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15 真っ直ぐな人

 あっという間に、私のマンションの前に着いてしまった。


(ゆっくり歩いたはずなのに……)


 止まらない手汗を乾かすべく、大きく手を振って歩いたのが仇となったかもしれない。

 

 結局手もじっとり濡れたままだし、心の準備も出来ずじまいのまま……私と千明くんは、マンションの入り口で立ち止まった。


「茉莉花んち何階? 上まで送ってこうか?」

「へ? あ、ろ、6階だけど。こ、ここまでで大丈夫だよ!」


(噛みすぎ私……! 平常心……平常心……)


 千明くんは「そうか」とあっさり引き下がる。

 さっきから私、ものすごく目を泳がせているはずだけど……特に何とも思ってないみたいで安心した。


「じゃあ、改めて」

 千明くんは私と向かい合うと、手袋をはめた右手をスッと伸ばした。


「これからよろしくな」


 そう言って爽やかに彼が笑うと、現実か幻かわからないけど、びゅうっと全身に風が吹き抜けた気がした。


 私が躊躇っているとき、千明くんはいつもこうやって春の嵐のように美しくも荒々しく背中を押してくれるのだ――。


「うん。こちらこそよろしくね」


 私は、自分でも驚くほど自然に手を差し出した。

 さっきまで手汗がどうの……とごちゃごちゃ考えていたのが嘘みたいに落ち着いた気持ちだ。



 真っ赤な夕陽に照らされる中、私達はしっかりと見つめ合って握手を交わした。



 ――ぎゅうぅぅ。

「?」


 ――にぎにぎ。

「……!?」


 ――くりっ、くりっ。

「ちょ……ちょっと待った!!」


 私は思わず彼の手を振りほどく。


「長いよ!! ていうか、そんなにこねくり回さないで!」

 私は恥ずかしさのあまり涙目になり、尻尾を踏まれた猫の如くシャーッと威嚇する。


 何度も握り直したり、強弱をつけたり、関節をいじくってみたり……明らかに握手ってレベルじゃないくらい揉まれてしまった。


(別にやらしいことされたわけじゃないのに、何この気持ち……!)


 千明くんはハッと我に返ったように手を引っ込めると、けろっとした顔で言う。

「あーごめん。人の手を握るなんて超久しぶりで、つい堪能しちゃったよ」

「堪能って……。そんな大したものじゃないし」

「え? 茉莉花の手、すごく柔らかいし白くて綺麗だよ」

「……っ!」


 そういうことを恥ずかしげもなく言ってしまうんだから……本当にタチが悪い。

 千明くんは良くも悪くも言葉が正直だから、外見だけでなく言動も清々しい。これが彼を真のイケメン足らしめている大きな理由なのだろう。


「そういうことばっかり言ってるから、みんなに追いかけ回されるんだよ……」

「?」

 

 私はため息混じりに苦言を呈したが、彼はきょとんとしていて、全く暖簾に腕押しのようだった。



 そのとき。

 ドサッ、と背後で何か重い物が落ちる音がして、私はビクッと後ろを振り向いた。


「ね……ねーちゃんが男と手繋いでた……!」


 いつの間にか、杏平がすぐ近くに立っていた。

 部活帰りの大荷物を地べたに落としたまま目を見開き、私達を指差してわなわなと震えている。


「……あ、そっか。もうそんな時間なんだ」

 私はどんどん暗くなっていく空を見上げて言う。

 いつもなら部活で私より遥かに遅く帰ってくるのに……と思ったけど、私も散々寄り道したんだった。


「弟?」

「うん。杏平っていうの。杏平、この人はクラスメイトの桐ヶ谷千明くん。ていうか、いい加減、人を指差すのやめなさい」


 私が紹介すると、杏平は人差し指をパッと下ろし、今度はあちゃーといった風に頭を抱えた。かと思ったら「……だから早くコクれっつったのに……」と何やらぶつぶつ言っている。


 全く、人様の前でせわしなく何やってるんだろうこの弟は。


「あの! 一つ確認いいですか?」


 杏平は悩んだ末に千明くんを真っ直ぐに見上げてハキハキと言う。千明くんは「ん?」と首を傾げてから頷く。


「ねーちゃんの彼氏ですか!?」

「ちょーっ!」


 ちょっと待った! ……と言う予定が、衝撃で口が回らなかった。

 私は慌てて杏平に立ちふさがり、両手を広げてディフェンス態勢をとる。

「千明くんごめん! うちの弟、考えるより先に突っ走っちゃうタイプで……。あんたも、いきなり失礼なこと聞かないの!」


(その辺、私にとっても結構グレーゾーンなんだから……!)


 雰囲気からして、おそらく明らかな恋愛感情は無いんだろうけど……。

 彼女役は継続中だし、さっきだってあんなこと言われたし――。


 私はぐるぐる思い悩みながら手を振り回し、弟は私のディフェンスを掻い潜ろうとひょこひょこ顔を出している。ご近所さんに見られてたら、直ぐに噂になりそうだ。


 激しい攻防を繰り広げる私達を前に、千明くんは一呼吸置いてから、ぷはっと吹き出す。


「何か……姉弟きょうだいっていいよな」

「これのどの辺が!?」

 私はクスクスと笑い続ける彼に背を向けたまま叫んだけれど、千明くんは構わず続けて言った。


「弟くん。そんなに気になるなら、教えてあげよう」

「本当!」

「ただし、ここだけの秘密な」


 千明くんは冗談めかした口調で人差し指を唇の前に立てる。杏平はウンウンと頷き、私もゴクリと唾を飲み込み聞き耳を立てた。


 千明くんは意地悪っぽくニッと笑って言う。


「俺はお姉さんの彼氏じゃなくて、()()()()なんだ。……それはそうと茉莉花、明日俺のレベル3用に何か私物を持ってきてくれない?」

「え? あ、うん……」

「じゃあまた明日、おやすみ」


 そうやってまた嵐みたいな発言を残し――千明くんは宵闇に消えていった。



  翌朝。


 今日はレベル3と下手したらレベル2にも挑まないといけないのに……最悪の目覚めだ。


 昨日、マンションの入り口で彼が言い残した言葉が魚の骨みたいに喉につかえていて、全然熟睡出来なかった。


(てっきり、偽の彼氏役って言うと思ったのに……)


 候補だなんて言われたら……本物になる可能性をどうしたって期待してしまうじゃないか。


 それとも、お互いの病気について触れることなく、私にも女性として恥をかかせない為に機転を利かせてくれたのかな?

 ……そんなこと咄嗟に出来るとしたら、将来とんでもない女たらしになりそうで嫌だ。


 彼の言葉はいつも真っ直ぐだと知っているけど――全てを素直に受け取れるほど、私は自分に価値を見いだせていない。


「……はぁ」

 私は目の下にひどいクマを作り、心ここにあらずでトーストにジャムを塗り続ける。


「ねーちゃん……目玉焼きも苺ジャムで食うの……?」

「え? ……あ!」

 気づけばトーストの脇に添えてあった目玉焼きにまで塗りたくっていた。杏平がオエーと吐きそうな顔をしている。


 今のところ、彼は千明くんの言いつけをしっかり守っている。基本的に体育会系だから、先輩後輩の上下関係にシビアなのだろう。


 ただ……昨日千明くんと別れてエレベーターに乗ったとき「蛍太にーちゃんは桐ヶ谷さんのこと知ってんの?」と尋ねてきたのがよくわからなかった。

 しかも、私が頷くと「マジか……にーちゃんかわいそ」と更に意味不明なことを言っていた。


 こないだも、いきなり『彼女いる宣言』するし……最近、弟のことが良くわからない。まあ、別にどうでもいいけど。


 だって、本当に今日はそれどころじゃないのだ……。


「『自分から人に話しかける』って言っても、誰に話しかければ……うえっ、まずっ!」

 

 ぶつぶつ独り言を言いながら朝食をつついていたら、うっかり目玉焼き苺ジャム添えを食べてしまった。

「ゲホッ、ゲホッ!」

 慌ててお茶で流し込もうとして更にむせる。


 杏平は私を蔑むような目で見て、こそっと呟く。

「二人とも……こんなののどこがいいんだろ……あ! それオレの!」


 自分の咳で、最初の方は良く聞こえなかったけど……。

 何か失礼なことを言われた気がしたので、私はとりあえず弟のウインナーを美味しく頂いてから席を立った。

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