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16 レベル3の分析

 朝のホームルーム。


 今日も変わらず、担任の先生が淡々と点呼をとっている。


「……はい」


 今朝もギリギリ前まで届く声で返事をして、私はふぅ……とひと息つく。


 毎度心臓が飛び出るほど緊張していた出席確認も、今では少しの腹式呼吸で乗り越えられるようになった。

 毎朝の頭痛の種が一つ解消されただけで、こんなにも爽やかな朝を迎えられるなんて……本当に千明くんには感謝している。


 とはいえ、朝のホームルーム以降の生活はほぼこれまでと変わりない。


 授業中は極力当てられないよう息を潜め、休み時間はしっかりマスクを装着し、時折わざと咳き込んでみたり……。

 発語を避けるためにしてきたことが、すっかり染み付いてしまっている。


 だから、急に『自分から人に話しかける』なんて言われても……。


「いつ、どこで、誰に、何を、何故、どのようにぃ……!?」

「うん。一旦落ち着け」


 悩みすぎて、時刻は既に昼休み。

 いつもの屋上に向かう階段の踊り場で、私と千明くんはシーツの上に並んで座る。


 ……幸い午前中の授業では当てられなかったのだが、私は未だに誰にも話しかけられずにいた。


 目を回しながら5W1Hを呟き続ける私を見て、千明くんが呆れた顔をする。


「……茉莉花さぁ。俺に話しかけるとき、そんなあーだこーだ考えてんのか?」

「ううん、全然」

「他の奴にもそれでいいじゃん」

「むぅ……」


 私は上手く説明できないのがもどかしく、口を尖らせて体育座りした。


「それは……千明くんだからだもん」

「?」


 私は混乱して涙目になりながら、首を傾げている彼を見上げて言う。


「千明くんは私がみっともなく吃っても、嫌いになったりしないでしょ?」

「…………」

「……え?」


 間髪入れずに『当たり前だろ』って言ってくれると思ったのに……彼は何故か涙ぐむ私を見つめたまま、瞬きもせず固まっている。


「いや、そこは即答してよ! 余計不安になったよ……」


 私がショックを受けてぼやくと、「はっ!」と言って千明くんの石化が解けた。

 そして、忘れてたとばかりにパシパシ瞬きしながら言う。


「あー悪い……。そうじゃなくてさ……」

 彼は言い訳するように両手を胸の前に上げると、私を直視しながらさらりと言った。


「目がうるうるしてる茉莉花が超エロかったから、つい見入っちゃって」

「ぇ、エ……エエっ!?」


 私は火が噴きそうなくらい顔を真っ赤にしてして、即座に彼から距離をとる。


「あ、もちろん吃ったくらいで嫌いにならないから。安心してくれ」


 千明くんは太陽みたいに屈託のない笑顔で、グッと親指を立てている。


(安心できないよ……色んな意味で!)


 彼のことだから、単純に思ったままを言っただけで……他意はないんだろうけど。


 私の心臓が飛び散りそうなほど猛り狂っているとは知らず、千明くんは真面目な顔で「うーん」と腕を組み、思考を働かせている。


「……要は、茉莉花は相手にどう思われるかを気にしすぎなんだろうな」


 いつの間にか話が戻っていた。私はついていけずに「え?」と瞬きする。


「俺や蛍太、家族とは普通に話せるだろ? つまり相手のことをよく知らないと、反応が予想できなくて不安なんじゃないかな」

「あー……」


 言われてみれば、確かに。

 私は体育座りのまま膝に顎を乗せ、今さらながら自己分析を始める。


「グループで話すのが辛いのもそのせいかも。一度に何人ものリアクションを予測できないし……。それでもし誰かの気分を害したら嫌だなって」

「は? 何でそこまで下手に出る必要があるんだよ?」


 千明くんは不思議そうに首を捻る。確かに、彼のように物語の主人公となる人には理解できないかもしれない。


 ――これまで私は、空気のような存在ゆえに色々な“ここだけの話”を意図せず聞いてきた。


 背景と化しているせいか、みんな平気で私の目の前で噂話をするのだ。


 そして、盛り上がっているのは、大抵誰かの悪口。


 本人には言えないけど、千明くんの悪口だって聞いたことがある。『どうして誰とも付き合わないの?』とか『実は男好きなんじゃない?』とか……。


 どんなに人気者でも、必ず陰口を叩かれる。強いて言えば、私みたいに背景に溶け込んでいる人が一番標的になりにくいだろう。


 だから、恐いのだ。


 私が実は背景ではなくて登場人物だと知れたら、今度は私も的になる。


 必ずこれまで見てきたように――。


「だって……陰口言われたら嫌だもん」


 何を言われても動じない心とか、これだけは自信があるというものがないから。


「千明くんは格好いいしピアノも上手いし人気者だけど……私は……」


 些細な悪意からも、身を守る術がないのだ。


 千明くんは否定するでもなく、うつむきながら言う私をじっと見ている。


 今顔を上げたら、またあの深海みたいな瞳に吸い込まれそうで……私はもぞもぞと腕に顔をうずめた。


「茉莉花はさ」


 黙りこんで膝を抱える私の横で、千明くんが静かに言う。


「留守番メッセージが残ってない不在着信も全部かけ直すの?」

「……?」


 いきなり突拍子もないことを言うので、私は思わず顔を上げる。すると案の定、彼の青みがかった綺麗な瞳と目が合ってしまった。


「いきなり何の話? まあ、知ってる人からだったらかけ直すけど……」

 私は慌てて目をそらしながら言う。


「そっか……俺は絶対放置するけどな」

 千明くんは至って真剣に言う。


「だって大事な用事だったらメッセージ残すだろ。それか、向こうからかけ直してくる。こっちからわざわざ聞く必要ないじゃん」

「んー、それはそうかもしれないけど……」


 そんな甘いマスクをして、意外にもサバサバしたことを言うので私はちょっと驚いた。

 でも、全然話が見えない。


「つまり……どういうこと?」

「え? わかんなかった?」


 千明くんは幼い子供みたいに純粋にびっくりした顔をする。

 そして、胸をはってハキハキと言った。


「陰口なんて、陰で言われている内は言われてないも同然なんだ。わざわざ聞きに行くなってこと」


 そう言いきる彼の姿があまりに清々しくて、私は一瞬見惚れてしまった。


 けれど、まだ納得できない。

「でも、漏れ聞こえてくることもあるでしょ?」

「それも()()()()んじゃなくて()()()んだろ? 真正面から言われたときだけ受け止めればいいんだよ」


 千明くんはやれやれと首を振りながら「そもそもさ……」と続ける。


「どうでもいい人達に何を言われたところで、どうでもいいだろ? 俺だって『ホモだ』とか言われてるけど、何とも思わないし」

「!」


(知ってたんだ! ……ていうか、何とも思わないんだ)


 私が返答に困っていると、千明くんは突然何かを思い出したように苦い顔になって言う。

 

「その代わり……俺、大事な人に言われたことはすごい刺さるよ。茉莉花に『話しかけないで』って言われたとき、マジでショックだったもん」

「!?」


 そんなこと至近距離で言われたら……ドキドキしない方が無理がある!


「ともかく、茉莉花はもっと気楽にいこう! 誰に何と思われようと、茉莉花が悪い奴じゃないって俺は知ってるからな!」

「う、うん……ありがとう」


 かなり回りくどかったけど、彼なりに私を鼓舞してくれたのだろう。私は戸惑いながらお礼を言った。


 そしてふと、思いつく。

「千明くんも、まずはどうして素手で握手するのが無理なのか、分析してみたら?」

 

 実を言うと――彼は昼休みが始まったときから手袋をはめていない。


 そしてこれまで会話している最中もずっと、隙あらば私の手に触れようとしては戻り、あと数ミリまで近づいては引っ込め……。


 一人、静かなる戦いを繰り広げていた。


「昨日はあんなに私の手を堪能したくせに……」

「あれは! その……手袋してたから……さ」

 

 自分のことに話題が移ると、千明くんは途端に冷や汗をかきはじめる。


(手袋がないだけで、こんなに変わるものかな……)


 私は信じがたい思いで眉をひそめる。


「じゃあ聞くけど!」

 急に分が悪くなり焦ったのか、千明くんが無駄に大きい声で言った。


「茉莉花はゴム手袋無しでトイレ掃除できんの!?」

「へぇー。私の手ってトイレくらい汚いんだ」

「いや、待って。違う……」


 私の冷たい視線を受け、彼はさらに汗をだらだら流し始める。


 そして必死に考えた末、「これだ!」と閃いたように自信満々で言った。


「アルコールをぶちまけたゴキブリの死体は、相当清潔だけど触るのに抵抗あるだろ? そういうことだよ」

「…………」


 私の手は“滅菌されたゴキブリ”のようなもの、ということで話がまとまった。


(こんなんじゃ、いつになったらレベル10まで達成できるんだろ……)


 私は不安でいっぱいになり、ため息混じりに頭を抱える。



 ソロコンは、既にあと2ヶ月半後に迫っていた――。


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