとてつもない進歩だろう。
『ついに玄関まで入れられたんだね! おめでとう』
と返信すると、
『明日はもっと奥に連れていく!』
すぐに気合い十分な返事が来た。
うーん……。
何かハンドクリームが羨ましくなってきた。
しかし結局、日曜日は彼からのメッセージはなく――。
「おはようございます! 10月4日月曜日のおはようジャパン、今日も元気にお伝えします!」
私は朝のニュースをぼんやり聞きながらトーストを噛る。今朝もやっぱりメッセージは来てなかった。
(まあ、そう簡単にはいかないか……)
それより、今日は4日だ。
出席番号24番にとってはやや危険な日付……今日こそ授業で当てられるんじゃないかな?
(人の心配してる場合じゃないよね……)
私はともすれば不安に押し潰されそうになる心を奮い立たせ、家を出た――。
「茉莉花!」
登校すると、千明くんが珍しく教室内で声をかけてきた。
前に私が怒ってから、クラスメイト(特に千明くんファンクラブの人達)の前で声をかけるのを避けてくれてたみたいなんだけど……。
千明くんは満面の笑みで私を呼ぶと、「見てこれ!」と鼻息も荒くスマホ画面を私に突きつけた。
「ついに最深部に進出したんだ!」
「?」
画面には、ベッドサイドのチェストに鎮座するハンドクリームの写真が写っていた。
ご丁寧に、綺麗なレースのコースターの上に置かれている。
ていうか千明くんちのベッド、こんな感じなんだ…………あったかそう。
「……じゃなくて!」
「?」
首をぶんぶん振って邪念を振り払う私に、千明くんは首を捻る。
私は気を取り直して言った。
「レベル3達成だね! すごい!」
「だろ?」
彼は鼻高々に胸を張って言う。
「まだ目に入る度に胸がざわざわするんだけど……茉莉花に貰ったものだから何とか捨てずに頑張れてるよ」
「それは良かった。でも、これまで贈り物を貰った時はどうしてたの?」
ふいに気になって尋ねると、彼は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「まずは断るよ。でも、どうしても貰っちゃったときは捨ててる……超罪悪感あるけど。バレンタインとかマジで消滅しろって思ってるね」
「千明くん程のイケメンがそれを言ったら、他の男子に殺されそうだよ……」
私の皮肉は伝わらなかったみたいで、千明くんはきょとんと首を傾げる。
ともかく、彼が子供みたいに喜んでいるのを見たら、私まで勇気が湧いてきた。
私だって、千明くんに追い付くんだ――。
「では冒頭から。24番の本田さん、音読してくれる?」
(き、きき…………きたーっ!!)
古文の先生に指名され、私はドキーッと縮み上がった。
しかも音読か……。発声時間が長いから、私にとってはかなりの高難度だよ。
私はすーはーと深呼吸し、まずは身体の緊張をとく。
千明くんの方をチラッと見ると、彼は口パクで『が・ん・ば・れ』と言って親指を突き立てていた。
(大丈夫……皆は私が思ってるほど私に関心ないから……大丈夫……)
そう自分に言い聞かせてから、すうっと息を吸い込んだ――。
「……いづれの御時にか」
静まり返った教室に、私の声だけが響く。
「女御、更衣……あまたさぶらひたまひける中に」
皆がそれを聞いている。
――気が狂いそうだ。
「ハァ……。いとやむごとなき、き、き、際にはあらぬが……ハァ」
喉が詰まる。息が吸えない。
苦しいよ……!
「す……ぐれて……」
少しでも気を抜いたら涙が溢れそうで。
でも今泣いたら、それこそ皆の注目の的だ。
それだけは堪えられない。
「ときめき……たまふ……」
あと少し……。
「すいませーん。全然聞こえないんですけど?」
突然、誰かが大声で言った。
私は心臓を氷水に入れられたみたいにきゅっと凍りつく。
「もっと大きな声でお願いしまーす」
少し派手な雰囲気の女子生徒が迷惑そうに手を上げて、さらりと私がこの世で最も嫌いな台詞を言った。
……みるみる鼓動が早まり、指先が痺れだす。
「そうね。本田さん、次は皆に聞こえるように読んでくれると助かるわ。ハイ、では解説していきますよ……」
古文の先生はすごく優しく対応し、私に微笑みかけてから板書を始める。
私は余計に泣きたくなった。