幻惑魔法【複製】 一
ノエルがケインの館に住むようになってから3日目の午後のことだった。
ほこりだらけの廊下をほうきで掃いていたら、ケインから声をかけられた。
「ノエルちゃん。食材が少なくなってきたから、町に行ってなんか買ってきてよ」
「……」
ノエルは無反応だった。
「ノエルさん? 聞こえてるよね?」
「……無理です」
「えっ?」
「無理だって言ってるんです! これだけ、これだけ大きなお館なのに、私一人で管理ができるわけないです! 見てください、この無駄に長くて広い廊下。どうして廊下をこんなに広くする必要があるのか私にはまったく理解できませんが、お昼からずっとこの廊下を掃除してるのに、全然終わんないんですよ!」
「そんな怒らなくても」
「それに、庭! 雑草がびっちりです。根っこが地中深くまでしっかりと食い込んでて、取り返しのつかないことになってます。どうしてああなるまでほっといたんですか?」
「うん……ごめん」
「とにかくっ! 私一人ではもうどうしようもありません! 最低あと10人くらい雇ってください」
「いや、それは無理だよ」
「なんでですか!」
「知らない人がいきなり家に10人とか死ぬわ。即死するレベルだわ」
「じゃあどうするんですか? もう私にはお手上げですよ」
ケインは腕を組んで考え始めた。しかし考えたところで、人手を増やさないことにはどうにもならない。
「そうだな、じゃあ俺が仕事に優先順位をつけてやろう」
名案を閃いたかのようなドヤ顔でケインが言った。
「優先順位?」
「うん。まず最優先は食品とか日用品の買い出し。第2に料理。第3にゴミ出し。ほかのことは、それが終わって余裕があったらでいいよ。なんならやらなくても別にいいし」
「まあ、それならなんとか」
ノエルはしかたなしにその提案を受け入れた。
「じゃあまずは食い物買ってきてよ」
「ちなみに、なんで買い出しが優先順位1位なんですか?」
「そんなもん、俺が館から出たくないからに決まってんじゃん。町のやつらに会いたくないし」
「ケインさん、町の人たちに嫌われてるんですか?」
そういえば“変な人”呼ばわりされているんだっけ。
するとケインは顔をしかめて恐ろしい怪物のことを語るかのような表情で言った。
「あいつら、あの商店街のやつらマジでヤバいんだよ。完全にいかれてやがる」
「ひょっとして以前になにかされたとか?」
「いや、奴ら……“世間話”をしてくるんだよ。こっちはただ買い物に来てるだけなのに、世間話だぞ! 信じられるか?」
「は?」
「コンビニみたいに無言で会計しやがれっつうの。俺をストレスでハゲさせるつもりか。ほんっと異世界なんかにくるんじゃなかった……」
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そんなわけでノエルは数日ぶりにリュセールにやってきた。
とりあえず夜ごはんの食材をそろえようと、商店街の店を回って野菜、果物、香辛料などを買いあさった。
商店街の人々はノエルを珍しがって、行く先々でいろいろと話しかけてきた。急いでいるノエルとしては、世間話はほどほどにして早く用事を済ませてしまいたかったので少し困った。なるほど、ケインが世間話を嫌うのもなんとなくわかるような気がする。
「おう、嬢ちゃん、ケインさんの館で働き始めたんだってねぇ」
果物屋の親父が話しかけてきた。
「はい。これからよろしくお願いします」
ノエルは丁寧にあいさつし、ぺこりと礼をした。
「だいじょうぶかい? なんか変なことされてないかい?」
「えっ?」
「嬢ちゃんよりも小さい女の子が館にいるだろ?」
「いませんけど」
「んん? おかしいな。ケインさんが幼女にあんなことやこんなことさせてるって一時期うわさになってたんだが」
「は? あんなことやこんなことって?」
「んっ、その、まあつまり……えっちぃ行為をされてるってことだ」
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館に戻って野菜スープとパンの簡単な食事を準備した。質素な食事だが、それを見たケインはすごく喜んだ。
「いや~、ほんとにノエルちゃんが来てくれてよかったよ。これでだいぶ生活が豊かになる」
「あの、ちょっと聞いていいですか?」
「なに?」
「町でおかしなことを聞いたんですけど、ケインさんて小さい女の子にえっちぃ行為をする人なんですか?」
ドン! と、ケインがテーブルを叩いた。皿が跳ね上がって、中に入っていたスープがこぼれた。
ケインはノエルの一言で怒り狂ったのだ。
こんなに激怒する人間だとは思っていなかったノエルはちょっとひいた。
「あいつら……、くそっ、好き勝手言いやがって! ああ~むかつく! あんな低レベルな商店街なんて滅んだほうがいいんだ! 町ごと灰にしてやる。灰にしてやるぞ俺は!」
「で、どうなんですか? 小さい女の子に好き勝手、あんなことやこんなことをさせてるんですか?」
「んなわけないだろ! デマだよデマ! 根も葉もないうわさだよ」
「じゃあこの館には、私とケインさん以外、誰も住んでないんですね?」
「いや、もう一人住んでるけど」
「えっ!?」
「ああ、そういえばノエルちゃんはまだ会ったことがなかったね。ちょっと呼んでくるわ」
ケインは食卓を立ってどこかに消えた。
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数分後、ノエルの目の前に幼女が立っていた。
輝くような黄金色の髪が、まるで生まれてから一度も切ったことがないかのように長く伸びて、床につきそうだった。
年はまだ10歳にも達していないだろう。しかし異様に落ち着いている。ノエルには妹と弟がいたが、このくらいの年齢ならば、普通は初めて会う人間に興味を持ったり、逆に怖がっておどおどしているものだ。しかしこの幼女はまったく動ずることがなく、虚空を見つめたままぼーっとしている。
「はい、こちらがアマナさんです」
ケインが紹介する。
「どうして今まで会わなかったんですか? 監禁されてるんですか?」
「アマナさんは寝てることが多いし、食事も毎日じゃないからね。だいたいずっと自分の部屋にいるんだよ」
見た目はかわいいが、どこか不気味な雰囲気のただよう幼女だった。だが正直、ケインとの2人暮らしに不安を感じていたノエルとしては心強かった。
とりあえず仲良くなろう。ノエルは話しかけた。
「アマナちゃん、私、ノエル。よろしくね」
ノエルはしゃがんで目線を幼女に合わせて微笑んだ。幼女はそれに対して返事はしなかったものの、こくんとかすかにうなずいた。とりあえずは嫌われてはいない気がする。
「『アマナちゃん』じゃなくて、さん付けしといたほうがいいよ。君よりだいぶ年上だからね」
ケインが言葉づかいを注意してきた。
「えっ?」
「俺と同じく、尋常な人間ではないってこと」
「アマナちゃんはいくつなんですか?」
「うーん、わかんないけど、たぶん5000は軽く超えてるんじゃないかな」
「5000!!」
「晩飯がてら、俺たちが出会った時の話をしてやるよ。アマナさんもいっしょに食べるよね?」
アマナはやはりこくんと小さくうなずいて席に着いた。
またまた、ケインの長い話が始まった。