上
矛盾点は全てファンタジーのひと言で相殺してください。
お暇つぶしに。
ぼんやりと天井の唐草模様を眺めいていると扉の向こうから慣れ親しんだ足音が近づいてきた。
おざなりなノックが取り敢えずといった風にクリスの耳に届く。
ノックの仕方で誰が扉の向こうにいるのかを確信したので特に姿勢を正す事もないまま入室を許可する。
返事を聞いているのかいないのかのスピードで扉が開いたのを見てクリスはゲンナリとした。
「ハルトお前な、ノックをしたなら相手の返事を待ってから開けろ」
「それを言うならクリスはまず相手が誰かを確認してから返事をした方がいいんじゃない?」
「足音でわかるわ」
「俺もクリスの部屋だってわかってるから開けたんだ。クリス以外の部屋ならキチンと名乗るし許可も待つよ」
ああ言えばこう言う。
減らず口を叩いてにっこり微笑む顔はどこまでも優美で嫌味ったらしい。
全く可愛らしさのカケラもないとクリスは苦虫を噛み潰したような顔をした。
人の部屋に一切の遠慮もなく入ってきて我が城だとでも言わんばかりに寛いでいる8歳年下の弟ハルト。
肩甲骨まで伸ばした銀の髪はそこらの令嬢が見たら思わず自分の髪を隠したくなるほど艶やかに風にたなびき、透き通るような青い瞳をたたえる涼やかな目元と、まるで精巧な彫刻の様に整った顔立ちは見慣れたものでなければ直視するのも困難な程に美しい。
のに、未だに浮いた話の1つもないという嘆かわしい戦果。
「お前そんな減らず口ばっかり叩いてるから結婚どころか婚約もできないんだぞ…」
がっくりと肩を落とせばどうせ仕事が忙しいから構わないよ、と負け惜しみを言いながらベッドに堂々と腰掛けてくる。
遠慮とかゼロ。
「体調はどう?筋トレして使用人に悲鳴をあげさせてるって聞いたから様子を見にきたんだけど」
「やる事がないからなぁ」
「まあそれだけ元気なら大丈夫そうだね。頼むから大人しくしといてよ」
クリスの顔色をじっくり眺めたハルトはそれだけ言うとまた夜に、と言って立ち去ろうとする。
「本当にそれだけで来たのお前」
ちょっと呆れて言外にそんな事で仕事を抜けるなと責めればハルトは肩を竦めた。
「アレだけ大怪我しといて周りが心配しないとでも思ってるの?俺も含めてみんなクリスに過保護になってるよ。まあ覚悟しておくんだね」
嫌味ったらしく鼻で笑うと今度こそ退出して行くハルトに、昔はあんなに可愛かったのに…とクリスはここ数日で見飽きてしまった天井を仰いだ。
するとメイドが扉をノックして来客を告げる。
「クリス様、第1部隊総隊長のブラウド様がお越しになっております。」
「早いな!直ぐに向かう」
慌てて起き上がるとまだ僅かに違和感の残る左足を庇いつつ、いつもの騎士の上掛けを羽織る。
これを羽織るのももうあといくらもないだろう。
応接室に続く階段をクリスが颯爽と駆け下りるのをブラウドが驚いた様に見つめる
「これは驚いた。噂では聞いていたがこれ程まで回復しているとは」
「ひと月もベッドに縛り付けられたんです。むしろそのせいで弱りましたよ」
恰幅の良い大柄なブラウドはそれを聞くと爽やかに笑い飛ばす。
「元気そうなら安心した。お前の復帰の話をしようと来たのだが、この分なら登城は直ぐにでも叶いそうだな」
「やはり、そのお話でしたか」
「当たり前だ。お前の様な優秀な騎士をいつまでも腐らせておくわけにはいかん。」
「いえ、ブラウド総隊長。私は明日にでも登城し、騎士の称号を王へ返還する予定でした」
「何を言う。まだ本調子ではないのなら幾らでも待つぞ。急ぐことはない。」
国家直属の防衛部隊、
その第1部隊総隊長からそんな言葉を頂けるのは本当にありがたい事だ。
だがクリスはもう既に自分の中で結論を出していた。
「いえ、医者とも話しました。
日常生活には支障は出ませんが…馬上で暴れる事も敵の攻撃を受けて大地に足を踏ん張る事も、もう叶わない足となったようです」
ブラウドが眉間に深い皺を刻む。
「…部下にはどう説明する?」
「ありのままを。あいつは責任を感じるかもしれませんが、そんな事気にするなら戦で名声を狩り取ってこいと叱るつもりです。」
「親衛隊はどうだ。国王からもし実戦が難しいようであればその席を用意すると賜って来た。」
「王族をお守りする最後の要に私を置くと?」
国王からと言うが多分ブラウドが進言してくれたのだろう。
本当に素晴らしい方だと思う。
戦場だけでなく城の中でもこの方は常に広い視野で多くの部下を見守り続けてくださる。
だからこそ、不名誉な部下をもたせたくはない。
「我々が戦場に臨む時、ヒビや欠けの入った剣を持ちますか?万が一それが戦闘の最中に折れたら、振るうものの命を脅かします。」
同じ軍人だ。言わんとする事はブラウドもよくわかっているのだろう。
彼は答えなかったがそれが全てだ。
「国王になまくらの剣を持たせてはなりません」
「お前をなまくらの剣と言うことは例えお前自身であっても許さんぞ」
「有難きお言葉。
…ですがそれが私の出した結論です。」
深く刻まれた皺の奥に静かに佇むブラウンの瞳。戦場でも決して揺らぐことのない総隊長のそれが僅かに揺れた気がした。
一瞬かそれとも数分か沈黙の後にブラウンは根負けしたようにクリスから目線を外した。
「騎士をやめて、そのあとはどうする?」
「まだ何も。基本行き当たりばったりなんですよ。ご存知でしょ」
「お前はそう言うところがあるよな。頼むから滅多な事だけは考えてくれるなよ」
どうやら自暴自棄になる事を心配してくれていたらしい。
「そんなご心配をなさってたんですか?
そこまでヤワじゃありませんよ」
「みんなそれが心配なんだ。
言っておくが国王も、お前の立場や経歴を思って今回の話を下さったんだぞ。」
「はは、まあ何とかなりますよ。
家のことは弟のラインハルトが上手くやるでしょう」
「若いながらに宮仕えの官僚としてアレだけ活躍をしているんだ。彼を嫡男として迎えたクローディアご夫妻の先見の明には感服するよ」
「ブラウド総隊長、ですから私は絶望などしておりません。陰ながらラインハルトを支えつつ、この家を守りたいと考えております。クローディア家は今代は剣ではなく、頭脳でこの国に貢献してご覧に入れますとも」
にこりと微笑むとブラウドもようやく納得、いや安心したようにそうかと呟き立ち上がった。
「我々は、仲間を庇い片足を失いながらもなお、愛馬に自身を縛り付け戦場を駆けた英雄を永遠に忘れはしない」
同時に立ち上がったクリスの肩を持ってそう述べるとブラウドはいつでも宿舎に顔をだせよ、と言って立ち去った。
「退役するって聞いたんだけど」
「お前は今朝の話を忘れたのか?というかもはやノックもなかったな」
若いながらずば抜けた才能を遺憾無く発揮していると言うのが嘘なのかとクリスは頭を抱えたくなる。
「聞いているんだクリス。退役するの?」
「するよ。ってか話が筒抜けじゃないか」
既にベッドで就寝モードに入っているクリスと反対にまだ外着で帰って来たばかりのハルト。
こんなに遅くまで仕事をするならそもそも昼間に抜けるなと言いたい。
頭いい割にアホなんだよな。
「そんなに傷が酷いの?結構元気にしていると思っていたのに…」
「うぉお!?ちょちょちょちょ!」
一切のためらいなくベッドに乗り上げると布団を引っぺがしてクリスの足を見ようとする弟に流石のクリスも慌てふためく
「まてまてまてまて!お前何してんだ!!」
「元気に暴れられるじゃないか。退役なんてしなくていい。城にまた戻ってよ」
「普通に動くくらいはできるわ!
戦闘がもう無理なんだよ!」
「…親衛隊の話行ってないの?」
「あ!まさかその話振ったのお前か!」
「クリスなら余裕でできるでしょ?」
「はあー…これだから頭脳派は。無理無理。なまくらの騎士なんぞ国王の側には置けません」
なまくらとか言わないで、とハルトがブスくれた顔をする。
こう言う顔は昔から変わらない。
10年前、孤児院で出会った痩せこけた男の子。
天使のような顔に小鳥のような愛らしい声で囀っていた少年が。
まさかこんなにデカくなってこんなに可愛げがなくなるとは思っていませんでした。
「騎士を辞めてどうするつもり?」
「まだ何も考えてないな。取り敢えず明日称号変換して、お父様とお母様と話して、まあ2人の意向にそうつもりだけど」
「俺の親衛隊の意向は聞いてくれないんだね…」
ベットでクリスの体を半分覆うように四つん這いに被さっているハルトががっくりとこうべを垂れた。
何だか悪い事をしている気分になって仕方なくその頭をポンポンと撫でると諦めたように隣に寝転んだ。
「お願いだから俗世をすてるとか言わないでね」
「なんだそりゃ。というかここで寝るな、部屋に戻れ。そもそも着替えろ!」
肩を引っ張るがビクともしない。どうやら本気でここで寝るつもりらしい。
「いいじゃんもう俺すっごい今日走り回ったんだからさ。そもそもクリスが筋トレなんかし始めなきゃもっと早く仕事も終わったのに」
しまいには人のせいにしやがった
「ねえ、クリス騎士の制服本当に脱ぐの?」
「脱ぐよ。剣がふるえないのに着れない」
「そっかー。じゃあ俺と結婚しようよ」
「はあ?」
何言ってんだこいつは
「ねえお願い。クリスがお嫁さんになってくれたら俺は世界一幸せなんだって」
クリスの剣だこで硬くなった手を胸の前で握りしめて上目遣いで囁いてくる。
久しぶりのおねだりポーズ
昔からハルトは悲しかったり不安な事があると泣きそうな顔をして、そして同じセリフでおねだりをしてくる。
「結婚なんぞしなくてもハルトは私の大切な家族だろ?私が姉じゃご不満?」
これもいつものお決まり文句。
「姉じゃダメだよ。騎士を辞めたなら尚更、いつかどこかへ嫁いじゃう」
「嫁がないなら?んん…修道女。」
「ダメ。修道院なんか行ったら面会回数限られちゃう」
「うーん。でもハルトは大事な弟だからなぁ」
こんなやりとりもう何回しただろうか。
クローディア家の一員になろうと必死に頑張っているハルト。
みんなハルトを大事な家族と認めてるのになんでこんなに不安になるんだろうか。
使用人がそんな話をしたりしたのか?
後で調べてもいいが、そんな事いう使用人はいないはずなんだが。
「俺が家族になるのは嫌?」
掴んでいた両手をそのままにクリスのサイドに押し付けると泣きそうな顔で覆いかぶさってくる。
今年でハルトは19歳。
幼かった頃の華奢な面影は何処へやら。
利発そうな、少し冷たくも見える涼やかな顔だちに、一瞬で追い抜かされた身長。
クローディア家の一員として充分に鍛えた筋肉質な体はとてもではないが机仕事には見えない。
外に出れば充分に一人前の男としてデビューをしているのに、どうしてこの天使からはいつ迄も不安に潰れそうな顔が消え去らないのか。
「手を離せハルト」
全力で抵抗しても今のハルトにクリスは勝てない。
マウントを取られているのもだが、このひと月のベッド生活でクリスの筋肉はごっそり落ちたからだ。
それでもクリスに危機感なんて一切ない。
悲しそうに目を伏せるとハルトは拘束されていたクリスの手首から作り物のような美しい指を従順に離した。
全くいつもの憎まれ口は何処へやら。
青い瞳が僅かに乱反射している。
「わかったわかった。結婚でも何でもしてやるから泣くな!お前幾つだよ!」
目の前の銀色の頭を抱き寄せると無言で両肩を抱き返される。結局根負けするのもいつもの話。
ハルトにとって結婚ってなんなんだろうなぁと不思議になる。そもそも私姉だし。
昔から結婚結婚言ってるけどハルトにとっては愛情確認の1つなのだろうと最近は思っている。
「結婚してくれる?本当に?」
「はいはい。しますします」
ガバリとクリスの拘束を解いて見下ろす顔は嬉しそうに紅潮し青い瞳が蕩けている。
まあこれもいつも通り。
…もしかしたら怪我をしてから彼なりにずっと不安だったのかもしれないな、と気づいた。
ここひと月こんなに屈託無く笑うハルトの顔は見ていなかった気がする。
「ありがとうクリス。俺たちこれで永遠に家族でいられるね」
「そもそも家族じゃん…」
もうこのやり取りも何回やったかわからない
「今日遅くまで走り回った甲斐があった」
「何?」
「いやこっちの話。あ、クリス明日称号返還に登城するよね?その後俺の執務室これる?」
「?ああ、良いけど」
「オーケー。必ず来てね?
忘れて帰ったら酷いからね?」
「わかったわかった。必ず」
それを聞いたハルトはさっさか起きあがるとお休み、と言って部屋を出て行く。
てっきり居座るかと思ったのだが
「無理なら既成事実作っちゃおうかと思ったんだけど、言質が取れたからね。」
と最後によくわからないセリフを残して去っていった。明日は執務室に行くのは忘れないようにしよう。
あとが怖い
無事に称号返還を済ませると勝手知ったる城の中を進みハルトの執務室に繋がる扉をノックする。
とすぐに女性が扉を開いた。
ハルトの専属秘書をしているリリアだ。
頭脳明晰、伯爵家のご令嬢でありながらその手腕を存分に発揮し、いずれハルトと仕事だけでなくプライベートも支えることになるだろう最有力候補だ
「リリア殿、行けませんよ。私が貴方に良からぬ事を考える不届き者だったらどうしますか」
この白魚のような美しい肌に傷がついてからでは遅いのですよ、とたしなめれば
リリアは軽く頰を染めている。
「クリス、ウチの秘書を誑かすのは辞めて貰えないかな」
「ならキチンと教育をしろ。」
「ワザワザ僕らにわかるように直前に足音を立ててくれる気配りのある軽やかな体重の訪問者なんて扉の向こうでも誰だかわかるよ」
「軽くて悪かったな」
「まあそんなことは置いといて。体調はどう?」
「体調?別に至って健康」
「なら良かった。この後さ、王宮で開かれるパーティがあるからこのまま参加してね?」
「はい?」
急に何を言いだすんだこの愚弟は。
「ドレスと化粧室は手配してあるから大丈夫。
この後リリアに案内させるから」
「いやいや、なんで急に?と言うかもうドレスの歩き方すら忘れたわ」
「大丈夫。エスコートは俺がするし、クリスの事はみんな知ってるんだから少しぐらい面白い歩き方してたってだれも何にも思わないって」
「ひとごとだな!!!ってか急すぎ!!」
「まあまあ、クリス様。私にお任せください。
憧れのクリス様が会場の誰よりも輝けるよう見事に仕立ててご覧に入れますわ」
「いや、むしろ誰にも気づかれないように地味にしてほしい」
「まあまあ、ひと月前アレだけ名を馳せた騎士様が何を弱気な事を!」
「あれは戦場ね!パーティとはわけが違う!」
「パーティも立派な戦場ですのよ!」
「あ、はい。すみません」
それを横で聞いているハルトは噴き出している。
お前覚えてろよ。
こう言う頭脳派と言うか、口調が丁寧なご令嬢にはイマイチ強くでられない。
結局リリアに押し込まれた先で久しぶりのドレスと化粧を施される
「これ凄い高価そうなドレスなんだけど。使い回しの破れても良いやつないの?」
微妙にサイズがピッタリなのが凄い。
馬に乗るため体をかなり絞っているので女性としてはよく言えばスレンダー。
要するにまな板体型なのであまりドレスが合う体系ではないのだが。
「何を仰ってるんですか!クリス様の為に誂えた特注品ですよ!これを着なかったからハルト様が泣きますよ!」
「特注品!?あいつ何勝手に人のドレス作ってんだ!?そして何私の体型勝手に把握してんだ!」
ここ最近やたらとベタベタ人に張り付いて来てたのはそう言うことか!
死にそうで心配とか泣き落とししやがってがっつり寸法測ってたんかい!
「そう言うサプライズは何処ぞのご令嬢にでもやってくれ…。と言うか私にそんな物を送ってる暇があったら婚約者の1人ぐらい探せ!」
「あらあら、今日はハルト様の婚約発表会ではありませんか」
「え????」
「…ご存知なかったんですか?」
全くご存知なかった。
これにはリリアもびっくりししている
だが手だけは淀みなく動いているから流石である
「…そうか。全く知らなかった。ああ、
気を使わせてしまっていたのかな」
多分話自体は以前から決まっていたのだろう。
だが私の怪我から始まる退役騒ぎで言いづらかったに違いない。
自分のことしか考えていなかったと、ここ数日の自分の行動を振り返って自嘲気味に笑った。
「クリス様はここ一月ずっとお怪我と戦っていらっしゃいました。
クリス様の所為では決してございませんよ」
「リリアは優しいね。ハルトの婚約者もリリアみたいな女性だといいな。まあハルトが選んだ人なのだから間違いないと思うが」
控えめに言って凹んだ。
だがまあハルトの晴れ舞台なら姉の私がキチンしていなければとも思う。
だったらせめて騎士の服で参加したかったがまあ仕方がない。
リリアにも確認してもらったがそこまで変な歩きでもないからこのパーティくらいはどうにか切り抜けられるだろう。
大人しく支度を終えるとハルトの待つ控え室の扉を開いた。
「お前はいつからスパイになったんだ。寸法が知りたいなら知りたいと素直に言え」
「ああ…いつもの分厚い詰襟は隠されたその布を剥いで全てを暴きたくなるような魅力があるけれど、そんな頼りないレースで薄い胸元をさらけ出されると逆に誰にも見られないように僕の体で覆い隠してしまいたくなるね。
本当に綺麗だよクリス。いつもあんなに綺麗なのにこれ以上綺麗になるとは思っていなかった。」
謎の宇宙語で恍惚とこちらを見ているハルトに頭痛がしてくる。
「ソウイウコトハコンヤクシャニイエ」
「あれ?婚約者の話聞いたんだ?」
「お前なぁ、なんでさっさか言わないんだ。家族なんだから変な気をつかうな。」
腰に手を当てて叱るがハルトは顔をしかめて
細すぎて心配になるなぁと抱きしめてくる。
正直少し寒かったからハルトの体温は助かる。
が、こういうことは今後はもうしないほうがいいと思い直し目の前の大きな胸板を押し返すと
あっさり解放された。
「人の話を聞け。」
「だってクリスは怪我で大変だったからそれどころじゃなかったろ?
僕はこう言う手続き的な事は得意だし、クリスに変に負担をかけたくなかったんだよ。」
「まあもういいけどさ。お前に相談させられないくらい私は多分ダメになってたんだろうな。
気を使わせて悪かった。」
「何言ってんの。僕が勝手にやった事だし。…やっぱり外堀を固めるって大事だしね」
そろそろ行こう、と言われて手を差し出される。
何だか人にエスコートされるのは久しぶりだ、とふと感慨深くなった。
まあ、そのうちの9割がハルトなのだが。
これからはハルトにエスコートされることもなくなるだろう。
そうなったらお父様か。
本当は修道院に入りたかったんだがハルトがまたゴネると面倒だなぁ。
と言うかあいつ婚約者にもあんな泣き落としで迫ったんだろうか?
「…ハルト。頼むからプロポーズはしっかりな」
「?プロポーズはもう終わってるけど?」
ああ…手遅れだった…
「そ、そうか。ならいい…」
「ねぇクリス、これからこのパーティで婚約者を僕は発表する訳だけど」
クリスが渡り廊下の途中で急にこちらを振り向いて両手を握ってきた。
これはクリスがよくわらないおねだりをしてくる前兆だ。思わず身構える。
「僕が選んだ婚約者を、クリスにはどうか受け入れて欲しい。」
「なんだそんなことか。」
拍子抜けしてしまった。
「大事な事だよ。どんな人でも、必ず受け入れるって約束して欲しい。狡いとは思うけど拒否されたらと思うと怖いんだ。」
悲しげに瞳が伏せられて、いつもは凛として佇む青い瞳がまたキラキラと光を乱反射し始める。
え…
なんだ?ハルトは一体誰と婚約するんだ?
あんまりにも悲しげな懇願に
(いやいつもの事ではあるんだが)
一抹の不安がよぎる。
国家規模の大犯罪者?
敵対派閥の家系?
そもそも国外の敵?
お、男!?
犯罪級の年の差?
いや待て落ち着け
そもそもこれは王宮のパーティ
犯罪者や国外の敵ならそもそもここで紹介できないだろ。
つまり精々派閥違いか年の差だろ?
それぐらいしかもう想像かつかないんだが…
「やっぱり無理だよね。そんな無茶なお願いいくら姉さんでもできないよね。」
そう言って手を解放するハルトの頰に一筋のしずくが伝う。
ここで姉さんって言うのはズルくないか!?
それだとハルトを弟として認めてないから呑めないみたいな感じになるじゃないか!!
「いや…そんな…事ないけど…」
「でも約束はできないんだよね?いいよ、無理に言わせたい訳じゃないんだ。」
やめてくれーーーと言うか19にもなって外で泣かないでくれーーーー
これはマズイ。こんな涙でグズグズのまま婚約発表なんかしたらクローディア家の伝説として後世に赤っ恥が語り継がれてしまう。
大事な弟にそんな不名誉な歴史を作ったのが姉の私とかそれも勘弁だ
そして婚約者にも申し訳が立たない。
「わかった!わかった!約束する!
だから泣きやめ情けない!」
「本当に…?」
「もういいよお前が90歳の敵対派閥の大長老のお爺ちゃん連れてきても受け入れるよ!」
「?よくわからないけど約束してくれるんだね?」
「もう誰が相手でも受け入れるから!頼むからそんな情けない顔で会場に入らないでくれ!」
「なら誓いのキスして?」
「はぁーーーん?!お前此の期に及んで…っ!」
「いつも大事な時には約束のキスするでしょ?」
「お前が勝手にやりだしたんだろーが!婚約発表前に姉とキスする男がどこの世界にいるんだ!」
「ここにいるよ。ね?お願い。じゃないと安心できない」
「…」
もうここまできたら若干諦めの境地に達してきた。
「お前婚約者に刺されるぞ…」
「そんなこと絶対しない人だから大丈夫」
ああ可哀想に…この馬鹿の見た目がいいばっかりに騙された哀れな婚約者…
どうかこいつを見放さないでやってほしい。
色々と家族にトラウマがあるやつなんです。許してやってください。
そう思いながらキスをしようとするが一向に動く気配がない
「いやかがめよ」
クリスの身長ではどんなに背伸びをしてもハルトの顔にはキスはできない
「クリスが引っ張ってよ」
こいつそろそろ殴っていいか?
「殴ってもいいからキスして」
どうやら心の声が漏れていたらしい。
ほらはやく、と急かされるので本来ならシャツを引っ掴んでやりたいところだが
何しろ本日の主役の一端を担うのはこいつだ。
あまり乱れた姿で出すわけにもいかない。
ええいままよと両頬を引っ掴むとその頰に一瞬唇を掠めた。
もうキスとかじゃない。掠めただけ。
それでも大人しく頰を差し出してきた男はご満悦のよう。
「お前このパーティ終わったら覚えとけよ」
頰を引っ掴んだまま睨み付けるとその手を掴んで下ろしながら
ハルトは心外だ、という顔をする
「俺がクリスとの思い出を忘れるわけないでしょ?一字一句全部覚えてるよ。」
そう言いながらクリスの手の甲に口付けた。
「気持ちが悪いな!
お前それ絶対婚約者に言うなよ!」
「ええーもう言っちゃってるなぁ」
「おおお…お前の婚約者は相当心が広いな…」
「うん、優しくてカッコよくて凄く可愛い、情に厚い人なんだ。仕事では凄い頭の回転早いんだけどプライベートとなるとビックリするくらいポンコツになるんだよ。
まあそれがまた隙があって可愛いんだけど、時々悪い人に騙されないかなぁって心配になるよね。
だから俺みたいなのに引っかかっちゃうんだろうけど、でも絶対逃がさないしかならず幸せにするからね。大丈夫」
怒涛の勢いで惚気られてああそうですか、と乾いた笑いを返すしかない。
「何でもいいけど犯罪には手を染めるなよ…」
「逃げたりしなきゃ染めないよ?」
「男らしくない。相手のせいにするな。」
「相手が男らしすぎるから俺が女々しいくらいで丁度いいんだって。
さて、もういい加減会場に入ろうか?クリス」
「はあ…なんか始まってもないのに疲れた…。」
げっそりとしながらハルトに惹かれて会場へと続く扉が開かれる。
既に下の階ではパーティが始まっているらしく大勢の紳士淑女がこちらに一斉に注目した。
いや、私とハルトに注目されても困る。
と言うか今気づいたけどこれハルトはそもそも婚約者と入場するべきなんじゃないか?
もやもやとも考えながらも病み上がりで階段を下りることに慎重にならざるを得ない。
普段の制服なら何ともないのだが今日はドレスに、低めとはいえヒールだ。
流石にここで転びたくはないな、とハルトの腕を軽く引っ張り「ゆっくり目に頼む」とささやいた。
ハルトも直ぐに察したのだろう。
直ぐに歩みを止めて振り向いた。
「わかった。じゃあ俺に捕まって?」
「ああ、すまな…!?」
気づいたらハルトに横抱きにさらわれていた。
馬鹿か!!そう言う事じゃない!!!!
危うく怒鳴りそうになってしまった。
階段の下からは黄色い歓声が上がっていて可愛らしい色とりどりのドレスをきた可憐な少女達が羨望の眼差しを向けている。
違う。断じて違うぞ。
それはハルトの婚約者のご令嬢に向けるべき声援であって決して姉を階段から下ろす弟の介護活動であげるべき声援じゃない。
人1人抱えてるとは思えない優雅な動作でハルトがあっさりと階段の中央までくると下の階から司祭らしき壮年の男性が上がってきた。
階段中央の踊り場で2人が立ち会うとにこりと笑いあっている。
「熱烈な入場ですな。ハルト様」
「まだ病み上がりなんだ。手短に行こう」
「畏まりました。それでは僭越ながら、本日の婚約の儀の司祭を務めさせていただきます。
エリックと申します。英雄クリス様、どうぞよろしくお願いいたします」
横抱きで動けないクリスに温かい眼差しを向ける司祭に上から黙礼をするしかない。
「ああ、すまない。よろしく頼む。と言うかここもう下ろせハルト!」
「少し色々やるからさ、立ってるの辛くなるよ?」
「人1人抱えてる方が辛いだろ!いや抱えられてる方が辛いわ!」
「えー仕方ないなぁ。辛くなったら言ってね?」
渋々降ろされて奥を見ればなんとお父様とお母様も既に近くに来ていた。
お父様は心なしか憔悴してお母様は逆に興奮気味で嬉しそうに笑っている
そのままさっさか階段を降りようとするも何故かハルトの腕がガッチリと腰に周り全く動けない。
その間にも司祭は直ぐ近くの小さなサイドテーブルから書類らしきものを漁っている。
(おい!はなせ!私はもう降りるぞ!)
(ダメダメ。どんな婚約者でも受け入れるって約束したでしょ?)
(したよ!だから降りるんだろうが!)
(なら黙ってここにいてね?約束破っちゃダメー)
「…では以上の手続きによりブライト=クラインベルクの嫡男として正式にラインハルト=クローディアを迎え入れる事をここに証明する」
ん?????
なんか変な呪文が聞こえた気がしたが気のせいか?
ハルトとの小競り合いをやめて急いで司祭を見れば下からはブライト総隊長がゆっくりと上がって来た。
「ここにいてね?絶対ここから動かないでね?」
素早くそれだけ耳打ちするとクリスの腰からハルトの腕がするりと抜ける。
今なんつった?
ブライトの嫡男?
え?クローディア家からハルトがつまり抜ける?
「クラインベルク家はラインハルト、君を嫡男として確かに受け入れる。どうかこの家でも君の叡智を存分に振るってくれ」
おいまさか。
お前が言ってた婚約者って
クリスはさっきまでのハルトとの会話がパズルのピースのように埋まっていくのを感じていた
そうか、男同士だと結婚ができないから養子として迎え入れるのか
確かにブライト総隊長は
男らしすぎるほど男らしい
そして確か年齢は今年59
アレだけハルトが不安に思っていた理由がようやくわかった。
私がブライト総隊長を日頃から心から尊敬していると言っていたから、不安になったのだろう。
事前に約束をしていてよかった。
確かにこれは…ブライト総隊長の評判とかハルトの立場とか諸々こめて反対してしまっていたかもしれない。いや、反対したい。
色々とブツブツ考えていたら手続きが終わったらしいハルトが戻って来た。
「クリス、顔色が悪いけど大丈夫?
急な事だからビックリしたよね。
ごめんね。もう直ぐ終わるからね」
「あ…そうだな…少し、いやかなり驚いたが…」
でももういいかな、約束をしてしまったし。
結局わたしはクリスに甘いんだ。
もうね、血が繋がってなくても、戸籍の繋がりがなくてもクリスは私の大切な弟なんだよ。
お前が幸せならそれでいいよもう
ブライト総隊長と幸せになってくれ。
まだブライト総隊長は司祭となにがしか話しているがもうよく聞こえない。
いや、聞こえているが脳に届いてない。
「なんの相談もなく勝手に決めてごめん…」
目の前の悲しげに目を伏せる天使が全てだ。
「いや、私は…お前が幸せなら本当にそれでいいと思ってる。お前が幸せなら私も幸せだよ。おめでとうハルト」
「…ありがとうクリス。さあこっちへ」
ハルトに連れられて前に進むと、司祭がブライト総隊長といつの間にか踊り場に来ていた憔悴した父親からそれぞれ書類を受け取って読み上げだ。
ああ…あんなに憔悴して、お父様…。
そりゃそうだよなぁ。まさか大事に大事に育てた息子が公爵とはいえ40歳年上の男性の元に嫁ぐんだもんなぁ。
「ではこれによりラインハルト=クラインベルクとクリスティーナ=クローディアの婚約を正式に決定致します」
ん????
いまなんつった????
司祭が近寄って来てハルトに小さな布張りの小箱を開いてみせる。
その中に小さくきらめく謎の輪っか。
銀色のナゾの輪っかがキラリ
それを優雅に微笑んだハルトが取り出す
。
固まる私の左手を問答無用で持ち上げる。
そして
薬指に
はめた
「おめでとうございます。これは婚約の儀ではありますが結婚を前提としたものですので…
司祭がなにか言っているが
私は左手にあつらえたようにピッタリとハマった指輪にここ最近やたらと手を握って来ていたのはこれが目的だったのかと現実逃避した推理を繰り広げていた。
やっと婚約できたね、
といって嬉しそうにクリスを抱き上げるハルト
「…つまりハルトの婚約者って」
「優しくてカッコよくて凄く可愛い、俺の大切なクリスティーナ。お願いだから俺と結婚してね?
そしたら俺は世界一幸せになれるんだ」
お父様が「クリス…お前そんなにハルトが好きだったのか…」と嘆く声がどこか遠くで聞こえる。
既に会場は和やかに歓談ムード。
踊り場の2人を微笑ましく眺めるものもいれば既にそれぞれの話に熱中し始めるものもいる。
「…本人の許可なく話しを進めるな!!!!」
ようやく覚醒して踊り場ではしゃぐハルトに思わず怒鳴ると地面に降ろされる。
「仕方がないじゃないか。クリスは怪我の熱でうなされてたし。でも今日の話はもう取り決めちゃってたから今更変えづらいし」
「まあまあ、ハルト様はクリス様のご体調を慮って、1人でそれはもう健気に走り回っていらっしゃいましたよ。それでもお仕事には一切支障を出さずにここまでやりきったのはひとえにハルト様の深い愛情でございますよ。」
怒っているクリスにエリック司祭が助け舟を出してくる。
違う。私が怒っているのはもっと根本的なところだ
「いや、そもそも婚「そうだぞ。クリス。まあお前が親衛隊も断って早々に退役したんだ。陰ながらハルトを支えると言ったときに俺は感動したよ。怪我をしても尚、騎士に固執せずに鮮やかに自分の進むべき道を迷わず選んだお前は本当に素晴らしい騎士だ。俺はクローディア家とこうして繋がりが持てて嬉しいよ」
ブライト総隊長に輝くような笑顔でフォローされてはもう何も言えない。
唖然としているとハルトが屈みこんで話しかけてくる。
「クリス、顔色が悪いね。
まだ病み上がりだもんね。もう帰ろうか」
こいつ白々しいにもほどがある…
「ああ、そうしろ。体調が悪いのはみんなわかってる。早めに休ませてやれ」
ブライト総隊長のよく通る号令により一斉に道が開けられる。
再びクリスを横抱きに抱えるとさっさと退場をし始めるハルトに周りからは拍手と歓声、激励の言葉が投げられた。
「おとなしいね?クリス」
ぐったりと抵抗する気力もない。
返事の代わりにハルトの胸に頭を預けるとハルトが嬉しそうに体に回す腕に力を込めた
いや、そういうのいいから
「…お前帰ったら覚えてろよ…」
苦々しげに呟けば
ハルトは心外だ、という顔をする
「俺がクリスとの思い出を忘れるわけないでしょ?一字一句全部覚えてるよ。」
そう言ってにっこり笑う天使は
よくよく見直せば
ニヤリとほくそ笑む悪魔だった